第250話 やっぱりそう思われますか!

私は、第二次ベビーブームのピーク近くに生を受けた。もちろん両親は第一次ベビーブーマーであった。小学生のころは、自分が幼かっただけなのかもしれないが、クリスマスはプレゼントをもらって、鶏ももを食べ、ケーキを食べる日だと思っていた。もちろん、イエス・キリストの誕生日、ということは知っていたが、あのバブル狂乱のころのように「クリスマス」は「恋人たちの日」というような感覚は街中にもなかったように記憶している。


長じて、1980年代末~1990年前半はバブルのピーク、バブル崩壊後もすこしバブルの余韻を残した時代だった。高校卒業~大学生だったあの頃は、「クリスマス」といえば「恋人の日」、ちょうど私たちの年代がターゲットとなったこともあり、今でいうところの「クリぼっち」だった私は、クリスマスイブの夜に、寒い現場で、宅急便の航空コンテナへの仕分け作業のバイトをしたりして、クリスマスイブは「勤労青年」となることが多かった。宅急便のバイトをしていた時は、仕事を終えて帰宅の途につく午前3時前から白いものが舞い始め、凍えながら帰路、幹線道路でバイクを飛ばし、幸せな夜を過ごしているであろう恋人たちを妬ましく思いながら、「バカヤロー!」と心の中で叫びつつ、アクセルを捻っていたことを覚えている。


「クリスマス」が「恋人の日」と日本中の若い人が考えるようになった大きなきっかけは、松任谷由実さんの名曲「恋人がサンタクロース」であったと私は考えている。あの頃はまだ、「流行歌」が社会に与える影響は大きかったように記憶している。例えば、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が流行してから、日本人全体の貞操観念が(特に若い人たちにおいて)崩れたような気がしている。今も山下達郎さんの「クリスマス・イヴ」とともに、クリスマスが近づくとよく耳にする曲である。


今朝、ウトウトしながら朝のラジオを聞いていたら、エッセイストの酒井 順子さんが「ラジオエッセイ」という形で番組に登場していた。氏も、「クリスマス」が「恋人の日」になった大きなきっかけの一つが、「恋人がサンタクロース」であっただろう、とおっしゃられていた。Wikiで検索すると、私より5歳ほど年上のようであり、あの時代に起こっていたことを、私より大人の視点で見ておられたのだろうと推測する。そのような方も、私と同意見であり、「わが意を得たり」というわけではないが、同じように感じておられる方がいたことに、「あぁ、俺だけがそんな風に思っていたわけではないのだなぁ」と安心した次第である。


「恋人がサンタクロース」今聴いても、名曲、名歌詞だと思う。確かにこの曲には、時代を変える力があることを今も感じる。

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