第465話 とても立派で、とても悲しい決断。

今朝の朝刊だったか、Yahooニュースがソース。私の記憶をもとに書くので、多少の誤差、思い違いはご了承願いたい。


確か8歳だったかと思うが、とある女の子が脳死状態となり、ご両親が臓器移植に同意され、腎臓、肝臓など3臓器が移植のため、摘出されたとのことだった。


摘出臓器に「心臓」が入っていないのは、この子供が実は心疾患で「臓器移植」を待っていた子供だったからである。


4歳の時に心臓の筋肉が菲薄化(薄くなること)し、筋肉の収縮力が著明に低下する「拡張型心筋症」を発症したとのことだった。薬の調整で、治療を行なわないよりわずかに寿命を延ばすことは可能であるが、根本的な治療法は「心臓移植」以外にはないのが現状(特に小児の拡張型心筋症では)である。


病状は経時的に悪化し、臓器移植の候補者となり、臓器提供者が現れるのを待機していたそうだ。


しかし心機能がどんどん低下していき、補助人工心臓で衰えた心臓の機能をサポートしなければならない状態となっていたそうだ。


以前にも書いたことだが、血液は、血管の内張をしている「内皮細胞」の存在下では固まらないが、内皮細胞のないところでは速やかに血液は凝固してしまう。もちろん補助人工心臓も、血液が凝固しないように装置の内部を処理したり、血液を固まりにくくする薬を内服したりしていたのだが、とても残念なことにある日、装置内で血液が凝固し、その固まった血液が脳の血管を詰まらせてしまった。


このような病態は「脳塞栓症」と呼ばれており、大きな血管を閉塞してしまうので、非常に広範囲の脳梗塞を起こしてしまう。この子供さんも、非常に残念なことに広範に脳にダメージを受け、「臨床的脳死」となってしまった。


ご両親は、この子供さんが、「臓器移植の候補者」として、長く臓器提供を待っていたことを思い、「臓器移植を希望している他のお子さんもおられる」ということを考えられたそうだ。今までは臓器提供を待つ側だったが、今の状態を冷静に考えれば、お子さんの臓器を提供することで、「臓器提供を待っていた子供さん」に「臓器を提供できる」と考えられ、「臓器提供」に同意されたそうである。


脳死判定を受け、正式に「脳死」と診断され、摘出された臓器は、移植を待つ子供たちのところに届けられた、とのことだった。


大切な子供の長い闘病生活、「レシピエント(臓器を受け取る側)」として、臓器を待っていた時間、病状が悪化し、補助人工心臓を装着しなければ命の維持ができなくなったこと、その補助人工心臓がもとで、広範な脳梗塞→臨床的脳死となったこと、これまで「レシピエント」の立場から「ドナー(臓器提供者)」の候補へと立場が変わったこと、これまでの闘病生活から、他の「臓器移植を待つ子供たちのために」と臓器提供を決定したこと、本当につらい決断を何度もされてきたことだと思う。その中で、「ドナーとなって、他の子供さんの命のために」と決断されたことは、つらいことであったと同時に、とても尊いことだと思った。


「対象の臓器」によっては「ドナーの命」と引き換えの臓器移植。心情的にも倫理的にも難しい問題を抱えながら進められている。臓器移植など「生」と「死」が絡み合っている医療、その在り方については常に問い続け、考え続けながら進めていかなければならない医療だと思った。「命」のバトンをつないでいくこと、その意味、家族の葛藤、そういったものもひっくるめて、症例ごとに深く考えながら進めなければならない医療だな、と改めて実感した次第である。

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