第501話 安威川ダム、水没した旧道、かつてあった水門

私の育った家は、ちょうど私が生まれたころに区画整理され、たくさんの田んぼからなっていたところに整然とした道と、倉庫群、そして、その片隅にできたいわゆる「新興住宅地」だった。「住宅地」とはいえ、建物は6軒長屋、その一部を区分所有する、という形で父が購入したものだった。駅からも遠く、買い物するにも不便だったあの場所を何故父が選んだのかは分からないが、ある種、辺鄙なところであったのは間違いない。


古地図を見ると、たくさんの不整形の田んぼと、今も残る古くからの「地」の人の集落があるだけの場所だった。いくつかの川の合流地点でもあり、おそらく地理学から言えば、「氾濫原」と呼ばれる場所だったのだろう。「地」の人たちの家は少し小高いところにあり、私の育った集落はおそらく「氾濫原」の真っただ中だったのだろう。


私の育った地域は昭和42年の豪雨で大きな浸水被害を被ったようである。市史を見ると、国鉄駅前の道路と、駅の下をくぐるトンネルが水没している写真が載っていた。


私の育った市だけでなく、いわゆる私の育ってきた地域は、北に山、そこから流れ出る川がいくつかあり、古くから平地は水はけのよくない場所であったようだ。この辺りの川はほぼすべてが「淀川水系」に分類され、私の住んでいたところに流れていた大きな川は「安威川」であった。おそらく私の家の辺りは、「安威川」、「旧茨木川」、「丑寅川(大正時代に河川改修を受け、「大正川」と名前を変えている)」で作られた氾濫原であろう。安威川を挟んで、私の家と反対側の地域は淀川と挟まれ、かつて、水田にも適さないような湿地帯であったようだ。江戸時代からたくさんの水路が作られ、「天井川」となっていた「安威川」や「淀川」ではなく、その先の神崎川に水を流す水路がつくられている。そしてそれらの水路は今も現役で活躍している。


「神崎川」は「淀川」から分流した流れで、「安威川」と合流し、大きく大阪市西部で海に流れ込んでいる。「淀川」も古代より水運に利用されていた川だが、古くは大阪市域で大きく流れの向きを変え、大阪市中心部を流れ、海に流れ込んでいた。縄文時代には今の「大阪平野」はなく、これらの川が運んできた土砂で大阪平野が作られていった。「淀川」も、大きく流れが弯曲しているところで水害が多発したため、明治時代に直線化され、大阪市域にある「淀川洗堰」より下流は「新淀川」(みんなこちらを「淀川」と呼ぶ)と、そこで分岐する「大川(こちらが旧淀川)」に分かれている。


随分前置きが長くなってしまった。その昭和42年の豪雨を受けて、いわゆる「暴れ川」であった「安威川」に治水用のダムを作ろうという計画が持ち上がった。そして紆余曲折があり、今年、安威川の上流にダムが完成した。石を積み上げて作られた、きれいなロックフィルダムである。


ダムの必要性云々は今回は触れない。賛成派、反対派どちらにも意見があり、議論を戦わせつつ、もうダムはできてしまったからである。


「安威川」そして「神崎川」の水利権は「神安土地改良区」と呼ばれる組織が持っている。農業用の水利権である。そして私の子供のころは、私の実家からそう遠くないところ(直線距離だと150mほどか?)に、農業用の巨大な洗堰があった。水門の高さは、3~4m程度だろうか?川幅も数十メートルだっただろうか、子供心に「大きな水門だ」と畏怖していた。なので、水門より上流側は、子供心に知る範囲では、ずっと何十mもある川幅で、数mの深さで水が蓄えられていた。私の住んでいたところは、一応大阪市内から地続きで平地が続いているところであり、一応「都市部」と言えなくはない。なので、そんなところにデカい水門を作ったところで、「自然破壊」も何もあったものではなかっただろうが、山を切り開いてダムをつくる、となると自然環境にも配慮しなければならない。おそらく計画から完成まで60年近く(本当に作り始めてからは10年弱くらいか?)かかったのはその辺りのアセスメントと、そこで「ダム推進派」と「反対派」の意見が衝突したからであろう。


話が前後して申し訳ないが、自宅の近くにあった大きな「水門」の思い出話をさせてほしい。


当然親や学校からは「近づいてはいけません」と言われていた場所である。ただ、そういう場所ほど子供心に魅力的なところもない。自宅から、高い堤防の上につながるきつい坂を上り、普段は車も通らない草むらを抜けていく。時にはそこに「マムシ」もいたらしいが、出会わなかったことは幸運である。もちろん、そんな場所に一人で行くわけではない。何人かで行くのだ。


大正川が合流する手前にその水門があった。普段は閉じられており、滔々と水をたたえており、子供心に少し怖かった。水門の向こう側に降りて、巨大な水門を眺めたり、水門と水門の間に挟まれたコンクリートの斜面を滑り台代わりに滑ったり(真冬に一学年上のお兄ちゃんと遊んでいたら、お兄ちゃんが勢い余って、川の中に滑り落ちてしまった。そのあと、すぐそばにあったゴミ焼却場の職員待機室にお邪魔し(お兄ちゃんのお父さんは焼却場の職員さんだったので)、そこのストーブで服を乾かしてもらっていたことを覚えている)、ある年はその川で地域の子供たちの何人かが夏に泳ぎ(私は泳がなかった。1980年初頭の都心部を流れる川の汚さは、その当時を知る人には良く分かるであろう(笑))、地区児童会で大問題になったこともあった。


ある程度大雨が降ると、水門は開放されるのだが、水門が解放されると、すぐそばで安威川に流れ込む大正川に、大量の水が逆流してくる。普段は水量も少なく、河川敷もある大正川に、すごい勢いで河川敷を飲み込んで濁流が逆流してくるのを見たことがある。その勢いは子供心に、とても怖かったことを覚えている。


そんな洗堰だったが、私が中学生~高校生時代に堰は取り壊されてしまった。それまでは立ち入り禁止だった河川敷も整備され、今は大正川の河川敷も含め、数キロの公園となっている。


さて話は水門から離れて、ダムとその周辺の思い出に移ることとする。


今から30年ほど前、地元のO大学にバイクで通学していた私は、当時の大学生らしく(?)授業を抜け出して、よく日帰りツーリングに出かけていた。今はダムに沈んでしまった集落と、そこを抜ける山道は、私のお気に入りのツーリングコースだった。国道171号線から左折してその道に入る。しばらくは平地で住宅街が続くが、しばらく走ると、1車線の山道となっていた。途中には「交互通行」を示す常設の信号機があり、一部狭小区間を交通整理していた。もちろん山奥へ行くバスもその道を通っていた。それなりのワインディングがあり、ところどころに古い集落があった。茨木市の駅前は都会だが、そこからバイクで30分も走れば、このような「田舎」に触れられる、というのは新鮮だった。


安威川に沿ってその道は走っており、それなりの山奥には、「竜泉峡」と呼ばれる渓谷があった。幼稚園に入る前だか、幼稚園のころだか、自治会の行事で一度訪れたことがあった。ただ、その行事の後になるのだろうか、その上流に採石場ができ、その道は「ダンプ街道」となった。何台ものダンプカーとすれ違う。「竜泉峡」というバス停もあったが、広くない道幅で、交通量もそれなり、ダンプカーもそれなりに通る道であり、バイクを止める場所もなかったので、その思い出の「竜泉峡」に足を踏み入れることはできなかった。


茨木の山奥には「隠れキリシタン」の里がある。あの辺りは山の中にも道が入り組みながら走っている。細かいことはもう忘れてしまったが、あの頃は、片側1車線の田舎道を駆け上がり、そして、京都府亀岡市に降りていく、というコースを走っていたように記憶している。亀岡市からは、国道423号線でまた山道を抜け(そのころは新御堂筋と止々呂美を結ぶトンネルも、「箕面森町」も、新名神高速道路もなく、これまたひなびた山道を抜け、集落を抜けて、池田から石橋の大学に戻る、なんてことをしていた。


それからずいぶんと時を経て、数年前、今の職場に移る少し前だが、時間があったので、再度同じルートを通ろうとした。残念なことにあの頃の大好きだった道はすべてダムに水没するため、集落は高台に移転、道路も「走りやすいがつまらない」新しく付け替えられた道に切り替わっていた。旧道に降りることはもうできなくなっていた。


ダムを作る、ということはこういうことなのだろう。古い集落を移転し、新しい道を作り、歴史のある地域はもう水の中に使ってしまい、顔を出すことはないのだろう。


安威川ダム、とてもきれいなダムであるが、それと引き換えに失ったものは確かにある。あらゆるダムに、このような歴史があったのだろう。それは少し残念なことだ、と思った。


ちなみに、10日ほど前、R5.6/2の豪雨、安威川ダムも満水となり、いわゆる「緊急放流」(異常洪水時防災操作:ダムにこれ以上水をためられないため、ダムに流入する量と同量の水を放水する操作)を行なったそうである。「安威川」には鉄道用、道路用などたくさんの橋が架かっているが、電車通学をしている次男君の話では、「結構水位は上がっていた」ということだった。


ダムができて間がないので、前もっての放水ができていなかったのだろうと思っているが、異常洪水時防災操作を行なう、ということは「ダムがない状態」と同じにする、ということなので、「ダムができた早々、何やってるんだろうなぁ」と、ちょっと思ってしまった。


府は、ダム周りを整備し「公園」とする予定とのこと。場所は悪くないし、ダムもロックフィル型で美しいダムである。府民憩いの場になればいいなぁ、と思う次第である。


全く取り留めのない、思い出話と現代の話があちこち入り乱れた文章となり、大変申し訳ありません。

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