第476話 悩むわ~。

昨日の午前診。80代後半の女性がご家族と一緒に受診された。主訴は「健診異常」。


「おはようございます。お待たせしました。今日は『健診結果が悪かった』とのことでおいでいただいたのですね。ちょっとお待ちくださいね」と患者さんに挨拶をし、健診結果を確認する。


総評の欄には「コレステロールが高いです。医師の治療を受けてください」、「腎機能が異常です。医師の診察を受けてください」、「便検査に異常があります。精密検査をお勧めします」との記載があった。データを確認する。


腎機能についてはeGFR 59.4、コレステロールについてはLDL-C 154という値だった。腎機能については、血液中のクレアチニンの値から推算されたGFR(Glomerular Filtration Rate:糸球体濾過量、1分間に糸球体で濾過された血液量)で判断する。正確に評価するためには「イヌリン」という多糖体を使うのだが、実際の測定は大変なので、古くから使われてきた腎機能評価のための指標の一つであるクレアチニン値から推算されるようになった。


eGFR 60以上は正常、45~60まではCKD(Chronic Kidney Disease:慢性腎臓病)G(Group)3a、30~45はG3b、15~30はG4、15未満はG5と分類される。誤差もそれなりにあり、80代後半でeGFR 59.4なら立派なものである。検尿で尿蛋白も見られず、腎機能については気にする必要がない。ちなみに、数回前に患者さんにお話ししたクレアチニン値の逆数(1/Cre)も腎機能評価の一つである。eGFRは関数電卓を使わないと(最近はスマホで代用できるか)計算できないので、状況に応じて、あるいは患者さんの分かりやすい方法で説明をしている。


コレステロール値についても、80代後半の方の一次予防(病気になっていない方が病気にならないようにするための予防)については、それほど効果がなかったように記憶している。少なくともコレステロール値も「目くじらを立てるほど」高いわけではない(一つの目安は140)。これもそのままでよかろう。


問題は「便潜血陽性」であった。お見えになられた患者さん、ご家族の方に説明した。


「健診の結果として、3つ記載がありましたが、腎機能については60以上が正常とされており、今の年齢で59.4であれば、問題はないと考えてもらってよいでしょう。血圧も落ち着いていて、尿のタンパクも出ていないので、腎臓は「年齢相応に健康」と考えていいと思います。コレステロールの値についても、今のご年齢を考えれば、「目くじらを立てて」下げる必要はないと思います。今の生活を続けていただければ大丈夫です。あとは、『便潜血』の問題ですが…」とお話しした。


一般的な流れとしては、「便潜血反応」が陽性であれば、次に行うべきは「下部消化管内視鏡検査(CF:大腸ファイバー)」である。ところが、CFに限らず、大腸の検査は「大腸の中を空っぽにする」という準備が必要(準備:preparation, プレップということも多い)である。一つはこのプレップが問題なのである。


一般的なプレップは、検査前日の夕食後、強めに下剤を内服する。翌朝は絶食の状態で、病院で対応は異なるが、朝から病院に来てもらって、あるいはご自宅で、約2Lの「洗腸液」を飲んでいただく。もちろん若い人であっても、「一気飲み」できる量ではないので、少しずつ時間を空けて、コップに1杯ずつ飲んでいく。


前日の下剤と、洗腸液で、普通は便がたくさん出始め、最終的には洗腸液が便となって排出される。その状態では便は水様なので、何度もトイレに入ることになる。出た便の状態を確認し、固形物がなくなり、便の黄色い感じも薄くなるまで便(洗腸液)を出し続ける。そして、そのような状態になってようやく、大腸内の便が出きったと判断し、病院で洗腸液を飲んでいる場合には、順番を待って検査へ、自宅で飲んでいる場合は、その状態になったところで病院に来てもらい、順番を待って検査、という流れになる。


ところが、ある程度進行した大腸がんで、大腸に狭窄を来している方では前日の強めの下剤を内服し、便がおりてくる途中で狭窄部を閉塞し、「大腸閉塞」と呼ばれる緊急手術が必要な状態となることがしばしばある。あるいは高齢の方だと、高容量の下剤で便が出るだけでなく、嘔吐も来したりすることがある。しばしば吐物を誤嚥し、窒息したり、肺炎を起こしたりすることがある。


私の苦い経験だが、消化器内科研修中に担当した、下血を主訴に入院された90代の女性。徐々に貧血が進んでくるほどに下血が続いた。腹痛などはなく、虚血性腸炎や出血性大腸炎は否定的で、腫瘍や動静脈奇形、あるいは大腸憩室からの出血の可能性が高いと考えた。持続する出血の出血源評価では、その当時では「造影CT」でextravasation(造影剤の血管外への漏出)を確認するのが、感度、特異度ともに高い、とされていた。しかしその方は腎機能が悪く、造影剤を使うのも躊躇された。止血剤を使って経過を見ていたが、血便は止まらず、貧血も徐々に進行してくる。高齢の方で、本来はしたくないが「下部消化管内視鏡検査」で出血源の検索を行わざるを得ない、と判断した。検査予約と前日のプレップ用の薬剤を処方した。


検査当日、朝の回診時に患者さんの部屋を訪問したが、部屋に患者さんの名前がない。ベッドも空になっていた。当直帯の看護師さんに話を聞くと「深夜帯に嘔吐を繰り返し、吐物を誤嚥、窒息状態となった。看護師がそばについていたのですぐに吸引し、心肺停止にはならなかったが、その後低酸素血症の状態が続いているのでICUに転床している」とのことだった。その後、患者さんの呼吸状態は改善したが、下血については収まらず、結局そのまま衰弱、永眠となった。私のその患者さんだけではなく、高齢の方のCF前のプレップや洗腸液の内服中に「嘔吐を繰り返して全身状態が一気に悪化」という話はちょくちょく聞く話なのである。


ということで、便潜血について、その後の検査のリスク、ベネフィットについて、時間を割いて説明した。


「あと、便潜血が陽性だった、ということで、大腸カメラの検査依頼の用紙をお持ちいただきましたが、大腸カメラについて、少し説明させてください。検査は前日の夜から下剤を強めに飲み、当日は絶食で、「洗腸液」と呼ばれる飲み物を2Lほど飲んでもらい、大腸の中の便をきれいに出し切ってから、検査を行ないます。高齢の方では、検査前の処置、プレップとも言いますが、その時点でひどく体調を崩す方も散見されます。検査そのものも、腸の粘膜が胃と比べて薄いので、胃カメラの約10倍、検査に伴って大腸に穴が開く「穿孔」の危険が高くなります。健診結果にはさも簡単かのように「精密検査を受けてください」と書いていて、大腸カメラの検査用紙が入っていましたが、実際のところ、80歳を超えている方への大腸カメラの検査は、無視できないリスクがあると私は考えています。その他の大腸の検査法でも、いずれにせよ大腸の便を空っぽにする「プレップ」を行なうので、それ相応のリスクがあると思います」


「先生、便潜血が陽性であっても、『検査で深刻な病気はなかった』ということもありますか?」


「はい、健診で行う検査は、たくさんの人に行う検査なので、多少検査の精度が低めでも、安価で、安全性の高い検査が選択されます。便潜血陽性でも、例えば、大腸におかしなできものができている、ということはなかった、という検査が返ってくることがある一方で、「便潜血陰性」でも、「おかしなできものがある」ということがあります。なので、便潜血検査で引っ掛かった人は、より精度の高い「大腸カメラ」で確認をする、という流れになっていますが、高齢の方では、大腸の「精密検査」そのものがそれなりにリスクのある検査、となります」


と患者さんの付き添いの方(娘さんか、お嫁さんか?)とお話ししていると、ご本人が


「わたしゃ、何かがあっても「手術は受けへん」から」


とおっしゃられた。


「わかりました。そのお気持ちはよくわかります。〇〇さん(ご本人)のお気持ちが一番大切ですからね。ただ、ご家族の方が心配されていることもわかりますし、検査のリスクが高く、今日は〇〇さん、普通に歩いて診察室に入ってこられましたが、仮に検査のトラブルが起きて、今の健康状態が維持できなくなった、ということも勿体ないことだと思います」とお伝えした。


そしてご本人、ご家族の方に


「最近、厚生労働省で『人生会議』というものが提案されています。自分の命の終わりの段階で、何をしてほしいか、何をしてほしくないか、ということを皆さんで話し合い、家族みんなで共有する、ということです。今回の「便潜血陽性」という結果で「検査をする、しない」ということ、「手術が必要となっても手術をしない」と思っておられるのであれば、無理に検査で「白黒をつける」必要もないので、「検査を受けることが必要かどうか」も変わってくると思います。大腸の検査については、「受ける・受けない」を、「手術したくない」という思いや、「リスクはそれなりに高い」ということも踏まえ、ご家族の中で「人生会議」をしてください。そのうえで「検査を受ける」ということになれば、私のところに来ていただければ、しっかり検査をできる大きな病院にお手紙を書きます。うちのような小さいところでは、リスクが高いので検査を受けない方がいいでしょう。ご家族の方としっかり話し合って、決定してください」とお伝えし、「時間を取らせてしまいすみません」とお伝えして、診察を修了とした。


「ある程度リスクのある検査」を「平均寿命をそれなりに越えた」高齢者の方に受けてもらうのかどうか、というところは、いつもすごく迷ってしまう。


もちろん、内視鏡の手技も進歩していて、私が研修医のころは、CFで大腸穿孔を起こした場合は速やかに外科に転科。開腹し腹腔内を洗浄、双口式の人工肛門(状態が落ち着けば閉鎖することを前提とした人工肛門)を造設。穿孔部位を外科的に閉鎖して管理、ということだったが、今では、穿孔した場合は内視鏡的に穿孔部位を閉鎖(内視鏡手術の技術進歩のおかげ)し、絶食、抗生剤投与で経過観察し、状態悪化時は開腹、という形になっており、患者さんの身体的負担は軽減しているが、プレップ段階でのトラブルについては頻度も、対応も変わらない。下部消化管内視鏡での穿孔リスクもそれほど変わりはないだろう。とはいえ、結局は「確率」の話で、何事もなく済んでしまうことの方が多いのも事実ではある。


そんなこんなで、常に迷い、悩んでいる私である。

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