第24話 Helter-Skelter!

過日の午前外来。比較的患者さんも多く、パタパタと患者さんを診察していた。ほとんどの患者さんは定期の受診。「調子はどうですか?」と(教科書的には”Open-ended Question”で医療面談を開始するように、とされている)お話を伺う。高血圧の人ではご自宅の血圧を確認し、糖尿病の方では食事の話も伺うようにしている。その他、変わったことがないかどうかを確認し、身体診察、状態が安定して入れば処方を継続し、問題があれば指導をしたり、処方を変更したりする。カルテも記載するので一人当たり6分程度はどうしてもかかってしまうし、これ以上のスピードアップも難しい。


「今日は忙しいですね」と診察についてくださっている看護師さんと話をし、次のカルテを手に取ると初診の方だった。主訴は「早朝に自宅で転倒し、床に強く頭をぶつけた。頭にたんこぶができて、首が痛い」とのこと。一瞬、「へっ?」と目を疑った。「確か、ここ、内科だよなぁ。うち、内科の病院だよなぁ?」と。とはいえ、自称「何でも内科」、しかも受付まで済まされているので、診ざるを得ないし、また、専門の診療科をある程度越えてでも、来院された患者さんに対応するのが、地域に根差した医療機関の姿でもある。そんなわけで、「難儀やなぁ」とは思いつつ、診察室に入ってもらった。


患者さんは70代後半の女性、ご主人が付き添いで来られている。認知症で大学病院に定期通院中とのこと。受診当日の早朝、更衣中にバランスを崩して後方に転倒。硬い床に後頭部を打ち付けたとのこと。物音に気付いたご主人が駆けつけると意識は失っていなかったが、あおむけに倒れていたと。起き上がらせると、後頭部と首が痛いといい、後頭部に「たんこぶ」ができた、とのことだった。普段からこまめに当院に通院されているわけではなく、「なぜうちの病院に来たんだろう?」という疑問は残したまま、身体診察。頚部を痛がるが、下手に頚部を動かすのは適切ではなく、レントゲンの評価を考慮した。上肢の運動や感覚異常はないが、転倒してから、両方の膝から下が、なんとなくしびれたようで力が入りにくい、と言われる。診察室には普通に歩行して入室されたが、気になる訴えだ。そんなわけで、頭部CTと頸椎3方向(正面、側面、開口位)をオーダーした。ERで勤務されている方にはなじみがあるが、なかなか内科では取らない像なので、私がここに勤務し始めたころに「頸椎3方向」とオーダーした時には「頸椎3方向って、何を撮影したらいいのですか」と放射線技師さんに尋ねられたことがある。開口位でとると、第二頸椎の歯突起が評価できるので、頸椎損傷を疑うときには外せない撮影位である。


オーダーを立てて、検査の間に次の患者さんを呼び込む。次の患者さんは普段私の外来に定期通院されている方だった。4日前に、「身体を動かすたびにふわふわしためまいと、強い吐き気がして、嘔吐します。じっとその姿勢を保っていると、めまいは落ち着いてきますが、動くとまためまいが始まります」との訴えで来院されており、身体診察で有意な神経学的異常を認めず、めまいの性状からは「良性発作性頭位変換性めまい(BPPV:Benign Paroxysmal Positional Vertigo)」と診断し、点滴で帰宅とした方だった。帰宅後もめまいが続いて何も取れず、入院させてほしい、とのことで来院された。昨日も別の医師の外来を受診され、入院を希望したが、入院不要と帰宅となっていたとのこと。姿勢を変えるとめまいと嘔気が出現するが、少し長い時間、車いすに座っておられたので、診察時には「めまいは落ち着いています」とのこと。同症状で3回受診されていること、ご本人もご家族も大変困っていることを考えると、やはり入院は必要だと判断した。もちろん、入院すれば早く治る、というわけではなく、「水分も取れない」というので、点滴をして、症状の鎮静化を待とう、というわけである。


病歴、身体所見からはBPPVが一番疑われ、前日は腹部単純写真でイレウスは考えにくい、とのことであったが、小脳出血/小脳梗塞の除外と、糖尿病薬を飲んでおられたので、前日の採血では高血糖はなかったが、正常血糖DKA除外のための動脈血液ガス分析を行ない、病棟調整を行なった。


入院時にはたくさんの書類を書かないといけないので、結構時間がかかる。当院では予定入院の方が多いので、余裕のある時に入院指示を書くことが多いのだが、一人の入院指示に1時間近くかかる。外来中に1時間も余裕はないので、隙間時間を見つけて書くことにした。


その後、定期受診の方を1名診察したところで、前述の頭を打って首が痛い、という方の画像が出来上がった。頭部CTでは頭蓋内出血はなく、頭蓋骨骨折もなかった。頚椎の写真を見ると、開口位で歯突起の基部の第二頚椎に骨折が認められた。第二頚椎骨折である。


第一頚椎は「環椎」と呼ばれ、リング状の骨である。そのリングの中の前方に歯突起が入り込み、靭帯で外れないようになっている。この歯突起が軸になって環椎が左右に大きな可動域が得られ、顔を大きく横に向くことができるようになっている。なので、第二頚椎は歯突起が軸になって横向きの運動ができるので「軸椎」と呼ばれている。


軸椎の歯突起に関わるトラブルは時に深刻で、軸椎の歯突起骨折で折れた歯突起が脊髄(まだその高さでは延髄かもしれない)を圧迫すれば、命に関わる(たぶん死んでしまう)ことになる。今回は、環椎と歯突起の関節を固定する靭帯がしっかりしていたので、転倒し、後頭部をぶつけたときに、環椎が軸椎より前方に変位する力がかかり(ここで、この靭帯が損傷していたら、脊髄/延髄を歯突起が圧迫して亡くなっていたであろうが、この靭帯がしっかりしていたので、歯突起の根元部分で軸椎が骨折し、歯突起が前方に変位して、脊髄損傷を起こさなかったのであろう。本当に命拾いをされたと思った。


さて問題はこれからである。頚椎骨折であり、頚椎が不安定な状態なので、下手に動かすことはできない。ベッドに横になってもらうだけで、もしかしたら歯突起が脊髄を圧迫し、息が止まってしまうかもしれない。大急ぎで当座の頚部固定を行ない、高次医療機関への紹介を行わなければならない。この方は猶予がない状態である。


と、この時点で、私の心の余裕はなくなってしまった。頚椎損傷の患者さんはすぐに紹介状を作成して、画像をCD-ROMに焼いて、受け入れ病院を探さなければならないし、入院指示もさっさと作成しなければならない。しかも、診察を待っている患者さんも増えてきている。絶望的な気分になった。しっちゃかめっちゃかになってしまった。


まず、軸椎骨折の患者さんに検査結果の説明と、緊急での転院の必要性、頚部の固定を行わなければならない。患者さんに入室してもらい、レントゲンを見せて骨折の話を行ない、速やかに高次医療機関の整形外科での入院加療が必要なことを説明。院内に置いてあるネックカラーをつけて、少しでも頸椎の保護を行ない、急いで診療情報提供書を作成。とはいえ、ある程度しっかり書こうとすると、10分程度は手を取られる。大急ぎで診療情報提供書を書き上げ、レントゲン室には本日撮影分の画像をCD-ROMに焼いてもらうよう依頼。病診連携室に必要なものを持っていき、転院先の緊急調整を依頼した。


診察室に帰ってくると、診察待ちの人のカルテが数冊。今度は待っている患者さんの診察を進めていった。待っておられる方は、定期受診の方々だったが、その中には、「今日の受診でいろいろと考えよう」と思っていた人も含まれていた。


「今日は無理!」と心の中で叫んで、患者さんを呼び込み、お話を聞いて身体診察。状態は落ち着いているようなので、「じゃあ、次回受診の時に血液検査をさせてください」と伝え、薬を継続処方(この方は薬を少し考えたかったのだが)。その他の、待っておられた患者さんは、状態も安定しており、薬も安定して処方していたので、お話を伺い、身体診察をしていつもの薬を処方、という形で待っている患者さんの診察を大急ぎで進めていった。その間にも、地域連携室から連絡が入る。「今、〇〇病院に調整中ですが、『画像を見たいので送ってほしい』とのことです。『画像を見て、カンファレンスをしてから受け入れ可能かどうか判断します』とのことでした」とのこと。いや、頸椎損傷だから、そんなにのんきなことを言っている場合じゃないだろう。「受け入れたくない」オーラがいっぱい出ている返答である。「すいません、そしたら、✕✕病院、そこがだめなら△▲病院で調整してください」とお願いし、空き時間を見つけて、入院指示を大急ぎで作成する。


入院希望の患者さんは、何とか部屋も調整でき、必要な書類も書き上げることができた。ご家族の方も、普段飲んでいる薬を持ってきてくださり、入院の説明をして病棟の準備ができ次第病棟へ、という事となった。頸椎損傷の患者さんは✕✕病院が受け入れてくださった(ありがとうございます)。救急車で転院の際には、消防隊から指示されている転送用の書類を書かないといけないので、これまた大急ぎで作成。救急隊がしばらくして到着し、✕✕病院に向けて出発してくれた。


外来診察のありがたいところは、「終わりがある」という事である。受付時間に来院された患者さんをすべて何らかの形で診察を終えれば「業務終了!」となることである。もちろん、いつ終わるかはわからないが、少なくとも「終わり」はある。


バタバタした外来であったが、とりあえず、受付された全員を何とかした。結構ひどい外来で、バタバタしているときは「しっちゃかめっちゃか(Helter-Skelter)」だったが、少なくとも、「終わり」にたどり着いた。あぁ、本当に大変だった。頸椎損傷の方は、見逃さずに診断ができて本当に良かった。そんなわけで、全エネルギーを使い果たして、外来から医局へ戻っていったのであった。

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