第163話 私ごときでよいのでしょうか?

当院の院長は、この地で50年以上地域のために頑張ってこられた。この地域は室町時代には集落を形成していた歴史があると同時に、かつて「被差別部落」呼ばれた地域も診療圏に含まれている。そのような地域に、誰でもが平等に受診できる医療機関を作ろう、ということで作られた医療機関であり、地域の人たちの後押しで病院となることができている。それを支えてきた院長はとても立派だと思うが、いかんせん、どうしても寄る年波には勝てず、最近、特に膝をお悪くされてADLが落ちてきた。


変形性膝関節症と結晶性膝単関節炎を併発して、非常勤の整形外科Dr.の外来で治療を受けられることが多いのだが、今週初めから、右膝のひどい腫脹熱感疼痛と、全身の発熱も出現した。整形外科の先生は水曜日に来られるのだが、水曜日の診察で、「化膿性関節炎も考え、入院を」ということになった。


入院を管理する「地域連携室」のスタッフが、そのようなことになっているとは全く知らずに医局にいる私のところにやってきた。「先生、少しご相談が…」ということでお話を聞くと、「院長の入院主治医をしてください」とのこと。いやいや、医局の中で私が一番の若輩者であり、ペーペーでもある。そんな大役を務めるなんて、とてもとても…、とスタッフに返事をしたが、「院長直々のご指名です」と返されてしまった。理由を聞くと私が一番しっかりと診てくれるだろうから、とのこと。そういわれるとなおプレッシャーなのだが、直接指名されたのなら断るわけにもいかない。入院カルテセットを作ってもらうようお願いし、外来で点滴中の院長のもとに向かった。


「院長、お話は伺いましたが大丈夫ですか?」

「あぁ、先生。昨日から右膝が痛くて、熱も出てきたのですよ。整形の先生に膝の水を抜いてもらいましたが、痛くて右膝が曲げられないんです」


とのこと。院長の身体診察を行ったが、肝心の右膝については、足首の絞られたズボンをはいておられたので、ズボンのすそを持ち上げようとすると「先生、そんなことをしたら、痛い!痛い!」とひどく痛がられたので、十分な診察はできなかった。


化膿性関節炎については、黄色ブドウ球菌をターゲットに、以前も使用されていたST合剤を開始。NSAIDsで消炎鎮痛を、そして十分な鎮痛を得るためにトラマールを短期間併用することとして管理を開始した。院長はご高齢なので、入院ついでに、簡単ながら全身スクリーニングも行うこととした。


2年前にも同様の膝関節炎で入院されており、その時は在籍しておられた医局長が主治医をされていたが、医局長が退職されてから、医師部にまとめ役はいない。それはさておき、2年前の入院の時には、発熱によるせん妄が強く、ポータブルトイレのふたを開けずに排便するなど、大騒ぎだったことを記憶している。


今回の入院も少しせん妄はあったようだが、入院第2病日には、解熱し、疼痛も改善傾向であった。右膝も少し曲げられるようになっていたが、血液検査では炎症反応は高いままであった。右膝の熱感もまだ軽度だが残存している。改善にはもう少し時間がかかるのだろうと思っているが、ある程度のADLが確保できれば、退院してもらい、日常の生活に戻っていただきたいと思っている。


ただ恐ろしいことは、このまま私が院長の主治医になってしまうことである。本日は院長の主治医意見書が回ってきた。多分このままの成り行きで、院長の主治医は「私」になってしまうのだろう。


以前勤務していた診療所で、恩師である前理事長が肺がんに倒れ、一時訪問診療となった時も、私が主治医をすることになった。


偉大な諸先生方に信頼していただけるのは大変ありがたいが、結構なストレスでもある。

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