第443話 和顔施(わがんせ)

出だしだけ、仏教のお話に付き合ってほしい。


仏道修行の中に「お布施」(布施波羅蜜)というものがある。自分の貪欲(むさぼる心)を律して、人に、「財」や「法」、「安心」を施す、という修行である。「財」を施すためにはもちろん「財」を持っていることが必要であるし、「法」を施すためには、「法」を理解しなければならない。となれば、「財」もなければ「法」の理解もない、という人はどうやって「布施行」を修していけばよいのだろうか?


仏教の偉大なところは、そのような人にもできる「無財の七施」というものを雑宝蔵経で説かれていることである。


簡単に言えば、「優しいまなざしで人に接する」「和やかな明るい顔で人に接する」「優しい言葉をかける」「何かをしてあげる」「人を思いやって行動する」という事も立派な布施行である、と説かれている。常に実践するのは難しいことではあるが、このような具体的なことを説かれていると実践しやすい。今回の「和顔施」とは「和やかな明るい顔で人に接する」という事であるが、お見舞いに行くことも「和顔施」になるのかなぁ、と思っている。



438話で、継父がCOVID-19罹患後から、呼吸苦が続き、パルスオキシメーターでも低酸素状態が続いており、高次の医療機関で精査中、と書いた。ずいぶんと継父は元気をなくしているとのことだった。


なので、一つは継父を元気づけるため、そしてもう一つは、誰にも言っていないが「もし突然に継父が亡くなったとしても後悔しないように」という理由で継父の顔を見に行くことにした。


後者の理由については、一度、骨髄移植を受けることになった友人をお見舞いに行くときにも考えたことである。平日の仕事終わりであったが、骨髄移植前に、友人の入院していた大学病院に行き、お互い2時間ほど馬鹿話をして、「元気でな」と別れた。幸いなことに彼は無事骨髄移植を乗り越え、今は社会復帰しているが、私の心の中では「もしかしたらこれが彼との今生の別れかもしれない」と覚悟をして、お見舞いに行ったことを覚えている。


さてさて、そんなわけで継父と母の家に行くことに決めたのだが、継父の大病院受診日は月曜日、私も月曜日はお休みなので問題はないのだが、問題は前日だった。前日の日曜日は17時まで、訪問診療患者さん急変時対応の宅直に当たっていた。そんなわけで17時までは動けない。そして、17:30からは、毎週欠かさず見ている「笑点」がある。


「笑点」と「おやじ」、どっちが大事やね~ん!とツッコミが入りそうだが、そういったことを考え、18時ころに家を出ようと考えた。


当日は大雨だった。家族の誰かが雨の日に、駅前まで出ないといけない時は「お父さん、車を出して」と言われ、家族を車で駅まで送るのだが、あいにくと私が外出するときは、私以外に車を運転する人がいないので、誰も駅まで送ってくれない。タクシーを使おうと思ったが、雨の日曜日の夕方、タクシーなんてなかなか捕まらない。捕まらないタクシーを待つよりは、多少(ずいぶん)濡れても、歩いて駅に出る方が早い。そんなわけで、大きな傘を差しながら、自宅を出て、新幹線を乗り継ぎ、両親、弟たちの住む街に向かった。


新幹線の窓に激しく打ち付ける雨粒の音、その日は日本中で大雨だったようだ。


新幹線の中から、母に駅への到着時刻を送る。迎えに来てもらうためである。夜の新幹線はある意味退屈である。というのは車窓から外が見えないからである。「移り行く車窓」を眺めるのは好きで、いわゆる「都市」に生活していると、夜でも家の光やお店の光が車窓を流れて行き、夜とはいえ車窓は移り変わっていくのだが、新幹線や速達列車で長距離を移動すると、「都市」と「都市」の間には、田んぼなどが広がって、あまり人の気配のないところが広がっている。窓にうんと顔を近づけるとそれでも変化はわかるのだが、今回は通路側に座っていたので、そんなことをするわけにもいかない。ぼんやりとしていると、最寄り駅に到着した。


改札を出ると弟たちが迎えに来てくれていた。「おう!久しぶり!」と弟たちに声をかける。私は三人兄弟の長男になる。私と二番目は、母と、私の実父の子供、三番目は母と養父の子供である。継父は3人に分け隔てなく接してくれ、私を「家族3人兄弟の長男」として遇してくれている。実子と連れ子で待遇が違う、という事がよくある世の中で、実子ではない私を「長男」として立ててくれる継父は、本当にありがたいものである。


弟の車に乗り込んで、家に着くまでの間、それぞれの近況を聞く。末弟は診断を受けたことはないが、若干の発達障害を持っているように感じるのだが、正社員の職が決まり、頑張って働いているそうだ。次弟も頑張っているようである。ワイワイとしゃべっているうちに継父たちの住むマンションに到着した。次弟が車を止めて、そのマンションの向かい側の位置になる建物を指さして、「こっちが俺の家」と言った。


両親の近くに住んでいる、とは聞いていたが、まさかお向かいさん、とは思わなかった。「スープの冷めない距離」どころか、「大声で呼べば聞こえる」距離である。母と、義妹の関係は母と妻との関係よりは悪くないようだが、それでもこれは気詰まりであろう、とちょっとかわいそうにも思った。


弟たちと、継父たちの家に訪問する。


「おう!よう来てくれたなぁ、ありがとう」と継父(いつも「父上」と呼んでいるので、以下そのように書く。「おやじ」とか、「お父やん」とは言えても、「お父さん」と呼ぶのは難しい。実父と暮らした時間の2倍、いや3倍ちかく継父と過ごしているが、やはり「お父さん」は実父であり、継父は「父上」である。もちろんこれは呼称だけの問題で、継父も実父同様に敬愛し、実父と同じように接しているのはもちろんのことである)が迎えてくれた。


なんだかこの1年で、父上もずいぶんと年を取ったように感じた。先日実家の売却で母がうちに来てくれた時も、「年を取ったなぁ」と思ったのだが、父上にもそのような感慨を持つ日が来るとは思ってなかった。


「これ、お土産。慌てて買うてきたからごめん」と母に「柿の葉寿司」を渡し、「父上、さっそくで悪いけど、診察させてもらっていい?」と聞いて、持参した聴診器とパルスオキシメーターで診察する。パルスオキシメーターでは、やはりSpO2は91~92%と低い。本当はスポーツ用品店で携帯酸素を買って、酸素を吸った状態でのSpO2を図ろうと思っていたのだが、スポーツ用品店に行く暇がなく、それはできなかった。


心音は特に問題なく、心雑音や過剰心音は聴取しなかった。半坐位になってもらったが、頚静脈の怒張は目立たず、下腿浮腫もなく、心臓に大きなトラブルはなさそうである。呼吸音も聴診したが、特記すべき副雑音は聴取しなかった。肺胞呼吸音もしっかり聞こえていて、確かに低酸素血症の原因がわからない。このような場合に、COVID-19の血栓形成傾向も考慮して、肺塞栓や肺高血圧なども鑑別に上がるのだが、前回受診の結果ではそちらもないとのことだった。


「父上、胸の音はきれいやわ。確かに酸素が低くて、ちょっとしんどいけど、専門医の先生にしっかり診てもらおう。明日、俺も一緒に病院についていくから」と笑顔で伝えた。


「あぁ、お兄(おにい、長兄である私のこと)が来てくれて、診てくれて、話を聞いてくれたらホッとするわ。それだけでも気分が楽になった。ありがとうなぁ」と父上は答えてくれた。


そのあと、しばらくは両親、弟たちと、そして、翌日は仕事なので弟たちはベッド、自宅に向かい、両親と私とで他愛無い話をしていた。継父は72歳だが、資格を取って、子供のデイサービスで働いているとのこと。継父は基本的に子供好きで、だから子供たちも継父になついて、すごくやりがいをもって仕事をしていたそうだ。毎日子供たちを追いかけたり、子供たちに追いかけられたりして走り回っていたので、それができないのがつらい、と話していた。


継父がお風呂に入っている時に母が、


「あんたが来てくれて、お父さんもすごく表情が明るくなった。○○(次弟)もいつもより表情が柔らかくなった気がするよ。来てくれてありがとう。私もあんたの顔が見れてうれしいよ」と言ってくれた。


私が何をしたわけではないが、これも立派な「和顔施」なのだろう。感謝してもらい、ありがたいことだと思った次第である。

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