第19話 「母子ともに健康です」の言葉と「コウノドリ」

数日前、よく見るネットまとめサイトをいつものように眺めていると「母子ともに健康です」という言葉を言葉通りに飲み込まないで、というツイッターの投稿が取り上げられていた。曰く、母親も、帝王切開であれ、経腟分娩であれ、命懸けで子供を産んだのだし、赤ん坊は赤ん坊で、命懸けで胎内から外の世界に出てきたのだから、「母子ともに健康です」という言葉は「奇跡が起きました」ととらえてほしい、との投稿だった。


全くもってその通りだ、と強く感じた。1900年の周産期の母体、および新生児死亡率は、母体は250人に1人の死亡、新生児死亡は100人に16人という頻度だった。人間の身体が100年ごときで変わるはずもないので、1970年代前半に生まれた私としては、そのような数字が、現在ではどちらも約2万人に1例程度に低下していること、そのための産科学、新生児学、小児科学の進歩は驚愕のものである。妊婦さんが妊娠して、定期的に産科で経過を診てもらい、異常があれば、微調整、あるいは高次の医療機関に転院して管理すること、未成熟時の管理という新生児学の進歩で母体死亡率は1/100に、新生児は約1/3000となったことはやはりものすごいことだと思う。


いくつかの場所で書いたことがあるが、私の長男の分娩である。妊娠中は妻は厳しい節制を自分に課し、体重増加も妊娠前に比べて約6kg増と適切な体重管理ができており、妊娠糖尿病や妊娠高血圧なども起こさなかった。長男も妊娠中の経過に問題なく、出生体重は3046gと良好な体重で出産となった。正期産であり、初産婦でありながら陣痛初来から分娩まで約9時間。長男も分娩後は特に問題なく経過し、いわゆる「母子ともに健康」と言われる経過であったが、分娩に付き添った私も、そして、主治医の産科の先生も冷や汗をかくようなお産だった。付き添い分娩を約束していた私は、妻の分娩が近いと聞いて、ER当直を抜けさせてもらい、大急ぎで産科医院に向かった。到着して、妻のそばに行き、声をかけて、CTG(分娩監視装置)を確認すると「遅発性一過性徐脈」と呼ばれる、よろしくない波形が見られていた。「いや、これはちょっと…」と思ったが、何かミスがあったわけでもなければ、何でもない。そのような事態になっていることに人為的な何かは関与していない。ただ、分娩が始まったら、babyちゃんにはまずい兆候が出ていた、というだけである。


状態がよろしくないのを確認したからか、産科の主治医が妻についてくれていた。徐々に徐脈の程度がひどくなる。「あぁ、母体に酸素を…」と私が思うと同時に主治医が「酸素もってきて!」と言って妻に酸素吸入を始めた。子宮口は全開大で児頭も降下しており、帝王切開に路線変更できる余裕もない。妻は頑張っていきみ、児を娩出しようと頑張っていたが、とうとう胎児心拍が90を下回るようになってきた。どの程度まで児が娩出されているのかは、私の位置からは見えなかったが、「吸引分娩の用意をして!次の陣痛で出すから!」と指示が飛び、次の陣痛が来た時に「お母さん、いきんで!」と妻も力いっぱいいきみ、先生は長男の頭を吸引して引きずり出してくれた。引きずり出された長男は胎便を排便していた。


「胎便を排泄」という状態は、本当にbabyが死にかけていた証拠である。長男が生まれ出た後はすぐに産声を上げ、全身状態は速やかに回復。その後はbabyには問題なく、「母児ともに健康」という状態になったが、あの数分の対応を間違えていた、あるいはそこに適切な医療介入がなければ長男は死産となっていたか、高度の脳障害を負っていたと思う。


研修医時代、産婦人科もローテートする必要があり、たくさんのお産に指導医と一緒に入ったが、その時のどのお産よりも緊迫したお産だった。産科の先生は、いわゆる「当たり前」の対応をしてくださったのだが、その「当たり前」の対応を「当たり前」にできるから、今の母体死亡率、新生児死亡率が維持できているのである。「母子ともに健康」という言葉は、まさしく、命懸けの闘いを勝ち抜いて、無事に戻ってきました、という意味であると改めて思った。


今日は午後から少しフリーの時間ができたので、ネットを見ていると「コウノドリ」のNICU編が1巻丸ごとフリーで読める、という記事にぶつかった。「コウノドリ」は極めて現実に即したマンガだと聞いており、あえて避けてきたところもあるマンガであるが、つい「無料」の言葉に惹かれ、読んでしまった。


私はいわゆる「一般」の小児科ローテーションは受けたが、NICUは経験していない。医学生の時のポリクリでも、NICUはチラ見程度であった。それほど、NICU、新生児への救命医療は高度で専門性の高い分野である。36週0日~40週6日までが「正期産」と呼ばれ、それを過ぎると、胎盤が劣化を始めるので、児も十分成熟しており、早期に娩出を図る。一方でそれより前に生まれてしまうのが「早期産」である。新生児医療が進歩して、26週以降の分娩であれば、もちろん強力な医療介入が必要ではあるものの、ほとんど問題なく成長、成人することができるといわれているが、早期産や奇形を伴う新生児の救命のための場所がNICUである。本編を読ませてもらったが、非常にリアルな描出に、胸が苦しくなるほどであった。もちろん、NICUで管理が必要なbabyは、多くの場合予想外の出来事が起きて、のことが多いので、動転した両親、特に元気な父親からは厳しい言葉をかけられることもしばしばだと思う。本編では、熱心で情熱をもって仕事をしていた医師が、ここ一番の時に、以前投げかけられた厳しい言葉を思い出し、身体が動かなくなってしまった。燃え尽きてしまったのだ。燃え尽きたときの気持ちは痛いほどわかる。でも、誰が悪いわけでもなく、いる場所そのものが極めて厳しい現場だからである。


今私が働いているのは、「医療現場」とくくってしまえば同じだが、同じようにsevereで、常に少しの変化にも気づくほどに気を張って、というほどsevereな場所ではないので(ただし、油断すると大きな落とし穴にはまってしまう)、まだ一度燃え尽きた私でも働けるのだろうと思っている。


NICUで働く高度な技術と専門性を持った医療スタッフがいることも、新生児死亡率の低下に大いに役立っているのだと思う。

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