第490話 子供たちとの鉄道旅(次男君との卒業旅行その1)

子供たちが小さいころから、家族旅行だけでなく、子供たちのどちらか一人との二人旅(日帰り、泊りにかかわらず)も行なってきた。私が出かけたものだと、次男君との二人旅は、「ナローゲージ(線路幅が狭い)」で有名だった三重県四日市市の「近鉄内部線、八王子線」に乗るために名古屋→四日市に出かけたり(これは日帰り)、「サンライズ瀬戸」に乗るために土曜日の仕事終わりに東京まで向かい、「サンライズ瀬戸」の二人用寝台個室寝台を確保して、高松に向かい、雨の中、高松観光(二人とも靴の中がビショビショになった)をして帰ってきたこともあった。


長男君とは、寝台急行「きたぐに」廃止直前に乗りに行ったことを覚えている。冬の時期だったが、その年は大雪で、私たちが予約した日の前後は、日本海周りの夜行列車(きたぐに、日本海、トワイライトエクスプレス)がことごとく、連日運休となっていたが、奇跡的に私たちが予約していた日だけ、うまい具合に(少し遅れたが)走ってくれた。自宅の最寄り駅のみどりの窓口で、まだ「運休」の案内が出ていないことを確認し、東京を経由して新潟に向かった。列車が入線、乗車し、発車するまでは「気が気ではなかった」ことと、583系電車の3段式B寝台、結構狭かったことを覚えている。この時長男君は幼稚園児。彼のためにもベッドを確保し、まだ年端はいかなかったが小児用運賃も支払ったので、財布がとっても痛かったことも覚えている。


長男君、次男君それぞれと、阪堺電気軌道乗りつぶしをしたこともあった。長男君の時は、彼がまだ幼稚園、いや保育園のころだったか?彼の記憶に残っているかどうかは分からないが、次男君は中学生の時で、終点の浜寺公園を散策しながら、いろいろと話をしたことを覚えている。


子供たち二人を連れて、ということであれば、妻、妻方の義母と湯布院で落ち合った、「由布院までGO!」ツアーを覚えている。長男君が幼稚園、次男君はまだ2歳のころだったか?二人とも私の言うことをしっかり聞いてくれたので大変助かったのだが、由布院駅で待ってくれていた妻から、「無事にこちらに来るとは思って無かった」という驚きの言葉をもらったことを覚えている。


二人を連れてお出かけ、ということであれば、「南海(通称)汐見橋線」乗りつぶしにつき合わせたことがある。これは二人とも小学生低学年だっただろうか?確か大阪環状線西九条駅から、阪神なんば線に乗り換え、桜川駅で下車、そこから汐見橋駅に移動し、汐見橋線に乗ったと記憶している。二人とも電車好きだったので、そこそこ喜んでくれたのだが、果たして記憶に残っているかどうか?岸里玉出駅で下車し、益回りの商店街で少し買い食いをして、南海本線で新今宮まで戻ったような記憶がある。う~ん、これは私の記憶もあやふやである。どのルートで帰ったのだろうか??


長男君が小学校高学年の時に、本格的に「乗り鉄」に目覚め、「近郊区間大回り」などにはまっていたころ、「ちょっと遠くに行くか!」と言って、姫路→姫新線→津山→津山線→岡山→新幹線で戻ってきたこともある。これは、前日に近畿地方に大雪が降り、ダイヤが大きく乱れていたことと、某駅で、長男君が手に持っていた傘を列車とホームの隙間に落としてしまい、駅員さんに拾ってもらったことで、ずいぶん予定が狂ったのを覚えている。


大雪でダイヤが乱れている中、乗っている電車が発車しようとした瞬間、長男君が「お父さん、傘、下に落としてしもた」というではないか。私たち3人はドアギリギリのところに立っていたので、ホーム下に落としたのは確実である。慌てて3人飛び降り、改札に向かい「すみません、傘を落としました」と伝えた。駅員さんは二人一組で動いてくださり、一人が安全を確認しながら、もう一人がマジックハンドで落とした傘を拾ってくださった。


「へーっ!線路上への落し物はこうやってとるのか。勉強になったなぁ」と、怪我の功名ではあるが、一つ賢くなった。皆さん、線路に落とし物をしたら、必ず駅員さんに取ってもらうようにしましょう。


さて、最近は、一つの路線でも、乗客数に応じて運転本数を変えていることが多い。一つの路線を一気に走り抜ける列車が、特にローカル線では少なく、いや無くなっているように思っている。


例えば、関西本線を例に挙げると、名古屋→亀山→伊賀上野→加茂→奈良→JR難波という路線だが、名古屋→亀山、亀山→加茂、加茂→JR難波と3つの区間に分かれている。JR難波→奈良/木津/加茂までは「大和路線」とニックネームがついており、高速の快速電車がバンバン走っており、亀山→名古屋も、確か電化されていて、それなりの本数が走っているが、加茂→亀山は、1時間に1本、2両編成のディーゼルカーが走るのみである。一時は「東海道本線」のバイパスとして、そして営業キロも関西本線経由の方が東海道本線よりも短いにもかかわらず、「本線」と名は付くものの、真ん中の部分は「偉大なるローカル線」となってしまった。


姫新線も、私が学生時代に乗った30年ほど前は、1本で津山→姫路まで行けたように記憶していたが、やはり姫新線全体で4系統に分離されていて、それぞれの接続も「うまくいく」こともあれば「いかない」こともある。傘を落とさなければ、スムーズに津山まで乗り換えできたのだが、1本遅れたため、乗り継ぎでずいぶん時間を使う羽目になった。1回目の乗り継ぎは1時間、2回目は2時間半ほどだったか?田舎で特にお店もなく、しかも大雪で厄介なことになっていたので、子供たちを退屈させずにどう時間を潰すか、大変苦労したことを覚えている。何とか津山までたどり着いたら、もう夕方であった。津山駅には小さな鉄道博物館があるが、翌日は私が仕事であることを考えると、鉄道博物館を見ている余裕はなかった。大急ぎで接続の津山線に乗り換えた。津山線は1本で乗り換えなく岡山駅まで戻ることができ、とても助かった。そして、雪でダイヤは乱れていたが、岡山からはひかりで新大阪に戻ることができた。


閑話休題。そんなわけで、いろいろと子供たちと出かけているのだが、子供たちが二人とも小学生のころ、妻と相談し、「子供たち、小学校を卒業したら『卒業旅行』ということで私かあなたかどちらかと二人で、旅行に連れて行きましょう」ということになった。


長男君の卒業旅行は、妻と金沢に出かけることとなり、金沢ではおいしい、回らないお寿司を食べてきたそうだ。


ところが次男君の卒業とちょうどコロナ禍が重なってしまった。なので、次男君の卒業旅行は伸びに伸び、いつの間にか中学校まで卒業してしまっていた(笑)。ということで、1か月ほど前に、「鶴(妻)の一声」で半ば強制的に旅行は6/3,4と日程が決まった。妻と次男君はあまり相性が良くないので、私が連れていくこととした。しかし土曜日は私が17時まで仕事であること、月曜日は次男君の学校があることから、そんなに遠くには行けない。長男君の卒業旅行の時はかかった費用はすべて妻のポケットマネーから支出した、とのことだったので、次男君との卒業旅行は私が持つこととなった。


次男君に行きたいところを聞くと「北海道!」とのこと。


「あほか。そんな金も、時間的余裕もないわ!」と私は言下に却下。「電車で行けるところ」と制限をかけた。次男君とモニョモニョと相談し、とりあえず「広島」に行く、ということで決定した。宿を予約し、広島のどこを見るか、と相談した。次男君は「原爆資料館」と「宮島」に行きたい、と言ったが、時間的制約から、どちらか一方しかかなえられない、と伝えると、「じゃあ、修学旅行で原爆資料館には行ったことがあるから、宮島にする」とのこと。なので、広島旅行については、「広島でお好み焼きを食べること」「厳島神社に行くこと」「市電に乗ること」「アナゴ飯を食べること」の4つを私の心の中のミッションとした。


ところが、「好事魔多し」とでもいうべきか、長男君と「きたぐに」に乗りに出かけた時と同様に、直前になって困ったこととなった。


次回に続きます。

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