第276話 お金の使うところが違うと思う

文部科学省が、「デジタル分野」や「脱炭素分野」の人材を育成する理系学部を増やすために、10か年計画で、250学部を新設することを目標とするらしい。


個人的には、「学部を新設する」という事に対して「いかがなものかなぁ」と感じている。日本の理系学部の衰退の一番の原因は、「既存の理系学部学科(特に優秀な学生の集まる大学について)に対して、お金を掛けていない(研究設備しかり、教官の給与しかり、消耗品代しかり)こと」が問題なのではないか、と思っている。


今から30年近く前の話ではあるが、私が所属していた某旧帝国大学の某研究所、実験のためにたくさんの「マイクロチューブ(2ml程度の小さなプラスチック製試験管)」を使うのだが、本来はディスポ(一度使えばポイ)のものである。しかし、本当に多量に使うので、新品ばかり使っているとそれだけで研究室の予算がなくなってしまうことになる。なので、各自それぞれの実験机の下に、detergent(界面活性剤、洗剤)入りのバケツを用意して、使い終わったマイクロチューブはそこに入れ、ある程度貯まったら、ジャブジャブとしっかり洗って滅菌し、使いまわしをしていた。本当に精密な実験には新品のマイクロチューブを使い、遺伝子増幅のための大腸菌培養や、ミニプレップなど、そこまでシビアではない用途に、使いまわしのマイクロチューブを使っていた。多くの研究室はそんなものであったと記憶している。こんなことをしているが、世界に伍する日本の有名な研究所の一つであった。私の所属していた研究室にも世界からたくさんの留学生が来ており、少なくとも日本人の学生より留学生の方が多かった(日本ではほとんど見られないが、当時は世界の感染症での死因ベスト3に入っていた疾患を扱っていたため)。


とにかく、大学の予算だけではとても研究費は足りず、色々なところからお金を引っ張ってこなければまともな研究ができない状況であった(多分これはどの研究室でもそうである)。


一方で、大学全入時代となり、偏差値の余り高くない大学では、理系に進学していても分数が怪しかったりする学生もいるそうで、大学の授業でわざわざ、小学校の算数から高校の数学までを復習するカリキュラムを作り、それを必修科目としなければ到底理系教育ができない、という大学も珍しくはないと聞く。


お金を掛けるのであれば、新設の学部を作るのではなく、既存の理系学部にしっかりお金を掛けて、研究費におびえることなく研究できる環境を作るべきである。と同時に、既存の理系学部の定員を少し増やして、人員増に対応すればよいのではないか、と思う。


少なくとも、小学校や中学校レベルの数学に苦労する生徒が入学する大学に「理系学部」を新設する意味が分からない。新設にお金を掛けるよりも、既存のものにしっかりお金を掛け、大切にした方が良いと思うのだが、いかがなものか。

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