第414話 「生活保護費減額」に対する裁判と判決から。

本日、大阪高裁で「生活保護費減額」にかかわる裁判で、原告である生活保護受給者の訴えを退ける判決が出た。ネットでも様々なコメントが飛び交っている。


「文化的、健康的な最低限の生活を保障する」制度として「生活保護」があり、多くの人はその規則の中で生活している。その一方で、医療者として数多くの患者さん、特に、地域の「かかりつけ医」として、いわゆる「貧困地域」に居住している人たちも含め、その生活を眺めていると、「それは、生活保護の制度として禁止されているのではないか」と思われることをしている人もいるのが現実である。


研修医時代、ERで当直帯にしんどい仕事をしていると、そのような現実を目の当たりにして、「俺、何のためにこんなにしんどい思いをして、馬鹿みたいに税金を取られている生活を送っているんだろう?俺よりも、「生活保護」を受けているこの人たちの方が、高級な洋服を着ているし、本来持つことも借りることも禁止されている車、しかもThree-Pointed Starが付いたカギを身に付けているし、変だろう」と常に思っていた。


今も、訪問診療に回っていて、


「次の〇〇さん、体調はどうですかね?」と、同行の看護師さんに尋ねると

「体調は良さそうですよ。生活保護費が支給されたら、車を運転してパチンコに行ってるそうですよ」

「ありゃ、高齢やし、車は辞めてもらわなあかんなぁ」


なんて話が出ることも珍しくはない。


それはさておき、私がここで言いたいのは、生活保護費の減額が違法か、適法か、ということではない。


ネット上のコメントで、NPO法人代表の方が、判決に対しての反論を記載していたのだが、その一部に、個人的には「こちらが問題では?」ということがさらりと流されていて、そこが「おかしかろう」と思ったのである。


今野晴貴氏(NPO法人POSSE代表)のYahoo Japanの該当記事に対するコメントから

<以下引用>

今回の生活保護基準引き下げは、その手法が多くの批判を浴びてきた。(中略)また、生活保護から漏れている低所得世帯が含まれる所得階層下位10%層との比較を行なっているため、この手法をとる限り、際限なく保護基準が下がってしまう。

<引用ここまで>


「生活保護制度」が、憲法で保障する最低限の生活を保障する制度であるならば、本来は「生活保護から漏れている低所得世帯」は存在しないはずであり、存在してはいけないはずである。むしろそのような世帯を「生活保護制度」でサポートしなければならないはずである。


しかし、氏の展開している理論では「『生活保護を受けている世帯』よりも貧困である人たちが含まれている所得下位層を比較の対象としているから『際限なく保護基準が下がってしまう』」というものである。本来は「このようなことが起きてはならない」はずであり、「生活保護費の減額」よりも、「生活保護を受けて生活している人たち」よりも「貧しい生活」を送っている人が存在(しかもそれなりの割合で)している、ということがより優先すべき、あるいは深刻な問題ではないだろうか?


もちろん弁護士の仕事が「依頼主の利益の最大化」であることは把握している。なので、この裁判で出てくる弁護士は「生活保護減額に反対する人たち」の利益のために働くのであって、「生活保護世帯」以下の生活をしている人の味方ではない。「依頼人の味方」であって、「社会的正義の味方」ではない、ということを考慮しなければならない。


私の育った家庭が、生活保護世帯と同等、あるいはそれ以下の収入で生活していたのであろうことは子供心ながら薄々感じており、両親だけでなく、本当にいろいろな人の助けを受けて、今の私があることを痛感しているだけに、このような「生活保護減額に反対する」法曹人が「人権派」あるいは「庶民派」と時に扱われることに強い違和感を感じた次第である。

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