第275話 なんで「マスクはいらない」と思えるのだろう?

特に将棋の世界で、マスクの不装着、あるいは鼻出しマスクで反則負け、という事があり耳目を集めているが、今回は不織布マスク装着の話である。


佐藤九段の「マスク不装着」による反則負けは、「マスクつけてくださいね」の警告も全くなく、いきなり「反則負け」となったのはかわいそうな気がする。勝負に集中して、他のことに気が回らなくなっていたのだろうから、数回「マスクつけてませんよ」と声をかけて、それでも着けようとしなければ反則負け、という形にすればよかったのだろうと思う。


また、日浦八段については、繰り返し「鼻出しの状態ではなく、適切にマスクをつけてください」と注意したうえでそれに従わず「反則負け」となっているのだから、ご本人は「裁判で決着をつける」つもりであろうが、これは致し方ないと思われる(鼻を出していれば、マスクをしている意味が無い。マスクしていないのと同じことである)。


ネットを散歩していると、本格的な「反マスク・反ワクチン派」の人がおられることがわかる。ワクチンについては、心配していることは理解できなくもない。ワクチン接種でそれなりの頻度で発熱などの副反応が出ること、開発から短時間なので、長期毒性については明確になっていない、というのは確かだからである。しかし、マスクについてはなぜそこまで毛嫌いするのか、その理由がさっぱり推測できないのだ。


「日本人」がマスクにあまり抵抗感がない、というのはCOVID-19以前から言われていたことである。身体の弱かった子供時代は母親から、冬になったら強制的に(その当時はガーゼの)マスクをつけさせられていた。子供のころは息苦しくてマスクをつけるのはつらかった。そして長じて、私が医学生となった時、2年時に行われた解剖学実習では実習時間中は基本的にずっと不織布マスクをつけることとなった(着けなくてもよかったが、着けなかった友人は、ご遺体を固定する有機溶媒で喉をずいぶん痛めてしまった)。子供のころのトラウマがあり、実習が始まる前は何時間もマスクをし続けることに不安があったが、着けてしまえば、子供のころのガーゼのマスクよりうんと楽で、実習中にマスクをつけ続けることに全く違和感はなかった。


私は、インフルエンザワクチンにアレルギーがあり(小学1年生の時に、ワクチン接種の翌日からずいぶん目が腫れたみたいで(おそらくブドウ膜炎を起こしたのだろうと推測)、眼科の先生から、「もう絶対インフルエンザワクチンを打っちゃだめだよ」と言われた)、インフルエンザについてはワクチンの恩恵を受けることなく、しかも私の現場は毎年冬季はインフルエンザの流行の真っただ中(例年最流行期は1日に30人ほどのインフルエンザ患者さんを診ていた)なので、毎年ヒヤヒヤとしているが、不織布マスクとメガネ、こまめな手洗いで、臨床医になってから3回程しかインフルエンザに罹っていない。


インフルエンザは飛沫感染なので、基本的には不織布マスクで感染粒子はトラップされる。なので理論的にも、現実としてもインフルエンザ感染に対して不織布マスクは有用である(インフルエンザに罹ったのは、不織布マスクを着けずに仕事をしていた研修医1年目、そして8年目くらいだったか、診療所の外来で、インフルエンザ疑い(その後の検査でA型インフルエンザと診断)の患者さんの胸部聴診中に、その患者さんが自身の顔を横にも向けず、口や鼻を手で覆うこともせずに思いきり私の顔めがけてくしゃみをされたとき(私の顔全体に飛沫がかかり、しかも私が聴診中で少しうつむき加減だったため、眼鏡と顔の隙間からもたくさんの飛沫が飛び込んできた。おそらく眼の粘膜から鼻涙管を通って感染したのだろう。ひどい話である)、あとのもう一回は、なぜ感染したのかは分からない)。


COVID-19が流行する前も、冬季には多くの人がインフルエンザを避けるためにマスクをしていたように記憶しているが、このような強力な「反マスク」運動はなかったような気がするのだが(単純に、着けたくない人が着けていなかっただけなのかもしれないが)。


不織布マスクはCOVID-19エアロゾルの吸引、あるいは放出に対して明らかな制限効果があり、スパコン「富岳」のシミュレーション結果では、マスクなしの状態を100%として、吐き出し(自分が飛沫、エアロゾルを吐き出すこと)については20%に、吸い込みについては30%に減少する、という結果が出ている。また、アメリカの高校での前向きコホート研究では、マスク装着群は非装着群に比べて統計学的有意さをもって感染率の低下が見られた、という報告もある。


マスクをしているから100%人に移さないし、人から罹らない、というわけではないが、理論的にも、現象としても不織布マスクの予防効果は明らかとなっている。少なくともドラッグストアで販売されている、首からぶら下げるとウイルス予防効果がある、などと謳われている製品よりは、はるかに効果が高いと推測される。


そして、多くの人が勘違いしていることだと思うが、マスクをすることは「人から感染することを防ぐ」ためではなく、「自分が感染しているときに、人に移さない」ことが目的である。


「不顕性感染」というのだが、自身は全く無症状にもかかわらず、感染は成立していて、自分で気づかぬ間にウイルスを広めている、という事は弱毒のウイルスでは珍しいことではない。現在のオミクロン株についても、数字の出どころは失念してしまったが、約10%ほどは「不顕性感染」と考えられる、とのニュースを見た記憶がある。


人間社会の中に生きていれば、誰にも迷惑を掛けずに生きていくことが不可能なのは承知の上で言いたいのだが、自分が罹っているかどうか、自分でわからないこともある(不顕性感染)のだから、「人に移さないため」に自分が常にマスクをつけるのは、「人になるだけ迷惑をかけないように」生きていくうえで大切なことだと思っている。


私自身は医療従事者で、一般の人よりも感染のリスクが高く、という事は「不顕性感染」となっている可能性も高いので、外出時には必ずマスクをつけている。


「人から病気をもらわない」ためではなく、「自分の病気を人に移さない」ためにマスクをつける、という意識になれば、反マスクの人達はどう考えるのだろうか?


明確な根拠をもって「空気感染」する疾患の一つが「結核」である。なので、人から「結核」をもらわないためにはN95マスクが必要である。その一方で、感染者から感染粒子が放出されるときは、「飛沫」として出ていくので、患者さんはN95マスクではなく、不織布マスクでよい(飛沫は不織布マスクでトラップされる)、という事となっている。初期研修医のころ、保健所での実習を受けたが、その際に、排菌している結核患者さんを結核病棟のある病院に連れていくことがあった。その時は、付き添う保健師さんと私はN95マスク、患者さんは不織布マスクで、公共交通機関を使って移動したことを覚えている。空気感染する疾患であっても、患者さんは不織布マスクでいいのである(上に述べたように、自分が感染粒子を排出する場合は、80%ブロックされる、と富岳のシミュレーションでも出ている通りである)。


そんなわけで、ワクチンを受けたくない人に無理からワクチンを進めるつもりはないが、不織布マスクをつけることについては、「ちょっと息苦しいけど、不織布マスクはしておいた方がいいよ」と言いたい。


「マスクをつけると集中できない」という人がいるかもしれないが、外科医は手術室で不織布マスクをつけて、時にはその上から滅菌ガウンに付属しているマスクも重ねた状態で、集中して繊細な手術を行なっているわけである。マスクをしていても集中できるかどうか、それは「慣れ」の問題であると思っている。

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