第183話 獅子身中の虫 おまけ(仏教説話)

仏教説話では、供養は金額や価値ではなく、「ご供養をする」という気持ちが大切、という話がいくつもある。


代表的なものは「貧者の一灯」。仏を荘厳するために、たくさんの人が灯りを供養した。お金持ちはたくさん、それなりの人はそれなりに。ある貧しい女性は、仏様に灯りをご供養したいと思い、何とか油を調達して、一つの灯りを供養した。


灯りのともった夜、深夜に強い風が吹き、ほとんどすべての灯りが吹き消されてしまったが、その女性が真心をもって供養した灯りだけがともり続けていた、というお話。


また別のお話。釈尊が道を歩いているときに、たまたま道端で遊んでいた子供2人が、その姿に感動し、思わず遊んでいた砂でお団子を作り、釈尊に供養し、合掌したとのこと。その時釈尊は、「この童子は私の滅後100年ののち転輪聖王(世界を統べる大王)となるであろう。仏の法をもって国を治め、八万四千の仏塔を立てて衆生を安楽にするであろう」と予言したそうな。その童子の後の姿がアショーカ王である、と言われている。


いずれも、仏への供養は、金額の多寡でも、価値のあるものでもなく、ただ、仏様を敬愛する真心から生まれたものが尊いものである、という教えが分かる。


現代は「葬式仏教」の時代なので、お通夜やお葬式の時、お寺から僧に来てもらうときには、「車代としていくら、ご供養としていくら、戒名をつけるのにいくら」と金額を指定される。もちろん、気持ちとして供養したければさらにお金をはずむのは問題ないと思うが、僧侶側から「この金額で」といわれると何とも言えない思いになるのも事実である。

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