第469話 国立センターの医師の仕事、町医者の仕事

私自身は、留年していないのにもかかわらず、都合13年大学で過ごした。工学系学部に4年間所属→医学系の修士課程に2年間所属→医学研究科博士課程に1年所属→医学部に6年所属、というわけである。そのころの国立大学は、授業料免除の制度(貧困家庭の子息には、学費の全額、あるいは半額免除が認められていた)があり、爪に火を点す様な家庭で育ってきた私は、あまり授業料を払っていない(免除してもらっていた)。


それだけ長い間、大学で過ごし、研究室での生活も送ってきたのだが、医学部を卒業し、医師免許を取った後は、大学病院で過ごしたのは、初期研修医時代の麻酔科研修の中の1か月のみだった。あとは常に市中病院や、地域の診療所、現在勤務している病院など、大学とは距離を取った医師生活を送っている。


私が大学とのかかわりを持たない理由の一つは、「医学研究科博士課程」を中退して医師になったのに、今更「大学で学位を取って」なんて意味がないだろう、と思っているからである。私の大学院時代の同期は、博士課程4年終了後、学士入学で医学部に編入し、脳外科医として頑張っているが、やはり彼も大学医局とは離れた道を進んでいる。ただ彼は、4年間の業績があるので、「博士号」は取得してもいいのに、もったいないなぁ、と友人ながら思っている。


私たちの所属していたO大学大学院医学研究科では、博士号取得の条件は英語の原著論文をfirst author(第一著者:その論文を主に(ほとんどを)書いた人)として1編、second author(第二著者:その論文のfirst authorをサポートする実験をしたりして、その論文にある程度の貢献をした人)として2編を書き、博士論文が認められれば取得できる、となっていた。私たちが入学するまでは、「英語の」という縛りがなかったので、first authorの論文を学内の学術雑誌に載せることでクリアしていた人がそれなりに居たそうだが、それではよろしくない、ということで「海外の英文雑誌」という縛りが付いたと聞いている。私もsecond authorの論文は2編あるのだが、first authorとなれるほど研究を深堀していなかった(博士課程1年はほぼ受験生)ので、私は博士号には遠い人間である。


閑話休題。国立センターなどに勤務する医師は、初期研修を終えた後、厳しい選抜試験を受けて、そのセンターの専攻医となるか、大学医局に所属し、医局人事で移動するか、そのほかのルートとしては、海外で大きな功績を残して「部長職」に採用されるか、というある意味「医師としてのエリートコース」に乗っている人たちである。


私自身は、周りの人が歩きたがる道を敢えて外して進んできた。もちろん、時には選択しなく、そうせざるを得なかった選択もあるのだが、それでも「人の行く 裏に道あり 花の山」と考え、ブランド病院ではないが、たくさんの症例と、教育的な指導医のもとで初期、後期研修を受けることができた。もちろんいわゆる「ブランド病院」にも医学生として見学に行ったり短期研修を受けたりしたが、「有名ではないがとても教育的な病院」や「師匠と尊敬すべき指導医」にもたくさんお会いすることができた。


またもや脱線した。失礼。本題に至るまでの前置きが長いのが、私の文章のイケてないところだなぁ。


毎週水曜日は訪問診療の日。今日もいつも通りに出発し、いつもの患者さんの訪問に回る。お一人だけ、先週の予定の人が今週に回っていた。70代半ばの男性で、某国立センターにも通院中の方である。Stanford B型大動脈解離の合併症で腎血流が低下し、慢性腎不全となられた方。最初の大動脈解離の術後数年たってから、人工血管の接合部からleak(漏れ)が見つかり、しばらく保存的にfollowされていた。経過中、人工透析を視野に入れ、一般的には橈骨動脈を伴走する静脈に接合し、内シャント(シャント:短絡)を作るのが一般的なのだが、この方は上腕動脈を皮下に移動する手術を受けられ、上腕に透析路を確保されている。一度結構大きな脳出血を起こされたが、大きな後遺症なく回復されている。大動脈のleakについても再手術を受け、leakは止まったとのこと。その後いったん腎機能も少し改善したが、徐々に腎機能の指標となるクレアチニン(以下Creと略す)が上昇してきている、という患者さんである。


この方との最初のつながりは、私がこの方のお母様の訪問診療に携わったことから始まった。この方は長男として、お母様の介護を担われていた。お母様は医学的病名を付ければ、「徐脈性心房細動とそれに伴う反復するAdams-Stokes発作、慢性腎臓病、末期腎不全、アルツハイマー型認知症、廃用症候群」と長くなるが、ご家族の方には「医学的病名を付けると、たくさん病名が付きますが、その根っこのところは、『高齢(当時93歳)』に起因するものです。例えば50年前の医療であれば、この状態は『老衰』と呼んでいたと思います。『老衰』と考えていただいた方が、いろいろなことがスッキリわかりやすくなると思います」と説明していた。


不自然に寿命を延ばすようなことはせず、本人の苦痛が少なくなり、残り少ない日々を穏やかに過ごしてもらう、ということを目標に医療を提供していた。長男さんも、そのような私のスタイルに共感してくれて、ご自身に訪問診療が必要となった時に、「ぜひ先生にお願いしたい」と希望していただいて、訪問診療の主治医となった次第である。


また、先週の訪問診療が延期になったのは、ちょうどその当日の未明に、お母様がお亡くなりになったからだった。一時長男さんが前述のように体調を崩され、介護ができなくなった時に、残りのご家族が、お母様を施設に入所してもらうことを決め、施設入所となられた。そこで、私とお母様との訪問診療のご縁は切れてしまった。


お母様は私が訪問診療をしていた時から、「いつ旅立たれてもおかしくない状態です」とご家族にお伝えしていたのだが、それから2年近く、穏やかに施設で暮らしておられたそうであった。ただ、いよいよ食事が取れなくなってきたとのことで、その施設は「看取り」に対応していないとの理由で、お母様を急性期病院に搬送した。


搬送先の病院では点滴を受けておられたが、「急性期病院ではもうすることがないので、ゆっくり入院できる病院を探してください」と主治医からご家族に伝えられたそうであった。


3か月ほど前、私が長男さんの訪問診療に伺ったときに、「もしお引き受けいただけるなら、母を看取っていただけますか」と長男さん、長男さんの娘さんからお願いされた。もちろん訪問診療で見ていた方であり、受け入れるのに何の問題もない。「以前からお話ししているように、大したことはできませんが、ご本人がしんどくないように診ていきます」とお伝えし、お母様の入院を受け入れた。


健康成人の一日に必要な水分量は1.5~2Lと言われているのだが、おそらくそれを基準にしているのだろう。当院に転院されてきたお母様はパンパンにむくんでいた。紹介状を確認すると1500ml/日で点滴を行なわれていたようである。「看取り」を視野に入れた、心機能も腎機能も悪い高齢の方に、それだけの点滴量は多すぎて不適切である(最初に述べたとおり、1.5~2L必要なのは「健康成人」)。点滴量を500ml/日に減量(在宅看取りなら点滴をしないことも多いが、入院していただいているので、「なにがしかの医療行為」を行なわないと思わぬところからクレームが来ることがある。時には背中から切りつけられることも)して、「メイバランス」という、ドラッグストアでも購入できる栄養補助のジュースを取れる範囲でとってもらって経過を見ていた。穏やかに過ごされ、浮腫も徐々に改善し、入院2か月ほどで穏やかに永眠された。


そんなわけで、1週遅れて、長男さんの訪問診療に伺った。たまたま訪問した時、布団で横になられていたが、「ちょっとだけ待ってください」とおっしゃって飛び起き、大急ぎでズボンを穿き、いつも診察の時に座られるソファに腰かけられた。


お身体を診察し、お話を伺う。直近の国立センターの受診のことをお話ししてくださった。


「主治医の先生から、『Creが6を超えたから、透析の準備に入りましょう。入院の予定を組みます』と言われました。母の納骨が済んでから、と思っているのですが、毎回受診に行っても、血液データをチラッと見て、一言二言言われて、それで診察終了なんです。私がこのデータを見ても、本当に透析を始めなければならないのか、それも言ってくださいません。雰囲気が『質問は受け付けません』という感じなのです。先生、ご意見を頂けますか?」とおっしゃられて、データを見せてくださった。


Hb 8.4と貧血は進んでいるが、数か月前、Hb 14台で、センター主治医から「内服中のHIF-PH阻害薬を半量に減らしてほしい」と依頼があって減らしたので、おそらくそれが影響しているのだろうと考えた。BUN/Creは60台/6.2台と高めだが、電解質異常は目立たない。お身体を見せてもらったが、浮腫は認めない。腎機能が悪くなると、本来腎臓で排泄すべき老廃物(多くは酸性の物質)が蓄積するので、血液は酸性に傾いてくる(代謝性アシドーシス)。身体の酸性、アルカリ性の話は「酸塩基平衡」という話になるのだが、それを評価するためには、「血液ガス分析」と呼ばれる、普通の血液検査の機械とは異なる機械で評価する必要がある。


「血液ガス分析」では、血液のpH、酸素分圧、二酸化炭素分圧、重炭酸イオン濃度が測定される。なので、呼吸器科でもよく採取される。「酸素分圧」を考えなければならないときは、「動脈」から採血を行なう必要があるので、気を使うし、おそらく動脈血採血は医師だけが行なえる行為で、少し手間なのだが、腎機能の視点で「血液ガス」を見るときはpH、CO2分圧、HCO3濃度が重要で、酸素分圧はあまり関係がなく、この場合は、普通の静脈血を検体として問題ないのである。しかし、毎回採血しているのに、静脈血の血液ガス分析をしていないのはいかがか、と思った次第である。


「腎機能の指標として、Cre値を使うことが多いのですが、本当はCre値の逆数(1/Cre)を使うのですよ。大雑把に考えますが、健康な人のCreは1程度なので、Creの逆数も1であり、これを100%と考えてください。Creが1から2に悪化すると1→1/2となるので、数字としての変化は1でも、腎機能は半分になっています。ただ、このように考えると、前回の受診の時が5,今回が6と考えると1/5→1/6なので、20%→約17%の変化、ということになります。数字としては1変化していても、実際の腎機能は約3%の低下なので、これを「大きい」と取るか「小さい」と取るかは難しいです。「透析導入」を考えるときに一応導入基準の一つとして、Cre値が8を超えて、というものはありますが、本当に透析導入が必要なのは、腎臓が悪くなって、「水の管理がうまくいかなくなった」「イオンのバランスが狂ってきた」「体内の酸性、アルカリ性のバランスが狂ってきた」時の3つの場合です。若いうちに、腎機能に余力をもって透析を導入する方が、いろいろと身体への負担は少ないですが、今のデータを見て、もし私が、透析導入の権限を持っていると仮定すれば、『これは大急ぎで透析しましょう』とは言わないです」とお伝えした。


「いつも先生に、訳の分からない、大したことのない質問をしてしまいすみません。どうしても、先生に聞きやすいんです。先生も私が分かるように優しく丁寧に教えてくださるので、先生の説明を聞くと、『そうか』と納得できますし、すごく安心できます。本当なら、センターの先生に聞くべきことなのかもしれませんが、聞けるような雰囲気ではないんです。まるで『流れ作業』のように、血液データを見て、『はい、じゃぁ、こうしましょう。では次の方』と診察が進んでいくんです。たくさんの患者さんを診ているのは分かるのですが、私を診ているのか、私の『データ』を見ているのか、分からないので、すごく不安で、帰りはいつも落ち込んでいます。先生と話していると、『あぁ、先生は私のことを診てくださって、考えてくださってるなぁ』というのが伝わってきます。本当にありがとうございます」と言ってくださった。若輩者の私に過分なありがたい言葉である。


「医学的視点」でみれば、専門医の判断は正しいと思う。確かに若く、心機能の維持できているうちに透析を導入する方がトラブルは少なく安全である。ただ、「生活者」としての「人」が透析導入で、週に3回、4時間拘束され、透析後はヘトヘトとなることが多い、となると、なかなか「教科書通り」の医療をハンコのように押し付けても困るだろう。


というわけで、高度な専門性を持つ医師は必ず必要であるが、それと同時に、私のように患者さんと寄り添い、患者さんの助けになるような「何でも内科医」も患者さんの役に立っているのであろう。「ありがとうございます」と言っていただいて、こちらの方こそ「ありがとうございます」である。


そんなことがあった今日の訪問診療だった。


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