第21話 選挙公報

選挙前になると配られるのが「選挙公報」である。公職選挙法に基づき配布されるものである。普段は、あまりしっかりと目を通していなかったのだが(選挙は必ず行くようにしている)、今回は少し時間があり、個人、および政党の公報を確認した。


個人の選挙公報を見て思ったのは、「いい加減なこと言っている人、多いなぁ」ということが一番である。大言壮語を吐いている人が多いのだが、「じゃぁ、そのお金、どこから持ってくるの??」ということが多い。かつて民主党が政権を取った時、「日本には無駄に使われているお金が何十兆円もある。それを国民のために使うのだ」と言っていたが、果たして、そんなお金があったのか?事業仕分けも、それで財政は本当にスリム化され、無駄なお金が削られたのだろうか?むしろ必要なものを削っていたのではないか、あるいは結局、ポーズだけではなかったのか、と思い出してしまった。一時流行語にもなった、スーパーコンピューターに対する予算に対して「2位ではダメなのですか?」という言葉。資源小国、技術立国として進んでいこうとする日本に対して、技術にかかるお金を削るなんてありえない。オリンピックで金メダルを目指している選手に対して、普通の感覚の人なら「2位ではダメなのですか?」とは言わないだろう。


東日本大震災と福島第一原発の事故については、たぶんどの政党が政治を担っていても、うまくはいかなかったのだろうと思っているのだが、沖縄の辺野古基地移転問題では、ほぼ決まっていた話をひっくり返した挙句にグチャグチャにしてしまった。これは鳩山内閣の大失政の一つだと思う。


それは横に置く。大言壮語を吐いても、それを支える財源がなければ実現はできない。そんな訳で、無茶なことをいう人はいくら耳あたりがよくても、選択肢からは外すことにする。


政党の公報も同様である。某党であるが、「戦争させない、憲法第9条を厳守!」と書いてあったが、ウクライナのことを見ても、攻め込んでくる側は適当な大義名分を立てて攻め込んでくる。ウクライナは戦争したかったわけではなかったが、自国を守るために戦わざるを得なかった。戦争に負けるとどうなるかは、終戦直後の日本本土ではなく、終戦直前の沖縄、あるいは終戦直後の中国北部、旧満州国の人たちがどんな扱いを受けたのか、歴史を振り返れば分かるだろう。何のために歴史を学んでいるのだろうか?


また、逆に軍事力を持つ、ということも難しく、ミャンマーやタイの軍事政権を見れば、あるいは第二次世界大戦直前の大日本帝国の在り方を見ればその問題は分かるだろう。


その辺りの力加減を考えているのは、やはり実際に政治を行なっている与党や、いくつかのある程度現実的なしっかりした野党に限られてくるなぁ、というのが実感であった。


今の時代がとてもかじ取りの難しい今だから、今回も、きっちり選挙に行こうと強く思った次第である。


色々な意味で、選挙公報を見るのは面白かった。

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