第60話 ブログと「面白いこと」探し

私はSNSについては、FacebookもInstagramも使っていないので、まさしく時代遅れのおっさんなのだが、たぶん友人の中には、SNSをうまく使っている人もいるのだろうと思っている。ブログについても、友人の一人は毎日更新を、20年近く続けている。彼は僕らが高校時代、「毎日日記をつけている」と言っていたので、おそらくその習慣が彼に根付いているのだろう。継続は力なり。高校時代からずっと日記を続けているのならもう35年近くになるのか、すごいことだと思う。彼の言葉に影響を受けて、高校二年生の夏休みに毎日日記をつけてみた。以前にも書いたが、私の高校時代は「恋」と「ギター」に集約されている。なので、その日記も恋心を綴ったものとなっていた。また、高校1年生の現代国語を担当されていた先生の影響もあり、詩を書くことも多かった。「詩を書く」というよりも「自分の心の中から、言葉があふれ出てきて、それを書き留める」という感じだった。今でいう「厨二病」だったのかもしれないが、ダダイズムの退廃的なものを求め、中原 中也の詩に傾倒していたころだった。

さすがにこんなものを残しておいては恥ずかしい、と思い、夏休みが明けたらすぐに日記をつけていたノートを捨ててしまい、誰にも内緒の黒歴史であるが、とにかく、日記を書く、ということについては、夏休みの課題以外で自発的に書いていたのは、彼の言葉に影響を受けたあの時期だけである。


ブログが流行り始めたころ、別の友人がブログを開設した。「読んでみて~」と連絡があったので楽しく読ませてもらった。彼のブログは、その日にあった面白いことを書き綴ってあって、しょっちゅう笑わせてくれていた。


でも、実際に日々を生きていて、そんなに毎日面白いことがあるわけではない。彼の生活、おかれた環境を考えるとむしろ辛いこと、うまくいかないことの方が多かったように思う。でも彼のブログは面白さにあふれていた。


「赤毛のアン」や「ポリアンナ物語」で、「よかった探し」をしている描写があるが、彼も、同じように日々の生活の中のちょっとした「面白いこと」を探して暮らしていたのだろう、と思っていた。お互いに20代の中頃だったと思う。


サイトの問題で、「いったんブログを中止する」と言って、それから彼はブログからは離れてしまった。彼の書いていたブログも残ってはいない。


数年前に、彼は鬼籍に入ってしまった。他人にはわからない自分の世界がある。彼の「自分の中の世界」が何色だったのかはわからないが、彼が周りに、そして私にも発していたメッセージは前向きで楽しく、面白いことだった。


彼のように、ここで書く文章も「くすっ」と笑えるものにしたい、そういったもので埋めていきたいと思っているのだが、彼のようなセンスが私にはないのだろう。なかなか彼のように日常の「くすっ」と笑えるものを見つけられない。


また彼と、ピザを食べ、コーラを飲みながらバカ話をしたいなぁ、と常に思っている。そう思いながら、今日も仏壇に手を合わせている。


大切な人、愛しい人、お世話になった人、私を慈しんでくれた人、みんなに幸せが届くように、と祈っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る