第478話 そんなに食べられないよ…。

結構深刻な問題だと思った。今日の読売新聞朝刊の記事。「情報偏食 ゆがむ認知」の第3部 揺れる教育現場 1。


見出しはセンセーショナルで「小5 『バナナ320本で死ぬ』」と一面に大きく出ていた。同じ記事の別の見出しには「『都市伝説』妄信 検索6時間」とあった。ネットの世界にどっぷりはまった子供が、ネットの世界でバイアスのかかった情報を信じ込んでしまう事例を紹介していた。


見出しの話は、小学校5年生の児童が、給食で出てきたバナナ1/3本を食べた後、「バナナ320本食べると、死んじゃうんだよ」と大声を上げたそうな。クラスみんなの注目を受けて、男児は誇らしく思ったそうである。「水は7L、醬油は1L飲むと死ぬ」という「口にするものの致死量」をまとめた動画に目が釘付けとなり、彼の言葉はそこからだったそうだ。彼への注目が最初だけで、すぐに意識されなくなるのがその児童にとっては気に入らないようで、興味を引く情報を探すために平日2時間、休日6時間、スマホにかじりついているそうだ。


水7L、醤油1Lで命を落とす、ということは確かに正しい。「水を7Lなんて飲めないよ」と思うかもしれないが、例えば、ビール7Lならどうだろうか?生ビール中ジョッキが500mlなので、14本。私が若いころは「大酒の武勇伝」みたいなものもよく耳にしたが、一晩で瓶ビール1ケースを空けた、なんてことも効いたことがある。中瓶も500ml、1ケース12本なので、あながち極論でもない。もちろん、水7Lを1時間程度で飲む、という話なので、現実的にはなかなか起きない。ビールに話を置き換えると、「水」にはない「エタノール」の方が更に効いてくるので、話はややこしくなる。


水の多飲、醤油の多飲については、腎機能との関連がある。人間の健康な腎臓なら尿の濃度を50~1200mOsm(Osm:浸透圧の単位で、単位容積当たりの溶質モル数を表す)に調節することができる。ということは逆にその調節範囲を超えて尿を薄くしたり、濃くしたりはできない、ということである。人体で一日に生成される老廃物は600~1000mOsm程度とされており、一日換算で、尿量は0.5L~20L程度の幅でしか排泄できない(いや、これすごいことやけど)。20L/日で考えると、少なくとも1時間で1L足らずの尿量が最大、となる。なので1時間に7Lの水を飲むと、その水分で血液中のイオンが希釈されてしまう。体内のイオン濃度は厳格にコントロールされており、急激にそのバランスが崩れてしまうと、身体は大きなダメージを受け、最悪の場合は死に至る。


精神疾患を有する方は、メカニズムは不明であるが、冷水を非常に好み、人によっては1日に5~6L飲む人もいる。継続してそれだけの量を摂取すると、やはり体内のイオンは希釈され、特にナトリウム濃度が低下する「低ナトリウム血症」を来す。このような病態を「水中毒」と呼んでおり、ICUレベルで慎重にナトリウムを補充し、電解質のバランスを正常化する必要がある。


「海で遭難し、漂流しているときは『絶対に』海水を飲んではいけない」という話を聞いたことがないだろうか?海水の浸透圧は約1000mOsm程度である。これに人間の体から捨てなければならない老廃物 600~1000mOsmを加えると1600mOsm~2000mOsmとなる。腎臓の最大濃縮力が1200mOsm程度なので、海水を飲むと、その塩分を排出するためには、飲んだ海水の量よりさらに多い尿を出さなければならない。ということで、「海水を飲む」とさらに脱水が加速していくのである。ということで、「海水を飲んではいけない」いうこととなる。実際はさらに、海水中の塩化マグネシウム(いわゆる「にがり」)のために下痢を起こすために、さらに脱水はひどくなる。


海水がダメな以上、「醤油」がダメなのも同様である。こちらは「高ナトリウム血症」を来したり、浸透圧の関係で消化管に水分が奪われ、血管内脱水を起こすからである。実際に「自殺目的」で醤油を1本(最近は720ml~1Lくらいか)を飲んで、ERに搬送される方もしばしば見かける。私自身も研修医時代、ERで何人か経験した。


ただ多くの場合、途中で嘔吐しているので、体内にある「醤油」量は少なくなっているのだが、それでもERで血液検査を行ない、経鼻胃管を挿入し、胃内容物の醤油色がほぼなくなるまで胃洗浄を繰り返し、1泊入院で経過を見て、採血異常ないことを確認しておかえりいただく、ということになったりするわけである。


まぁ、上記は医学的雑学として置いておくとして、スマホの情報を振り回して、学級崩壊を引き起こした事例などを、1面と31面(社会面)を割いて記事としていた。中には高校生が、ネット上の検索バイアスのかかった情報をうのみにして、右傾化していく、という事例も取り上げられていた。


道具、というものはそれぞれ、人間の能力を拡張させるものとして存在している。単純なところでは「孫の手」なんてものは、手の届かないところを掻き掻きするための、「手の機能」を拡張させたものである。その視点で考えると、コンピュータは「人間の脳」の能力を拡張させたもの、と言えるであろう。


ただ、養老孟司氏が「唯脳論」で指摘していた(すみません、原典が手元にないので記憶です)ように、「脳」は「自身が生物としての限界を有する」ということを忘れ、「生物学的限界」を超えたものとなろうとする傾向があり、より手軽な情報端末となった「スマホ」は、その「脳」のよろしくない特性を増大させることがありうる、しかも脳の機能の未成熟な若年層により強い影響を与えている、ということを指摘している点で、重要な点を指摘している記事だとおもった。今回は連載第1回目なので、今後どのように話が展開していくか、注目したいところである。


冒頭の「バナナ 320本食べたら死んじゃうんだよ」といった子供、どうかご両親が


「あほか!バナナ320本食べきる前にゲー吐いて終わりじゃ!20本も食べきれるかどうかも分らんやろう!」(関西人である私が子供のころなら、私の両親や近所のおばちゃんたちはそう言ってくれていたと思う)


と叱ってくれないだろうか?


理論と現実を誰かが結び付けてあげなければ、おかしなことになってしまうと心配している。

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