第8話 関連施設からの急変時対応依頼(長文)
現職場でも、前職場でも、運営している医療法人が介護部門としてデイサービスの部門を持っていた。もちろん、同じ医療法人が運営しているとはいえ、全くの別組織なのだが、現職場、前職場とも地域密着型の医療を行なっており、どちらとも、デイサービスの所在地と病院、診療所の所在地とは歩いていける距離であった。
デイサービスの利用者の多く(ほとんどすべての人?)は、何らかの基礎疾患を抱えた高齢の方なので、2か月に1度ほど、デイサービス利用中に利用者さんが急変することがある。前職場の時には、「とにかく呼ばれたら駆けつける」というルールだった。本来は医師の診察を受ければ、デイサービスでのコストは取れないことになっているらしいが、細かい規定はわからない。初期評価をして、すぐに救急車で高次医療機関に搬送してもらうか、いったん診療所に来て初期対応を行なうか、デイサービスを中止し、帰宅とするか、デイサービスを継続するかをその場で判断する、という事になっていた。緊急連絡があり、デイサービスまでは100mほどだが、40代の小太りおじさんがダッシュするとかなりきつい。患者さんと私のどちらがハーハーしているか、逆転することはしょっちゅうだったことを覚えている。もちろん、診療所に来てもらっても、そこから他の病院に紹介する、という事も珍しくはなかった。
現職場も、同じような感じである。病院のかかりつけ患者さんであれば、病院に連れてくる、当院がかかりつけでなければ、かかりつけ医に連絡し、指示を仰いで救急搬送することもある、というルールで運営されている。
先日、私が午後の救急当番だった日に、出来事があった。
12:30過ぎだろうか?外来から私のPHSに連絡が入った。外来看護師さんからだった。「うちには受診歴のない、デイサービス利用中の方で、昼食後からしんどくなったそうです。今、血圧は維持できていて、意識もあるそうですが、SpO2が70%程度と落ちているそうです。かかりつけ医が今日はお休みで、こちらで診察してほしいとのことですが」と。SpO2 70%という時点で明らかにおかしい。当院は病院とはいえ療養がメインの病院であり、ERもなければ、蘇生用の薬剤や救急用の機材も十分には置いていない。救命救急の設備は、まだ診療所の方がそろっていたほどの貧弱なものである。とてもここで対応できるものではないと判断した。
「状況はわかりました。『当院で対応できるような状態ではありません。すぐにデイサービスで救急車を呼んでください』と伝えてください」と返答し、何かがあっては、と思い外来に下りて行った。処置室に顔を出したと同時に再度デイサービスから連絡があった。
「こちらに連れてきて、酸素だけでも吸わせてほしい」とのこと。
たぶんこれは消防隊、救急隊のルールだと思うが、医療機関外での救急要請の場合には、患者さんの収容後、救急隊が各病院と(特にERを持っている病院ではERとのホットラインを使って)受け入れ依頼を行ない、搬送病院を探してくれるのだが、医療機関からの救急要請であれば、それは原則として「転送」扱いとなり、送り出す病院側が、受け入れ病院を探し、紹介状を作成して、相手側の受け入れOKを確認してから搬送する、という事になり、病院間のやり取りに救急隊は関与しない。病院同士のやり取りは当院医師→(当院の病診連携室)→相手病院の病診連携室→相手病院の医師、というまどろっこしいことになってしまう(当院の病診連携室がカッコつきになっているのは、私が直接相手病院の病診連携室に連絡することもあるから)。しかも、相手病院は必ずと言っていいほど「診療情報提供書を送っていただいて、それで受け入れの可否を判断いたします」と言ってくる。それはそれでわからなくもないのだが、救急隊→ER医師/トリアージナースで話をするのと、このまどろっこしいやり取りでは、どちらのほうが早く対応できるのか、極めて簡単な話である。
「こちらに連れてきて酸素を吸ってもらう」と、すでにこちらで治療をしていることになるため、紹介状を書き、病院を探して調整する、という仕事も一緒にやってくる、という事である。もちろん紹介状を書くためには、「酸素吸入が必要な低酸素血症」だけではなく、できる範囲の検査や、命を落とさないために検査やその他の処置も必要になる。「なるだけ早く高次医療機関に転送する」という目的は投げ捨てた、という事である。
私は少しモヤモヤしながら、でも、再度の依頼なので受けざるを得ないと考えた。デイサービスと通話している看護師さんに「患者さんをすぐこちらに連れてきてください」と伝えてもらい、受け入れの用意を始めた。数分経っただろうか?患者さんはまだ来ない。デイサービスは病院の向かい側である。「低酸素状態で酸素だけでも吸わせてほしい」というSpO2 70%台の患者さんを連れてくるのに、いったいどれだけの時間がかかっているのだろう。「何してんねん!モタモタしてたら、患者さん死んでしまうかもしれんやろう!」と苛立ち、デイサービスにダッシュ!診療所の時よりも距離は短いのでそれほどきつくはなかった。デイサービスに行くと患者さんはベッドで休まれており、移動用のストレッチャーも用意されていない状態だった。指についているパルスオキシメーターはSpO2 72%と低値。患者さんの唇も紫になっている。患者さんの表情は比較的落ち着いており、「食後からの低酸素血症」と聞いていたので、誤嚥の可能性を考え、「何かのどや胸に引っかかってますか?」と聞くが、しっかりと首を横に振って否定。胸部は陥没呼吸となっており、胸部聴診では肺胞呼吸音はdistant。心不全を疑うようなcrackleは聞こえない。「ご本人はのどに何かを詰めた、という事は否定されており、陥没呼吸があって肺胞呼吸音があまりしっかり聞こえない。喘息重積発作、というほど苦しがってはいない。何が起きているのだろう??」と思っていると、移動用のストレッチャーが準備された。みんなで「よっこいしょ」とベッドから抱え上げてストレッチャーに患者さんを移す。そして、デイサービスの責任者と私の二人で大急ぎで病院の処置室に移動する。
到着時、BP 104/68,PR 70、肩で呼吸をしており、肺尖部は吸気時に陥凹し、陥没呼吸となっている。心雑音、過剰心音は聴取せず。肺胞呼吸音はdistant、意識はしっかりしているが、発語はできず。JCS-3と判断、下腹部は膨隆している。
酸素は8L リザーバーで投与を開始。こちらに連れてきたからには紹介状を書くために評価が必要である。少なくとも採血は評価をしなければならない、と院内緊急項目と動脈血液ガス分析を行なおうとした。しかし、右の橈骨動脈、尺骨動脈とも触れない。院長先生が「ここに肘動脈が触れますよ」とおっしゃってくださったが、上腕動脈は血圧が100もあるのか?と思うほど拍動は弱かった。高齢の方特有のことだが、血管を触れるとその力で血管の位置がずれて、なかなか血管を固定して採血、というのは難しそうだったのと、上腕動脈とひじの部分で正中神経が接近していること、一番止血が困難な部位であることから、できるだけ上腕動脈穿刺は避けたかった。右大腿動脈の穿刺をしようとして驚いた。同部位には縫合痕があり、IABPなど、何か大きなdeviceを挿入したのだろう。体勢も少し不自然で、やはりこちらも、触診ではよくわからない。再度、右上腕動脈を穿刺しようとするが、やはり脈は微弱で、血管も硬く、スルスルと動くので、穿刺部位を同定しづらかった。「ここ!」と思って穿刺をするが、逆血はない。針を抜いても出血もしない。もう一度tryしてみたが、やはり逆血もなく、針を抜いても出血は見られない。
看護師さんから、「しばらく左の鼠径部を圧迫していたら、浮腫が取れて血管が触れます!」とのこと。左大腿動脈は触知できたので、穿刺し、血液ガスと緊急採血を採取した。
看護師さんに穿刺部位を圧迫してもらい、地域連携室に、この方の受診歴のある高次医療機関に取り急ぎ一報を入れてもらい、救急搬送時の受け入れを依頼した。
高流量の酸素投与で酸素化は改善し、顔色も戻ってきた。少し発語も出てきた。本来なら、レントゲンを撮りたいところなのだが、古くからの医療界の格言で「レントゲン室は墓場」という言葉がある。構造上、十分な救命処置を置くスペースがなく、そこで急変すると救命処置を行うことが極めて困難、という事から来た格言である。たいていの病院には移動式のレントゲン撮影装置があるのだが、うちでは「使用頻度が低い」とのことで置いていない。となれば、胸部の画像評価は無理である。
酸素投与を開始し、SpO2は70%代から100%近くに上昇してきた。顔色も戻ってきた。先ほどまでは出なかった言葉も出るようになってきた。血液ガスの結果を確認すると、酸素投与からある程度時間がたってからのデータとなってしまっており、pH 7.210,PCO2 66、pO2 266.3(正常で、大気を吸っていると100程度)、HCO3 29と二酸化炭素の貯留、重炭酸の貯留と高度のアシデミアを認めた。何かよくわからないが、強いアシデミアだけでも、十分な精査が必要である。患者さんの容態が改善しているのを確認し、デイサービスからの情報を確認し、紹介状(診療情報提供書)を大慌てで作成した。
デイサービスからの情報では、近隣の高次医療機関で大きな処置を受けており、その後、自宅近くのクリニックで診てもらっていたとのこと。受診歴のある患者さんは受け入れてくれることが多いため、地域連携室と私から、同病院の病診連携室に転院を依頼し、紹介状を送付した。可及的速やかに対応してほしいのだが、同病院からの返事は少し時間がかかった。返事は、「受け入れ不可」とのこと。同院曰く、急変時は蘇生処置不要、とのことでクリニックに紹介しているので、こちらで救急対応をするのではなく、そちらで看取りの対応をすべきである、とのことだった。
「なんじゃそりゃ?」と正直なところ腹が立った。デイサービスから「重症だから」と連絡があり、初めて当院で対応した患者さんである。なので、こちらはそんなことは全く知らない。その病院と、クリニックでどのような話になっているのかわからない以上、ご家族の方が来られ、どのように考えているのかを確認するまでは「救命」のモードで仕事を継続すべきである。
地域連携室には、他の高次医療機関への紹介をお願いした。しばらくして、お子さんご夫婦が来院された。いくつかの診察室では診察が始まっていたため、空いている診察室を探して病状説明。従前治療を受けていた高次病院では受け入れ不可との返事をもらった、と伝えると、ご夫婦とも「えっ?!」との返事。おそらくご夫婦は「何かあったらその病院へ」と考えていたのだろう。少なくとも蘇生処置不要、とは考えていないことは感じられた。
ようやく、別の病院から「受け入れOK」の連絡をもらい、救急車を要請し、救急隊に転送時に渡すための書類作成を行なった。その間に、病診連携室のスタッフがご家族に話を聞いてくれていたが、「蘇生処置不要」という話は全く聞いていなかった、とのことだった。とんでもない齟齬である。
救急隊が到着し、救急隊に経過を申し送り、書類を渡して患者さんが当院を出発したのは14:20分頃。カルテの受付時間は13:00となっていた。事が起きてから、高次の病院に出発するまで約2時間。ここを通さずに救急車を呼んでいたら、少なくとも病院へ搬送されるまで2時間もかかることはない。どちらが患者さんのためなのか?答えはないと思う。
同日は医局会があったので、少しデイサービス責任者の方も含め、出来事について話し合った。デイサービス側は、「どうしても対応が難しい場合などはお願いすることがあり、その時は受け入れてほしい」とのことだった。言っていることはよくわかるが、前述のジレンマを抱えているわけである。私の意見は、「こちらに連れてこられた患者さんは当然全力で対応するが、「ここに連れてくる」という事が必ずしも最適解ではない、という事は理解してほしい」と伝えた。これは永遠のジレンマだろうと思いながら、この問題で10年以上苦悩している私が存在しているのである。
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