第5話 「PLAN 75」の広告

今、「PLAN75」という映画が上映されている。今朝の朝刊に広告が載っていた。宣伝文句に「選別されてよい命などない」と書いてあった。もちろん、その言葉は正しい。正しいのだが、仕事柄「では、若年者に提供される医療と高齢者に提供される医療は等しくなければならないのか?」と考えてしまった。


「医師」の仕事は、「患者さんの病気を治すこと」ではない。医師法第1条には「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」とある。つまり、医師は医療を行なうことで「特定の人」ではなく、「国民全体の健康(公衆衛生)」を向上させることが仕事である。


医療費が国の財政を圧迫し、少しでも医療費を削らなければ医療制度そのものが崩壊しそうなときに、「国民全体の健康」を向上させようとするならば、「お金を使うべきところ」と「そうでないところ」を分けなければいけない。「最大多数の最大幸福」と功利主義の言葉を持ってくるわけではないが、効果を最大にしようとするならば、削らなければならないところが出てくるのである。そう考えると(いや、実際にそうしているのだが)、生産年齢層、前期高齢者、後期高齢者、超高齢者で提供すべき医療は少しずつ異なってくる。もちろん、歳をとればとるほど、しんどい治療に対して耐えられなくなるので、行なえなくなる治療が出てくるのである。悪性腫瘍の治療しかり、人工透析しかり、技術の進歩でこれまで大きな侵襲を伴う治療が、カテーテルで低侵襲で行なえるようになったりしてはいるものの、やはり提供できる医療は加齢とともに縮小してくる。コストパフォーマンスも悪くなる(同じ手術を、余命3年の人に行うのと、余命20年以上が予想できる人に行うのでは、価値は変わってくると思うのだが)。


そんなわけで、映画の広告を見て「う~ん」と考え込む私であった。

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