第489話 「オーバードーズ」と「自己承認」

読売新聞連載記事「情報偏食 ゆがむ認知」 第3部 揺れる教育現場(4)より


<以下引用>

震える手で開けた蓋に(著者注:ドラッグストアで勝った風邪薬)5錠入れる。口に放り込み、紙パックのレモンティーで流し込む。5錠ずつ10回繰り返したところで、机の上のスマートフォンを手に取った。<またしちゃった><死にたい>


ツイッターに投稿すると、賛同を示す「いいね」のハートマークが次々についた。「いいね」は、自分の存在価値を認めてくれる「承認」の証し。スマホの画面を指で何度もスクロールして取りつかれたように更新を続け、新しい「いいね」が付くのを待った。


<中略>


高校に入学するころは、無縁だった市販薬の過剰摂取。「いいね」を求めるあまり、いつの間にかエスカレートしていた。


<中略>


「嫌なことを忘れられるよ」。ツイッターにのめりこむうちに、見知らぬ人の投稿に目がとまった。市販薬の過剰摂取をつづった体験談だ。クリックすると、過剰摂取を勧めてくるかのように、同じような投稿がずらりと表示された。


高1だった2018年の冬、市販薬の過剰摂取に初めて手を出した。<中略>「もう何もかも忘れたい」と嫌になって、ドラッグストアで購入した市販薬を大量に摂取。ツイッターで報告すると、賛同を示す「いいね」のハートマークがついた。「自分の存在価値が認められた」。


年が明けると、そんな承認欲求はどんどん膨らんだ。ツイッター上では、自分よりたくさんの市販薬を飲んでいる仲間がいて、「いいね」の数も多い。「もっと私のことを心配してほしい」。過剰摂取のペースが上がり、高2になる19年春ごろには毎日のように摂取。同年夏、ついに学校で倒れた。


<中略>


精神的な苦痛から逃れようと、市販薬を過剰摂取する行為は「オーバードーズ」と呼ばれ、若者を中心に深刻化している。

<引用修了>


私が研修医時代だった20年近く前から、「オーバードーズ」や「リストカット」など、自分を「傷つけること」で「自己」の実在を感じたり、承認欲求を満たしたりする、ということはしばしばみられていた。その背景に「心理的」なものが隠れていたり、「人格障害」などの「精神疾患的」要素が絡んでいるので、「精神科」のない二次医療機関では「対症療法」のみとなってしまうことがほとんどである。特に、中高生~大学生にかけては、年齢的に「アイデンティティ クライシス」を起こしやすく、「自分が自分であること」を確認するために、自分を傷つけてしまう行為を取りやすい年代でもある。


研修医時代に対応した「オーバードーズ」の患者さんでは、「精神科・心療内科」から処方された薬の「オーバードーズ」が多かった。おそらく衝動的に飲んだのであろうと考えていたが、オーバードーズされていた薬で多かったのは、「精神安定剤」「抗不安薬」「睡眠薬」として使われている、ベンゾジアゼピン系薬剤が多かった。


以前にも書いたが、ベンゾジアゼピン系薬剤は「安全性」が高く、最近書いたことだが、「セレネース」であれば、LD50(その量の死亡率が50%)の量を飲もうとすると1万錠近くなる。ベンゾジアゼピン系薬剤であれば、いずれも同程度の量が必要となるので、「オーバードーズで意識障害」として搬送された患者さんで、(救急隊が搬送時に、枕元やごみ箱を確認してくださり、「何を」「どれだけ」飲んだと推定されるか教えてくださることが多い)ベンゾジアゼピン系だけ、ということがはっきりすれば、誤嚥などのトラブルに注意しながら経過を観察すれば、翌日、あるいはその次の日には目を覚ますことがほとんどであった。そして、「なんで入院させたんだ!早く家に帰せ!」と患者さんから怒鳴られることがほとんどであった。


リストカットについても、「手首を切って、その痛みと、湧き出てくる血液を見て「ああ、私は生きている」と実感する」と、どこかで経験者が語っていたのを聞いたことがあるが、特に若い人で、「アイデンティティ」の確立途中の人は、その方向に流れていきやすい傾向があるのかもしれない、と思う(私自身の若いころも振り返ってみて)。


「人格障害」などの「病的素因」を持たない人の、今回の記事にあるような「オーバードーズ依存」の人にとっては、「患者グループへの参加」やカウンセリングなどは有効な手立てとなるであろうと思う。「自分を傷つけること」以外での「承認欲求」が満たされれば、おそらくそこから抜け出せるであろうと思うからである。


ただ、「市販薬」は、致死量、という点で考えると、含まれる薬剤によってはベンゾジアゼピン系でのLD50とは比べ物にならないくらい低い数字のものが含まれていたり、あるいは「強い依存性」を有する薬があるので、むしろ処方薬よりも、「市販薬中毒」の方に「内科学的に」悩まされていたことが多いように思う。


以前にも書いたが、「風邪薬の市販薬」は「一瓶丸ごと飲んでも、命を落とさない」程度に分量が決められている、という話を聞いたことがあるが、実際そうなのだろうと思っている。薬剤には、「速やかに毒性を出すが、血中濃度の低下とともにリスクが減る」という薬もあれば、「代謝産物が数日後に毒性を出し、過量摂取後の経過観察、必要な場合の解毒剤と継続的な管理」が必要、というものもある。後者の代表が「アセトアミノフェン」であり、これがいつも「風邪薬オーバードーズ」の患者さんの「悩みの種」となっていた。


搬送時に血液検体を採取するが、アセトアミノフェン血中濃度は検査が戻ってくるのに数日かかる。内服してからの時間と、血中濃度のグラフがあり、そのラインより上方であれば、致死的肝障害の発症リスクが高く、治療薬であるアセチルシステインの投与が必要となるのだが、ほぼすべての患者さんで、意識が回復したら「もう帰ります。なぜ入院が必要なんですか!!」と怒りをぶつけられることが多々であった。アセトアミノフェンの特性、毒性について説明しても聞く耳を持たない。「強制的な入院の継続」は違法となるため、結局は「再三、命の危険性があるため、入院の継続が必要とお話ししたが、ご本人は強く退院を希望された。理解力、判断力のある人が、医師の繰り返しの説明にも同意せず、強く退院を希望するため、当院では入院の継続は不能と判断した。「生命の危険性」について、ご本人は説明を受け、理解の上で退院することの意思表示を、ここに書面として残すことに同意する」というような文書を作成、印刷し、本人の署名をもらって退院とせざるを得ないことがほとんどであった。


ネットの普及によって、同様の考えを持つ人の全国的なコミュニティがネット上に生まれ、その中での承認、あるいはその順位付けが行なわれている、ということは深刻な問題だ、と改めて記事を読んで考える次第である。


どうか、オーバードーズも、リストカットもやめてほしい、そのような欲求があるなら、精神科医、心療内科医の診察を受けてほしいと心から願っている。

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