第174話 三本の聴診器

私は3本の聴診器を持っている。いずれもLittmanのCardiology3(ローマ数字が出ないので申し訳ない)である。


一番古くから使っているのは、医学部4年生の時に購入した黒の聴診器である。5年生からの臨床実習のために奮発して購入したものである。このシリーズでは書いていないと思うが、私の駄文のいくつかにエピソードを書いている。


私の実家は極めて貧乏で、おそらく申請すれば生活保護を受けることができたのでは、というような収入しかなかった(10坪の小さな家だが、自宅を持っていたので生活保護を出さない(出せない)選択をしたのだろうか?)。そのような中でも継父は「お前が好きなだけ勉強すればいい」と就職を迫ることはせず、また、小さいころはかかりつけ患者として、長じては医療事務の当直バイトとして、そして、「医師になりたい」という子供のころからの夢をかなえた後は医師としてお世話になった診療所、その当時の理事長先生が、血縁でも何でもない、かかりつけの患者さんの一人で、事務当直バイトの一人だった私のことを見てくださって(おそらくバイトでの働き方を見てくださっていたのだろう)、「君が医師になりたい、という夢を持っているのなら、その夢を応援させてほしい」と言ってくださり、先生の応援で医学生生活を送っていた。なので、その黒い聴診器は、私を医師にしてくださった「恩師」からの賜りものだと思っている。20年以上使っているので、購入した時のオリジナルパーツはチェストピースの金属部分だけだが(後は全部経年劣化で交換している)、今でも私にとっては「恩師からいただいた聴診器」という存在である。


院内でCOVID-19が発生し、PPEをつけて患者さんを診察するときには必ずそれをCOVID-19用の聴診器としていた。「先生と一緒に診察している」と思うだけで心強い。もう旅立たれて10年近く経つのだろうか?今でも黒い聴診器を使って診察するとき、私は恩師とともに診察している。


2本目の聴診器はブルーのチューブである。この色は、何もできなかったピヨピヨの初期研修医だった私を、総合内科専門医、プライマリ・ケア認定医・指導医、日本医師会認定産業医へと育ててくださった「師匠」の聴診器の色である。「何物でもない私」が「医師」という資格を取れるまで応援してくださったのが「恩師」なら、「何もできない医師」を「曲がりなりにも内科医」と名乗れるまで鍛えてくださったのが「師匠」である。時に厳しく、時にブラックなことを言ってニヤリとする、専門分化した内科の世界の中でほぼあらゆる分野に精通し、私や同輩、先輩が様々な内科の分野で立ち往生しかけたときに、エビデンスと経験の両方で話をすることができた師匠は、今でも私の理想とする医師の一人である。


消化器内科、総合内科の専門医、救急医学専門医・呼吸器内科の専門医・指導医のボードを持ち、死体解剖医の資格もお持ちなので、ご自身で解剖まで行われる先生である。消化器内科医としては上部下部消化管内視鏡、PTCD,PTGBD、ERCP、ENBD挿入まで行われ(先生がESTをしているのは見たことがないし、先生がされる必要もない)、呼吸器内科医としては気管支鏡にかかわるほぼすべての手技、CTガイド下肺生検、胸水穿刺、chest tube挿入、胸膜癒着術、肺癌の化学療法など、もちろんその他の内科分野にも長けておられた。時に厄介な疾患にあたり難渋していると、「先生大変だね。私も3例経験があるけど、ほんと大変だったよ」と言われ、「え~っ、先生、こんなにレアな症例を3例も経験しているのですか?先生、いったいどれだけの数の患者さんを診てこられたのですか?」と感服することがしばしばだった。


先生の聴診器がなぜブルーなのかは聞いたことがない。


医学生時代、そして初期研修医の2年間は黒い聴診器1本で仕事をしていた。そんなある日、患者さんを診察中に、急に聴診器がうまく耳に入らないようになった。とりあえずその患者さんの診察を済ませて、聴診器を観察する。よく見ると、イヤーチップ側のバネが折れているのがわかった。なるほど、これでは使い物にならない。しかし、代わりの聴診器を持っていないので困ってしまった。すると隣の診察室から先輩研修医が、「U先生、聴診器マニアでたくさん聴診器もってはるから、聞いてみたら?」と助言してくれた。大急ぎで医局に戻るとたまたま多忙なU先生がおられ、聴診器が壊れたことを相談すると「先生、確かLittmanのCardiology3でしょ。僕3本持っているけど、一番取りやすいところにあるの、これだから。しばらく使ってていいよ」とバーガンディ色の聴診器を貸してくださった。それで何とか外来を乗り切り、外来が終わるとすぐにネットで新しい聴診器を購入した。その時に、ブルーの聴診器が素敵だったことと、師匠の聴診器の色もブルーだったので、ブルーの聴診器を購入した。


聴診器、長く使っていると、色々なところにガタが来る。ダイアフラム(聴診器の胸に当てるところについている、プラスティック製の膜)が外れたり、それを固定しているリムが折れたり、先ほど経験したイヤーチップ部のバネが折れたり(Cardiology3では、ここがだめになったら、チューブからイヤーチップまでが一体化しているので結構修理にお金がかかる)など、ちょこまかと壊れてしまう。恩師からいただいた黒の聴診器も、ちょうど昨日成人用ダイアフラムを固定しているリムが折れてしまい、今休養中である。


こまごましたパーツ、金額もまちまちなのだが、いずれも壊れてしまうと聴診器が使えない。ネット通販でこまごましたものを購入しているが、安いパーツだとパーツより配送料の方が高いこともある。何度かそんなことがあり、その時に一度、聴診器マニアの○○先生ではないが、予備の予備、として3本目の聴診器をついでに買う事とした(一定金額以上なら送料無料になるから)。3本目の聴診器はグリーン。尊敬する兄弟子の聴診器の色である。


兄弟子は私が研修医1年生の時に4年生の研修医だった。臆病な私を叱咤激励してくれたり、何かと気にかけてくれた先輩だった。悪意のない方だが少し癖があり、「苦手」という人も多かった兄弟子だが、私は兄弟子を敬愛していた。


兄弟子は後期研修医を卒業するとすぐに、親族の経営する医療法人に入職され、若いながらも院長職をされたりしていたそうである。しかしちょうど私が5年目研修医のころだったか、思うところあって戻ってこられた。しばらく療養型の病院で過ごしていたので、以前のように急性期の患者さんを診るのは怖いから、私とチームを組みたい、と申し出られた。そのころの私は、傲慢ではなかったとは思うが、「俺の活躍の場所はICUから在宅まで、ERでの救命処置から終末期の静かな看取りまで」と思って仕事をしていた。私を色々と助けてくださった兄弟子(初期研修医2年目の内科研修では、兄弟子の下に私がついて、色々な失敗のしりぬぐいをしてくださった)が、そんな気弱なことを言うなんて、と思ったが、それから私が卒業するまで、兄弟子とペアで、初期研修医の指導を行いつつ、患者さんを診ていった。


3本目の聴診器の色を決めたのは、兄弟子の聴診器の色がグリーンだったからである。


そんなわけで、3本の聴診器を使っている私である。COVID-19用に使っていた黒い聴診器が昨日壊れてしまったので(現在パーツ取り寄せ中)、黒い聴診器に休憩してもらい、兄弟子色の聴診器をCOVID-19患者さん用に、そして師匠のカラーの聴診器を首にかけて、今日は仕事をしている。

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