第464話 わ~っ!中止、中止!

現在、私が入院を担当している患者さんは約15人くらい。研修医時代は20~25人、時には30人を超えて担当していたが、若かったあの頃でも、25人を超えてくると、だれがどんな疾患で、どのような現状で、現在の治療内容と今後の方針はどうするのか、ということがつながらなくなってきていた。30人を超えると、もう私の頭の中はオーバーフローである。病棟から「先生、〇〇さんのことですが、」と電話がかかって来てもそれがだれか分からない。ということで、当時は少なかった電子カルテ導入病院であったこともあり、朝回診前に、自分の患者さんリストをプリントアウトし、それぞれの患者さんに対してその日すべきことをメモし、それに沿って仕事をしていた。ただ、プリントアウトしたものは、患者さんの名前、性別、年齢と部屋番号しか書いていないので、「何の病気で入院中」なのかが思い出せないことも、前述のとおり25人を超えると起きていた。


今は約15人くらいだが、やはり年齢によるものか、そろそろ患者さんの顔と名前と治療中の疾患が結びつかなくなってきている。特に、年齢も近く、病態も近い患者さん、となるとその二人の違い(家族関係、とか退院後の行先など)を記憶するのに時間がかかるようになっている。


当院での特徴として「医師別カンファレンス」と称して、各病棟で週に1回、各職種(看護師、リハビリスタッフ、薬剤師、栄養士、ソーシャルワーカー、訪問診療看護師)が集まり、それぞれの医師が、自分の担当患者さんについてカンファレンスをする、というルールになっている。研修病院や、大学病院などのように「医局」として患者さんの方針についてカンファレンスする、ということはないのだが、他職種で集まってカンファレンスをする、というのはいいことだと思っている。


閑話休題。先週は3日続けて、新入院の患者さんがお見えになられた(そして、別に一人が死亡退院、一人が自宅退院、一人が施設入所となっている)。この3人とも、90代の女性で、整形外科的問題で「リハビリ目的」で入院されてきたので、なかなか顔と名前、抱えている問題点、今後の方針がごちゃ混ぜになって覚えられない。3人のうち二人は右膝の関節痛があり、一人は偽痛風(関節内にピロリン酸カルシウム結晶が沈着し、「尿酸結晶」が原因で起きる「痛風」と同様の症状を起こす疾患)で「コルヒチン」という薬を飲まれている。1人は、右膝の関節痛と同時に、時々強い心窩部痛を起こす。前医は消化器内科で「消化器内科的には心窩部痛の原因は不明」とのことで、強力に胃酸分泌を抑える薬の内服をされている。この方は「心窩部痛」について「消化器内科的に」問題なし、ということだったが、例えば、狭心症や心筋梗塞でも「心窩部痛」を起こすことがある。高齢になるほど、虚血性心疾患の症状は非典型的になるので、こちらに転院後は、狭心症/心筋梗塞の可能性を考えながら診察をしている。もう一人は転倒して手首を粉砕骨折し、手術で整復した方である。


余談ではあるが、一か所でポッキリと骨が折れる骨折に対して、折れた骨が複数の骨片に分かれてしまうものを、一般の人は「複雑骨折」と呼んでいるが、実は医学的には正しくない。複数の骨片に分かれてしまう骨折は医学的には「粉砕骨折」と呼ぶのが正しい。


骨はほとんどが体の内部、深いところに存在するが、骨折の仕方によっては折れた骨片が皮膚を破って創が外界と交通してしまうことがある。このような骨折は「開放骨折」と呼ばれている。骨は細菌感染に非常に弱い臓器なので、「開放骨折」となれば事態は緊急となる。手術室で外界と交通した骨折部は創をさらに開放して十分に洗浄し、開放した創も必要があれば、汚染された組織を除去(debridement:デブリードマン)し、しっかり洗浄、十分に抗生剤を使いながら創と骨の管理を行なう、ということになる。


そして、医学的な「複雑骨折」は「粉砕骨折」ではなく「」を指す言葉である。これは、一般の人と、医療者の認識が全く異なる事例なので、言葉としての「複雑骨折」は使わない方がよいと思っている。


閑話休題。そんなわけで、入院して間がないことから、顔と名前、病態が一致しておらず、院内PHSで連絡を受けても、「コルヒチンを使ってる右ひざ痛の人」なのか、「心窩部もいたい右ひざ痛の人」なのか、「手首を骨折した人」なのかがまだつながっていない。


さて、ここからようやく、表題と関連する話になる(前置きが長い!!)


「コルヒチン」という薬、臨床でよく使われるのは「痛風発作」を繰り返す人に、「発作の予感」を感じたときに頓服で使っていただく、という使い方である。痛風発作を繰り返している人はほとんどが「あっ!痛風発作が来るな」とわかるようである。これは気管支喘息を持っている人でも見られる現象であり、痛風のベテラン患者さんや、気管支ぜんそくのベテラン患者さんや、患者さんが子供の場合はそのご両親が「発作が起きそうです」と来院された場合には、迷わずその言葉を信じて対応した方がよい、と思っている(本当によく当たるのである)。コルヒチンは「分子生物学」の分野でも重要な薬品であるが、臨床の先生方のどれくらいが、コルヒチンの作用機序をご存じだろうか?


細胞の中には「細胞内骨格」と呼ばれる、細胞の構造を維持するためのタンパク質が複数存在している。その中でも「微小管」と呼ばれる構造は、細胞の「移動」に関連するのと同時に、「細胞分裂」の際に染色体の移動に関連する構造である。微小管はそんなわけで重合して管構造を作ったり、分解したりを繰り返している。コルヒチンはこの「微小管」の重合を抑える、という効果がある。臨床的にもこの効果を利用しているわけである。


炎症を起こす中心である好中球と呼ばれる細胞は、炎症シグナルを受けると血管内から外に移動し、炎症の主座にやってきて、異物を貪食すると同時に様々な炎症性サイトカインを放出して、炎症を強める方向に働く細胞である。ちなみにいわゆる「膿」は、この好中球の死骸である。さて、そんなわけで、好中球は、わざわざ血管内から炎症が起きているところに移動する能力がある。移動するメカニズムの一つに、微小管の重合と分解が関与しているので、「コルヒチン」を使うと、炎症の場所に好中球が移動できなくなってしまう。ということで炎症を抑える薬である。「痛風」だけではなく、「メカニズム」ははっきりしていないが、好中球が暴走してあちこちに炎症を起こす「ベーチェット病」に対しても、コルヒチンを使うことが多い。


ただし、先ほども述べたように微小管は、細胞分裂の時に染色体の移動に関与しているので、細胞分裂も抑制してしまう。なので分裂の盛んな、血液の細胞や腸管の細胞にダメージを与え、白血球が減少したり、腸管粘膜がダメージを受けてひどい下痢をしたりする、という副作用がある。過量に投与すると命にもかかわることがある(細胞分裂ができなくなるので)結構気を遣う薬である。


はてさて、新入院の方には、入院翌日の朝空腹時に血液検査を指示している。紹介状からはある程度の情報が得られるが、ある程度しっかりと、臓器障害の有無や血液を介して感染する感染症の評価をしておきたいからである。上記に述べた「コルヒチン」を飲んでいる方も、入院翌日に採血を指示しておいた。入院翌日の血液検査は、重症の感染症などで入院した方でなければ、院内で検査できない項目も含め、外注でオーダーしている。外注検査なので、結果が返ってくるのに2日ほどかかる。


「コルヒチン」を飲んでおられる方、内服前は白血球数4000(約4000~8000)、好中球は68%(正常なら約45%~75%)と正常だったと前医からの情報であった。しかし、帰ってきた外注検査結果を見ると白血球数2000,好中球50%と好中球がずいぶん減少していた。


好中球が500未満、あるいは1000未満でさらに減少することが予想される場合を「好中球減少症」と呼ぶのだが、「好中球減少症」は「外界から侵入する細菌などと戦う兵隊さん」が「減少している」兵隊不足の状態で、免疫系が非常に弱っている緊急を要する状態なのである。


採血結果を見た途端、「コルヒチンの副作用による好中球減少症」とわかった。ご本人は今のところお元気だが、急いでコルヒチンを中止しなければならない。


「わ~~っ!中止、中止!」と心の中で叫びながら、「薬剤中止」の指示を慌てて薬局に連絡した次第である。

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