第459話 大人になったら、もう一度MRワクチンを打った方がいいよ

関東で「はしか(麻疹)」の患者さんが発生した、ということがニュースになっていた。感染経路は空気感染。新幹線の同じ車両に乗っていた人が麻疹を発症しており、それで感染したとのことらしい(当然、席は結構離れていた模様)。


COVID-19流行時、この病気は「空気感染」するのでは、と話題になったことがあった(現時点では「エアロゾル感染」ということになっている)。現時点で明らかに「空気感染」することが明らかになっている疾患は「麻疹」「水痘」「結核」の3疾患のみである。


「水痘」は、今では幼児期の生ワクチン接種が公費負担で必須となっているので、私が内科・小児科外来をしていたころよりもうんと発症は減っていると思われるが、好発年齢以外で発症すると、やはり危険な疾患である。原因ウイルスである「水痘帯状疱疹ウイルス」は、一度感染すると感覚神経の神経節細胞に潜み、ウイルスそのものは死ぬまで体内から排除されることはない。高齢者や、若い方でも免疫力が弱ったりしていると、「水痘」ではなく「帯状疱疹」として発症するが、免疫力のない方(例えば血液疾患で抗がん剤治療中など)に発症すると致死的な転機をたどることもある。


血液疾患のため、骨髄移植を受けた友人の体験談だが、とある日、かなり強い腰痛を感じ、整形外科を受診。その時点では皮疹が出ておらず、「筋肉痛」の診断で鎮痛剤とシップを処方。しかし痛みは悪化し、動くのもままならなくなった。「なんだかわけが分からないが、ただ事ではない」と思い、血液内科の主治医に連絡。「すぐに受診してください」とのことで大学病院を受診。少し皮疹が出現していたこと、痛みの範囲が神経支配領域に一致していたので、「帯状疱疹」と診断された。「今日来てくれてよかった。骨髄移植をすると、これまで罹患した疾患の免疫情報がリセットされてしまうから、帯状疱疹はよくあることなんだよ。入院すると他の患者さんに感染させる危険があるから、外来で抗ウイルス薬を処方するけど、受診が遅れて命を落とさなくてよかったよ」と言われたとのこと。


私が外来で診察した、40代男性で子供から「水痘」をもらった方。抗ウイルス薬をしっかり使い、解熱剤も2剤、目一杯処方したが、それでも1週間40度台の熱が下がらず、水分も取れないとのことで、フラフラになりながら受診し、2回程脱水補正の点滴をしたこともある。


好発年齢で発症すると、ほとんどの場合は皮疹がパラパラッと出て、37~38度までの微熱が出るものの、元気で推移するので、一般の人は「命にかかわる強毒性ウイルス」の疾患とは思わないが、「水痘」、実はとても恐ろしい疾患である。


「結核」はかつては死因の第一位だった疾患である。ということで「結核」は「死ぬ病気」ということは比較的よく知られたことではあるが、結核で他人に感染を広げるのは、疾患がある程度進行し、空洞を形成するなど局所の菌量が増加し、咳嗽などで「排菌」している場合のみであること、また、体内に結核菌が侵入し「感染」が成立しても、速やかに発症する人は10%程度、人生のどこかで発症する人も10%程度で、8割の人は「感染」しても発症せず、人に感染を広げることもなく終わる疾患である。


結核菌は「耐性菌」の問題があり、薬剤耐性の結核菌に感染、発症すると厄介なことになるが、「水痘」「結核」とも治療薬が存在し、治療法が確立している疾患である。


ところが、麻疹は空気感染をするだけでなく、感染すれば、免疫がなければほぼ100%に近い確率で発症すること、年齢にかかわらず致死的な経過を取ったり、遅れて進行性の脳症(SSPE)を発症するなど、感染してしまえば、「対症療法薬」で症状をごまかしつつ、「死んでしまわないようにお祈りする」ことぐらいしかできない疾患である。ちなみに麻疹の総死亡率は0.1%。1000人に一人は命を落とす。死因は、治療法のない「麻疹肺炎」や「麻疹脳炎」である。特に「麻疹脳炎」は予後が悪いことが知られている。


麻疹も幼児期に2回のワクチン接種が義務化されており、この2回のワクチンで小児期~思春期辺りまでは抗体価が維持されることが期待できる。麻疹ワクチン(今は麻疹・風疹混合ワクチン(MRワクチン)が用いられている)は優秀で、防御抗体を誘導することができ、ワクチン接種を受け、防御抗体が維持できていればほぼ完全に発症を防ぐことができる。


ところが、成人期になると抗体価が低下している場合が結構多い。春は進学の季節で、新たに医療系の大学や専門学校に進学した学生は、どうしても病院での実習を行う必要があるため、入学後すぐに麻疹、風疹、水痘、おたふくかぜとB型肝炎ウイルスに対する抗体価の確認、抗体価が不十分であれば、ワクチン接種を指示されることが多い。なので、外来に抗体価の検査目的で受診される方がチョコチョコとお見えになるのだが、多くの場合、麻疹の抗体価、それと風疹抗体価が2回のワクチン接種にかかわらず、基準値以下になっていることが多い。


そういう方には、抗体価を上げるためにもう一度MRワクチンを接種するのだが、外来で若い人の低い抗体価を見ていると、医療に従事する、しないにかかわらずMRワクチンは接種しておいた方がいいと思われる。もちろん妊娠を考えている人やそのパートナーは風疹に対する免疫をつけておく必要があるので、そういう意味でも、成人のころにブーストとしてMRワクチンを打った方がいいと思っている。


かくいう私も、数年前の診療所時代にMRワクチンを接種した。とある日の夜診終了後、有効期間がその日までのMRワクチンが2バイアル余ってしまった。高価なワクチンであるが、乳幼児~小児期のワクチン接種にも対応していたので、常にMRワクチンのストックも持っていたのである。


「先生、もう今日の外来は終わってしまいましたが、このMRワクチン、有効期限が今日までなのです。もう捨ててしまわなければならないのですけど、もったいないから接種しませんか」と看護師さんから声をかけてもらった。もう廃棄が決定しているワクチンである。それはありがたい話である。麻疹、風疹の抗体価は高いに越したことがない。


「ありがとうございます。すぐ問診票を書くので、ぜひ接種してください」とお願いし、問診票を作成、院長が残業されていたので、院長に診察してもらってワクチン接種の許可をもらってMRワクチンを接種してもらった。


なので、今のところ、麻疹、風疹の抗体価は心配していない。先日、帯状疱疹予防のため、水痘帯状疱疹ウイルスの生ワクチンを接種したところなので、水痘の抗体価も高いはずである。おたふくかぜも、たくさんの患者さんを診療所で診察しているので抗体価は高いはずである。ひとまずは安全か、と思っている。


少し脱線したが、もう一度大切なことを繰り返す。小児期に2回ワクチンを打っていても、新成人の年齢となれば、もう一度MRワクチンを接種しておくに越したことはない。自費なので少しお金がかかるが、医療職に就く、つかないにかかわらず、ぜひとも接種すべきだと思っている。


余談であるが、結核の感染の有無については、かつてはツベルクリン反応で、最近はクォンティフェロンやT-SPOTなどを用いる。日本ではBCGをほぼ必ず接種しているので、ツベルクリンは陽性に出ることが一般的である。ただ、結核に感染するとツベルクリン反応は強要性となり、発症し、体内に大量に結核菌が存在すると逆にツベルクリン反応は陰性化する。


初期研修医として病院に赴任した時はツベルクリン反応は陽性であったが、6年間の研修生活で何度か、自院で「結核」と診断された症例や、「排菌」しているが、致死的な併存疾患(あの時は、胃潰瘍による大量吐血だった)のため、「結核療養病院」での対応ができず、一旦そちらの治療をしてから「結核病院」に転院、という方の主治医を担当し、N95マスクは付けていたが、2回上部消化管内視鏡を行なったりした。


そのためか、診療所でツベルクリン反応を行なうと「強陽性」となった(研修医時代に結核菌に感染してしまったのね)。当時のガイドラインでは、「感染の契機が不明」な潜在性結核については、発症、排菌していなければ経過観察となっていた。現在はツベルクリン反応ではなく、前述のクォンティフェロン、T-SPOTで陽性となった場合は潜在性結核として、治療の対象となるようだが、35歳以上の方は、抗結核薬で肝障害を起こす頻度が高いため、やはり発症、排菌していなければ経過観察となっている。ということで、私の体内にも結核菌は眠っているが、現時点ではおとなしくしているようなので経過観察である。このまま、一生発症しない80%に入ればいいのだが。

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