第393話 「見出し」で変わる印象。

大分県立病院で、「膵臓がん」を疑われ、2022年6月に膵臓全摘術を受けられた患者さんが、術後の病理検査で悪性の所見なく、同年9月まで入院療養後退院、11月に死亡した、という症例に対して、遺族側が病院を訴えた、という報道があった。


病院側は「争う姿勢」ということで、おそらく「病院側」に「決定的な不手際」はないと判断しているのだろう。


それはさておき、このことについて、新聞社2社がそれぞれ見出しをつけているが、「見出し一つで、与える印象ってこんなに違うのだなぁ」とあらためて思った。


読売新聞の見出しは「がん疑いで膵臓全摘出、病変なしで退院した男性が自宅で死亡...遺族が賠償請求」


毎日新聞の見出しは「がん誤診で膵臓全摘、死亡。遺族が賠償請求。病院側は争う姿勢」


膵臓は腹部の一番奥にある臓器で、しかも血管や臓器、脂肪組織の中に埋もれている臓器なので、その評価が非常に難しい。ネットのコメントでも「なぜ生検もせずに手術したのだ」というコメントがある一方で、「膵臓の組織の生検は侵襲度が高く、悪性の場合は「生検」をすることで「播種(がん細胞が散らばること)」のリスクも高いため、生検を敢えて行わないで手術適応を考えることもある(このコメントはおそらく専門家からのものだと思うのだが)」というコメントも見られた。


「膵臓がん」あるいは「膵腫瘍」の外科的治療は技術的にも難しく、専門性が高いものなので、「何でも内科医」が簡単にコメントできるものではないことをまずここで断っておきたい。


膵臓は大きく2つの仕事を担っている。一つは「外分泌器官(外分泌:その臓器で作られた分泌液を、導管を介して他臓器に分泌する形態)」として、強力な消化液を分泌すること、もう一つは「内分泌器官(内分泌:その臓器で作られた分泌液(ホルモン)を直接血管内に分泌する形態)」として、インスリン、グルカゴン、ソマトスタチンなどのホルモンを分泌する臓器である。外分泌器官としても、内分泌器官としても生命の維持にきわめて重要な臓器であると同時に、腹腔内の一番奥に存在していること、臓器自体が血管や腸管とくっついており、臓器として「一塊」として扱うことも難しい臓器である。


膵臓の検査としては比較的行われる頻度の高いERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)という手技(膵臓については、主膵管を造影し、主膵管の走行や内壁の不整を確認する検査)も、慎重に行わなければ膵炎を起こすことがあり、ERCP後の急性膵炎はそれほど珍しいものではなかった。幸い、私が手技のメンバーとして入ったERCPでは合併症としての急性膵炎は「運良く」経験しなかったが、自施設でも、他施設でも、ERCP後に重症急性膵炎を発症しICU管理となり、集中治療にもかかわらず患者さんが亡くなられた、という症例があったと耳にしたことがもある。


「生検」についても、当然体表からの生検は不可能であり、内視鏡を胃内あるいは十二指腸内に挿入し、同時に超音波プローブも同部に挿入し、超音波ガイド下に生検する、ということとなる。なので、「生検」そのものが大仕事である(胃や大腸の粘膜生検とはレベルが違う)。腹腔鏡を使うことがあるのかもしれないが、それとて、膵臓は「後腹膜臓器(腹膜の後方にある、腹膜「外」臓器)」であり、おそらく、広範に胃、横行結腸、肝臓を除けないとアプローチできないので、多分内視鏡下超音波ガイド下生検が最も侵襲の少ない生検方法となるだろう。先ほど述べたように悪性腫瘍の生検では「播種」のリスクがあること、また膵臓は先に述べたように「強力な消化液」を作る臓器で、食事として摂ったタンパク質、脂質、糖質のすべてに対しての分解酵素を含む「膵液」を作っているため、膵臓に不必要な侵襲を加えると、膵臓内で「膵液」が活性化し、自分で自分の腹部臓器を消化し始めてしまう(この状態を「膵炎」という)。なので、可能な限り検査で膵臓を刺激することは行いたくないのである。


どの病院でも、手術を行なう外科チームは、少なくともそれなりに大掛かりな手術を行なう場合には、術前カンファレンスを行なうはずである。手術適応を確認し、本当に必要な手術であること、予定している術式が適切なものかどうか、誰がどの手術に入って、それぞれのメンバーの仕事などを細かく議論し、そのうえでご家族にリスクとベネフィットを説明し、同意を得たうえで手術を行なう。「膵全摘」を予定していたのであれば、非常に詳細かつ厳しい術前説明があったことは想像に難くないと思われる。


そんなわけで、この症例で膵臓病変部の生検を行なわずに「手術」となっていたとしても、外科チームは明確な医学的根拠をもって手術に踏み出しているはずである。術後の病理検査で「膵がんと思しき細胞が見つからなかった」という結果が返ってきたとしても、おそらくそれも織り込み済みで手術をしているはずである。


「病理が陰性」という可能性も織り込み済みで手術に踏み出しているわけであるから「誤診」という表現は不適切である。という点で、読売新聞の見出しは毎日新聞の見出しよりも「正確」である。


6月に手術をして、退院するまでに3か月近くかかっており、術後のコントロールは大変だったことが推測される。手術を行なった「大分県立病院」は病院の分類でいうと「急性期病院」にあたると思われ、本来は制度上、もっと早くに患者さんを退院させる必要がある。それをここまで引っ張っているのだから、よほど病状のコントロールが大変だったのだろう。


その後も医療介入が必要(入院加療が適切)と考えられる場合には、私の勤務しているような療養型の病院に転院し、治療を継続することが多い。患者さんが「9月に退院」となったのは、おそらく「病状がある程度落ち着いたこと」以外に、「患者さんが強く退院を希望された」ということがあったのではないか、と推測している。病状が落ち着いていなければ、他院での入院継続を強く推奨されると思われるし、ご本人が「強く退院を希望」されれば、「強制的に入院を継続させる」ことはできない。


膵全摘を受けられた方は、インスリンの分泌が全くなくなるわけであり、1型糖尿病と同様に、継続してインスリンの注射が生命維持に必要である。食事を取った時には必ず消化剤を飲まなければ、食べたものが消化されないまま便に出てしまう。そんなわけで生活の制限は大変で、生命維持のために毎日必要な行うべきことが複数あったはずである。


患者さんは9月に退院し、11月に自宅で死亡されているのが発見された、とのことであり、ここは勝手な推測だが、定期通院がしんどくなる、あるいは面倒となって、必要なインスリンなどの薬がなくなってしまい、それをそのまま放置したために、インスリン不足から糖尿病性ケトアシドーシスを発症。本当に本人が動けなくなり、仮に本人が独居だったとしたら、そのまま状態が悪くなって亡くなってしまった、というのがストーリーではなかろうか?


県立病院側は、おそらくそのようなカンファレンスや手術の必要性、手術そのもののリスクや術後生活で配慮すべきことをきっちり説明し、その記録を文書として残していることから、「法廷闘争」で争う姿勢を見せているのだと思われる。


「膵臓」という臓器の扱いにくさを踏まえたうえで、医療水準に合わせて妥当と思われる司法判断が行なわれることを期待している。


最後になったが、読売新聞と毎日新聞の見出し、同じ事件を取り上げていても、受ける印象が大きく違う。毎日新聞の「誤診」という表現が正しくないこと、主治医団は「術後の検査で『病理組織が陰性』で返ってくる可能性も考慮したうえで「手術」に踏み出していることをわかっていただければ、と思う。

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