第477話 先生…。

今日は、私が子供のころからお世話になり、私が医師になることを応援してくださり、研修医終了後は、先生の作られた診療所で、先生のもとで一緒に仕事をさせてもらった、私の恩師である上野先生の誕生日である。上野先生のサポートが無ければ、私は医師になることができなかった。先生は私の大恩人である。


先生が旅立たれたのが平成26年、誕生日前だったので、実年齢で考えると享年76歳であった。先生がおられなくなっても、心のどこかに先生の姿があって、私が医師として仕事をしているスタイルのどこかに、先生の影響を受けているのは確かである。


その年の6月の職員健診の時、先生はご自身のレントゲンに所見をつけられていた。たまたま通りがかった私が、「先生、私も一緒に見せてください」とお願いし、二人でレントゲン写真を確認し、「問題ないですね」と診断したことを覚えている。


秋口に、複数の看護師さんから、「先生、顔がむくんでいませんか?」と言われるようになられ、「念のため」と取った胸部レントゲンで左中肺野末梢側に空洞形成を伴う陰影を認め、急いで胸部CTも撮影。翌日が私の修業した病院へ非常勤として訪問診療を行う日だったので、CT写真を持参し、呼吸器内科指導医でもある師匠に画像を見ていただいた。師匠の口から「先生、肺癌、stageⅣです」との言葉が出たときのショックは言い表せなかった。


いくつかのところで書いているが、恩師の肺癌は、今でも、私がかかわった肺がん患者さんの中で「最速で」悪化したものだった。今では肺がんの治療には遺伝子診断が欠かせないものとなっているが、もし、先生の腫瘍細胞を今の水準で解析できれば、予後、経過に変化があったのだろうか、と今でも考えることがある。


平成26年にお亡くなりになられ、当時76歳だった、ということを考えると、あれからもう10回も誕生日をお迎えになられたことになるのか。ご存命なら86歳。ということを考えると、もしあの時点で病気がなかったとしても、この10年の間のどこかで別れの時があったのだろう、と思ったりもする。


私の中には、かかわったすべての患者さんの経験と、恩師や師匠の薫陶が積み重なって、それが今の「医師」としての形を作っているのだろう。地域に根差す医師として、「在宅医療」が話題になるうんと前から在宅診療を行い、地域で真っ先に訪問看護ステーションを立ち上げ、時代の流れを読んで周りに先んじて手を打っておられた先生。私にはそんな才覚はないが、それでも、先生のような「地域に根差した医師」を目標に頑張っている。


先生、お誕生日おめでとうございます。まだまだ未熟者ではありますが、先生のご期待に少しでもお応えできるように日々を頑張っております。どうぞ見守ってください。

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