第380話 医者が「医者を信じるな」って言ってもなぁ

ソースはPRESIDENTOnline、和田秀樹氏の著書「90歳の幸福論」をわかりやすく再編集したもの、とのことである。


和田氏曰く、「なぜ医者の言葉は信用ならないのか。その最大の要因は、現代医学では「個人差」というものを考慮していないからです」とのこと。


氏曰く、医者の「健康」に対するアドバイスはその基礎となる「エビデンス(evidence:根拠)」が結局確率論にとどまり、人々の「個人差」を考慮していない、と論じている。


確かにそれは正しい。「エビデンス」となる研究の多くは、薬剤の効能であれば「二重盲検試験(ある疾患に対して、「新薬」と、これまで使われ来た「旧薬」あるいは効果のない「プラセボ」を用意し、被検者をなるだけその他の条件(年齢、性別、体格、基礎疾患、対象とする疾患の進行度など)を近づけたペアを多数作る。与える薬が「新薬」なのか「旧薬あるいはプラセボ」なのかは、患者さんにも、投与している医師にもわからないようにして(研究を主導しているコーディネーターだけが知っている)投薬、その後の経過を追い、「新薬」群と「旧薬・プラセボ群」の治療効果を比較し、新薬の効能を確かめる試験。患者も医者もどちらの薬を飲んでいるのかわからないので「二重盲検」と呼ぶ)、また、「生活習慣や、特定のバイオマーカー(血圧や血糖値など)」と「疾患の発症のリスク」の評価をする目的であれば、「前向きコホート研究(先ほどと同じように患者さんのペアを同様に多数作り、片方は治療介入を行なう。もう一方は治療介入を行なわない。その状態で数年間経過を追い、「介入群」と「非介入群」で発症頻度の差を確認する、という試験)」である。


いずれもできる限り「個人差」を無くそうと努力している手法ではあるが、もともと人それぞれが異なる遺伝子を持ち、実験動物のように「均一」な存在ではないので、「個人差」を消すことができない、という限界があるのは(医師であれば当然)理解している(はずである)。


というわけで、私たちの持つ「エビデンス」には限界があり、高齢になればなるほど「個人差」が大きくなるので、「エビデンス」の押し付けが不適切、というのは正しいだろう。


では、氏が「エビデンスがある」という事は「確率が高い」という事だけで、「個人差」を考慮していない、という論を張るのであれば、「エビデンス」を越えるだけの「客観的個人差」を提示するものは何だろうか?


氏は例えとして「朝食」を例に出し、「朝食を食べた方が調子が良い」と答えた人が7割、「朝食を抜いたほうが調子がいい」と答えた人が3割、という結果が得られた場合、医師は「朝食を食べた方がいいですよ」と患者さんに勧めるが、もしかしたら自分は「朝食を食べない方が調子がいい」3割の人なのかもしれない。そうであれば、医師の勧めで朝食を食べるとかえって調子が悪くなるだろう、と論じている。


では、この人が「朝食を食べない方が調子がいい」人と判断する指標は何だ、という話になるわけである。それが明確になっていないのなら、確率の高い方を勧めるのが妥当ではないか?


という点で、残念ながら論理は破綻しているわけである。「この人は朝食を食べない方がいい人」という事を指し示す客観的指標がなければ、ある程度科学的に証明された「確率の高い方」を選択せざるを得ないのである。


また、「肉食」の話にも触れられている。日本では高齢者に「肉を食べないように」と喧伝している、と記載しているが、いったいいつの時代の話をしているのだろうか?

日本では「長寿の人は肉をしっかり食べる人が多い」という事実は有名である。ただし、逆は真ならずで、文献名を忘れてしまい申し訳ないが、先ほど述べた「前向きコホート研究」で、高齢者で「肉食」を勧めた人とそうでない人を比較した結果、その寿命には統計学的有意さが出なかった、という報告がある。なので、「長生きしている人には、しっかり肉を食べる人が多い」のは事実だが、「肉を食べると長生きする」というのは正しくないのである。


高齢者の方は全体的に食が細くなり、一食をお茶漬けと漬物で済ませてしまう、というような方が結構おられ、高齢者のたんぱく摂取量が少ないのは実際に問題である。なので、食事の話をするときには「食事の時はご飯と漬物だけ、ではなくて、そこに玉子焼きとか、お豆腐とか、お肉とか、たんぱく質もとってくださいね」とお話しするようにしている。腎障害でタンパク制限(とはいえ、全くたんぱく質を取らない、という事ではない)をされている方でなければ、あるいは高齢者であればただでさえたんぱく摂取量が少ないのであまり制限を考えずに、動物性、植物性にかかわらず、もちろん肉でなく、お魚でもよいので、「たんぱく質もきっちり取りましょう」と指導している。


という事でも、肝心なことを落としてしまっている議論である。


また、氏は、日本人の死亡率の第一位が「ガン」であることについて、「世界的に見て、日本人に不安症が多いことも一因でしょう」と書いている。これこそ、どこに「エビデンス」があるねん!と言いたくなってしまう。


がんの発症率は加齢とともに増加し、50代を境に急速に加齢とともに発症率は上昇していく。日本は世界で有数の高齢者の国である。脳血管障害や心血管障害は生活習慣や医療の介入によって発症時期を遅らせることができる(具体的に言えば、ある年齢までは生活習慣の乱れなどが脳血管障害、心血管障害の誘因となるが、ある程度の年齢を越えれば、「年齢」そのものが最大の危険因子になる、という事)という事を考えると、結局、日本人の死因の一位が「ガン」だという事は、単純に「日本人に年寄りが多くて、多くの人が健康に気を付けているから、「ガン」くらいしか死因にならない、という事である。誰でも年を取れば、どこかにがんができるのである。ただそれが死因となるのか、気づかれないままにほかの疾患で亡くなってしまうのか、それだけのことである。


確か氏は、私が受験生のころは「和田式勉強法」と言って受験対策の本を出版していたと記憶しているのだが、数学的思考力は大丈夫なのだろうか?と思ってしまう記載である。


氏は、「健康」という事と関連して、健康診断の結果にも触れている。氏が「健康は主観的なものである」と述べていることについては私も賛成する。WHOの「健康」についての定義は「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」というものであり、「すべてが満たされた」と感じるのは他者ではなく「自身の内面」であるので、そういう点で、「主観的」なものと言えるであろうと思う。


その一方で、健康診断の異常値の在り方については、非常にルーズな議論をしていると思われる。


病院などで血液検査などを受けると、自分の値の横に基準値が表記されているが、氏の表現は少し不正確で、「健康と考えられる人の95%がその範囲に入る」値を基準値としている。なので、氏の言う通り、健康な人の5%は基準値を外れてしまうのだが、例えば、基準値が30以下とされていて、結果が35程度なら、「まぁ、誤差の範囲かな」と考えてもよいが、結果が200なら、それは誤差とは言い難いわけである。もちろん、ほとんどの医師は、「基準値の意味」を正しく理解している(はず)であり、結果説明の際にも、それを考慮した対応をしている(はずである)。また、健診での基準値は、疾患確定の基準値よりもずいぶん厳しめに設定されており(おそらく「予防」という視点からのことだろう)、「健診結果で異常がありました」と受診されても、「この程度なら、経過観察でいいですよ」という事も少なくはない。また、結果の解釈についても、当然年齢など、個別の要因を考慮している。


例えば、血圧が150/95という値が出た、という訴えで受診された方も、その方が40~50代くらいの方、70台前後の方、85歳を超えている方で対応は全く異なる(逆に、対応が変わらなければ、本気で「高血圧ガイドライン」を読んだ、とは言えない)。


若年の方であれば、血圧上昇とともに血管リスクは急速に上昇するので、しっかりした降圧が必要である。なので、40~50代の方であれば、二次性高血圧除外のための採血を行ない、血圧計を購入してもらい、自宅での血圧を2週間測定してもらい、2週間後に再診。二次性高血圧があれば、適切な医療機関に紹介し、二次性高血圧の可能性が低く、自宅血圧も高血圧の基準を超えていることが多ければ、降圧剤を開始する。


70台くらいの方なら、やはり自宅血圧の測定を2週間してもらい、高血圧の基準値を超えているようであれば、本人と相談の上、治療するか、経過を見るかを決定する。70代の方ではほとんどが本態性高血圧(体質からくる高血圧)なので、積極的に二次性高血圧を探しに行くことはよほどのことがなければ行わない。一般的な採血、検尿をする程度である。


85歳以上の方なら、他の臓器障害がなければ「このくらいの血圧なら、あまり気にしなくていいですよ」と説明し、自宅血圧は測定してもらい、170位になるようなら相談してください、と言って様子を見てもらう。高血圧ガイドラインに記載されているが、年を取るほど、血圧上昇によるリスク上昇は低くなる。これは血管リスクとしての重要性が「血圧」→「年齢」へと変化していくことを示しており、年齢と基礎疾患に応じて対応が必要なことを示している。


そんなわけで、氏の著書、あるいは掲載された文章には、悪意に取れば「クリニックなど、一次医療機関の医者は不勉強で、エビデンスを振り回して教科書通りの医療しか行わず、患者の「個別性」に配慮していない」という意図を感じてしまう。


それはとんでもないことで、当方としては、患者さんの年齢、性別、基礎疾患、家族構成、居住地域、ご本人の性格などを踏まえて治療をしているわけである。最初に述べた「確率性」の問題については、「個別性」を担保する客観的指標がなければ、「良い結果が出る確率が高いもの」を推奨するのが妥当であろう。


という事で、地域の最前線で医療を行なう者にとっては、不快な見出し、不快な文章であるなぁ、という印象であった。でも多分、著書を読むと、たぶん私が普段考えていることと同じ内容が書いているのではないかなぁ、という気もしている。

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