2023年 4月

第400話 悔しい…。大変申し訳ない。

医師が診断を進めていくプロセスも、数学的基盤を背景に「内科診断学」あるいは単に「診断学」(他の診療科の医師も、同じように考えていくから、「診断学」とする方が適切だろう)として、医学の一分野を担っている。もちろん私も、日々の診療で意識したり、あるいは無意識のうちに「診断学」のロジックにのっとって診療を行なっている。


診断学の数学的背景は極論すれば、「ベイズ確率論」に依存しているといっても過言ではなかろう。地域によって、あるいは性別によって、あるいは年齢によって、あるいは所属する社会集団によって、それぞれの疾患についての存在確率はあらかじめ存在している(「有病率」と言っても良い)。「診断学」はその有病率(「事前確率」と表記することもある)をもとに、病歴、身体所見、各検査を用いて、疾患確率を算定し(算定されたものを「事後確率」、病歴や身体所見、各種検査が事前確率に影響を与える能力を「尤度比」とする)、正しい診断の確率を上げていく、ということが「診断学」でいうところの「診察、診療」そして「診断」ということになる。グダグダと記載したが、診断学で使う数学的概念はただ一つ、ベイズの定理と呼ばれているが、「事前確率×尤度比=事後確率」とこれだけである。病歴聴取、身体診察の能力は、各個人によって能力が異なるため、一義的に尤度比を決定できないが、その他の検査については、各研究によって、「尤度比」が明らかとなっているものも多い。


さて、現実の医療現場では、すべての患者さんに必ずしも「診断学」を用いて診断を行なっているわけではない。ベテランの医師であればあるほど、「直感に基づく診断」を行なう割合が増え、その正診率も上昇していく。なので経験のある医師は、頻度が高く、典型的な症状を呈している場合には「直感的診断」を用い、「何か変だぞ?」と感じるときには、「教科書的アプローチ」を行なっている。


医学の世界の「格言」の一つに「ひづめの音を聞いたら、走ってくるのはシマウマではなく、ウマだと考えよ」というものがある。よく似た格言として”The common things are common.”や、「『頻度の低い疾患の典型的な症状』よりも、『よくある疾患の頻度の低い症状』のほうが頻度が高い」などというものもある。いずれも、「まれな疾患ではなく、よくある疾患から考えよ」という教訓である。数多くの人を適切に診断する、という目的ではこれらのことは適切であると考えられており、私自身もそう思っている。


しかしながら、時には「シマウマ」が走ってきていることがあり、しかも「日の出」前でシルエットしか見えていないから「てっきり馬だ」と思っていて、日が昇ってびっくりする、ということがあるわけである。この状態は診療の現場でいうところの「誤診」ということになるが、非常に残念な、でも避けられない現実として、「確率」をベースにして組み立てられた学問である「診断学」では、「誤診」を完全に排除することは理論的には「不可能」である。


今日も外来担当日、いつものごとく、患者さんを診察して、処方を出したり、患者さんのお話を傾聴したり、当院で扱いきれない疾患については、高次医療機関への紹介状を書いたりと仕事を頑張った。


診察が終わり、紹介状も書き終わったところで、前の週に撮影したCT画像の読影所見が返却されてきた。当院は紙カルテであり、このような所見は、紙媒体として返却されてくる。外来にそれぞれの医師に対しての「書類ボックス」があり、そちらに、自分がオーダーした検査の所見用紙、結果用紙や、紹介患者さんの他院からの返信などが入れられていく。土曜日の外来診察室の横に、私の書類ボックスがあるので、所見を挟みに来たスタッフが、「先生、所見です」と、ボックスではなく、机の上に、私のオーダーした患者さんのCT所見を置いてくださった。結構厚みがあり、「うわぁ、結構CTオーダーしたんだなぁ」とつぶやきながら、所見を確認し、確認のサインをする。確認のサインをしたものは、スタッフがそれぞれの患者さんの紙カルテに挟んでいく、という流れになっている。


日付と名前でなんとなく患者さんを思い出すことが多い。めったに「うわっ!」と驚くことはなく、大体、診察室で自分が読影した結果とほぼ一致していることが多い。時には私が「所見の取りすぎ?」と思うこともあるのだが、一枚一枚所見を見て、サインをしていく中で、「うわっ!」と思う所見用紙が入っていた。オーダーは「胸部CT」なのだが、所見には「大きな肝腫瘤影と多発する低吸収像を認める。多発肝転移疑い」と記載があった。ほかにもいくつか所見がついており、所見と、ここ最近で診察した患者さんとのつながりが出てこなかった。


所見用紙は、表に読影医の所見が記載してあり、裏に、オーダー用紙が貼ってある。オーダー用紙にはコメント欄があり、私はそこに、検査を行なう理由、確認したい疾患、重点的に見てほしい臓器などを「読影医」に分かりやすいように、伝わりやすいように心がけて記載している(これも初期研修医時代からの習慣)。表の所見を見ても誰のことか分からなかったので、裏の自分の書いたオーダー用紙を確認した。そこでもう一度「うわぁ~!」と驚いた。


患者さんは、前回紹介状を書いた、「咳が続く」とおっしゃっていた女性だった。


1月上旬に風邪症状を契機として、咳だけが止まらず、他院に受診したが改善無い、とのことで1月下旬に私の外来にお見えになられた方だ。


実臨床で、「風邪をひいて、鼻水とかは治ったけど、咳だけが続いてしんどい」という方は結構おられる。頻度で考えると、「いわゆる『感染後の咳嗽』」「上気道感染を契機に出現した(咳)喘息」「難治性の咳が続く感染症(マイコプラズマ、百日咳など)」が多く、見逃したくない疾患としては、「結核」と「肺癌」である。考慮すべき疾患(鑑別診断)としてはこれらのものを考え、初期評価として、胸部レントゲンと血液検査を行ない、その時点でどちらも明らかな異常を認めないため、頻度の高い疾患に対して暫定的に治療を開始した。他院でマクロライド系抗生剤を処方されており、マイコプラズマ、百日咳については治療後、と考えた。


その後、薬を調整し、咳は一時軽快したが再増悪した、とのことで2月中旬に再受診され、薬を再開。3月中旬の受診時に「平日の仕事中(家から離れているとき)は咳はましになり、帰宅したり土日など(自宅にいるとき)に咳がひどくなる」とおっしゃられていた。ご自宅について確認し、「過敏性肺臓炎」を考え、ステロイドを数日浸かっていただいた。前回の診察時には、ステロイドを使ってもやはり咳が改善せず、「大きな病院を紹介してほしい」と希望されたため、大学病院を紹介した、という経過の方である。


CT所見からは腹部臓器(肝転移が目立つなら大腸がん?)に原発する悪性腫瘍が想起され、そのような疾患の主訴として「咳が止まらない」というものは、きわめてまれである。普通に考えても、


「咳が止まりません」

「じゃあ、大腸カメラを」


なんていうのは不自然である。上部消化管内視鏡は、咳の性質が、GERDによるものを疑えばありだと思うが、病歴聴取ではそれらしい印象を受けなかった。


これは私の心に非常に堪えた。診断がつかなかった2か月間を無駄に使ってしまったことに対して、患者さんには大変申し訳ない、と思った。再度初回の胸部レントゲンを見返してみるが、「異常がある」と思って読影しても、正面像、側面像とも、異常影は分からなかった。


まさしく「夜明け前に蹄の音が聞こえてきたので、ウマが走っていたと思っていたが、日が昇ると、目の前にシマウマがいた」状態である。振り返れば、CTを撮影するタイミングや、転院を考えるタイミングなど、反省すべき点がないではないが、診断学の流れを考えると、自分がとんでもない認識ミスをした、というわけではないように思われる。ただ、結果論だけを見ると、とんでもない「ヤブ医者」状態となってしまい、申し訳なさと悔しさで、思いきり凹んでしまった(今も凹んでいる)。ただただ、申し訳なくて、悔しい…。

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