2.

「起きてください」

 眠りに入れそうな一番気持ちいいところで、無粋な声に起こされる。

 一体誰だと焦点の合わない眼で声の主を見ると、どこかおかしいと反射的に思った。

 輪郭が人間のそれではない。

 たとえるなら、トリケラトプスを二足歩行にしたような、そんな相貌。大体の身体の印象は私とそう変わらない気がするが、身長はゆうに二メートル近い。頭には三本の角が生えており、体表は鱗のようなもので覆われている。首には襟のようなものがついていて、手足はがっしりしている。

 総じて、トリケラトプスの擬人化、という印象だった。

「大丈夫ですか?」

「……ええ……まあ」

 いろいろと訊きたいことがたくさんあるのだが、何から訊けばいいのかまったくわからない。

 迷っていると相手のほうから話を切り出してきた。

「この『窓口スタジオ』の中に入り込んでしまったということはあなたも『固識の路ゼルプスト』なんですね。無自覚なようですが」

「すた……なんですか?」

 耳慣れない言葉が飛び出し私は訊き返した。

「ああ、すみません。覚醒に気づいていないということは何もわからないですよね」

 その人? は物腰やわらかく話し、頭を下げた。

「私はセラス。〈自由連合〉の一員です。〈自由連合〉は全宇宙の『固識の路ゼルプスト』を統合する組織で、真の自由の完成を目指し活動しています。この地球も我々と連合を結んでいるんですよ」

 知らない情報が山のように流れてきて、すでにパンクしそうになっている。真の自由とは?

「〈連合〉がどのようなものかについてはまた後ほど説明するとして、この場所とあなた自身についても説明しなくてはなりませんね。まず『固識の路ゼルプスト』とは、超自然的な能力を獲得した人間のことです。たとえば……」

 セラス、と名乗った人物は腕を伸ばすと、掌から竜巻が発生する。その竜巻はどんどん大きさを増していき、やがて道幅と同じほどまで成長した。

 吹きすさぶ風の動きは私の身体を吹き飛ばそうとする。理屈はわからないが、本当に竜巻が起きていることは事実のようだ。それも、目の前のひとりの人間の掌から。

「私の“能力”は風を発生させることです。このように通常ではありえない事象を引き起こす“能力”を持つ存在が『固識の路ゼルプスト』の定義です」

 実際に目の前で起こされては納得するしかなく、私は頷いた。しかし、今度は別の疑問が湧いてくる。

「それはわかったんですけど、私にはそんな“能力”はありませんよ」

 だが、私の質問は想定内であるとでもいうかのように、セラスは答えた。

「そのことと関係してくるのが『窓口スタジオ』についてです。『窓口スタジオ』とは今あなたが体験しているような──失礼、お名前を伺っていませんでしたね」

「あ、千引いざなっていいます」

「いざなさんが迷い込んだこの道のような“現象”のことです。そして通常は、こうした“現象”を認識することはできません。なぜならば、普通の人間の限界を超えているからです」

 ここまでくれば、私でも話がわかってきた。

「『窓口スタジオ』を認識することができるのは、同じく異常な存在──『固識の路ゼルプスト』のみです。つまり、『固識の路ゼルプスト』とは『窓口スタジオ』を認識し、その“現象”に遭遇することができるもの、とも定義される。そしてこの定義は恒等的なものです」

「恒等的?」

 私はおうむ返しに訊き返す。

「常に等しい関係、すなわち『窓口スタジオ』を認識できるならば『固識の路ゼルプスト』であり、『固識の路ゼルプスト』であるならば“能力”を有している。“能力”を有しているならば『窓口スタジオ』を認識できる。この三者は切っても切り離せないものということです」

 見えてきた話が複雑になってきた気がして、私は首をひねった。

 そんな私を見かねたのか、セラスは付け加えていった。

「……私がいざなさんを『固識の路ゼルプスト』だ、と断定できたのは、あなたがこの出られない道に入り込んでいたから、ということですよ」

「だから私を無自覚な『固識の路ゼルプスト』だ、って言ったんですね」

 私にもセラスのような“能力”が備わっているらしい、ということを言葉の上では理解できた。気がする。

 説明が一段落したところで、新たに疑問が湧く。

「セラスさんはどうしてこの道に入ってきたんですか? 入ったら出られないのに」

 そう、動機だ。

 私のように何も知らないがゆえに呑気に入り込むのならばともかく、セラスはかなり正確にこの道に対する理解があると見ていいだろう。

 それだというのにわざわざこの道に入ってきた理由はなんだ?

「私はいざなさんを助けに来ました。ここから出る方法も知っています」

「……私を?」

 想像していなかった答えを聞き、一瞬思考が固まる。

「……どうして?」

 その答えが信じられず、私は訊いた。

 私の疑念を晴らすように、セラスは爽やかにいってのけた。

「同じ『固識の路ゼルプスト』を助けるのに理由なんてありません」

 彼女──あくまで受け取る印象からの判断だが──の揺るぎない表情──これも地球人とは異なるので印象の話──を見て、私は不安に苛まれ、自分がいつも以上に懐疑主義に陥っていたことを自覚させられるのであった。

 真偽も定かではない“噂”を確かめることと、人の善意を試すことは似ているようで違うことだ。

 気をつけているのに、非日常に入り込んだせいで思考も非常なものになっていたようだ。

「ごめんなさい、セラスさん。私、あなたが嘘をついているんじゃないかって疑ってしまいました」

 セラスに対して失礼なことをしていたことを謝る。

 彼女はやや面食らったようだが、すぐに返事が来た。

「気にしないでください。無理もありません。私も、あなたと同じ状況なら相手を信じようなんて思いません」

 それはそれでどうなんだろう、と思いながらも許してくれたことに礼をいう。

 ひとまず会話が終わったことで、周囲の不気味なまでの静寂が再び訪れた。

「……ここから出るって、どうやってですか」

 静寂を打ち破ろうと、そんなことを訊いた。

「それが本題なんでした。ここから出る方法ですが、単純です。引き返すことです」

「引き返す? どこに?」

 なんだか馬鹿丸出しの質問をしているような気もするけど、気にしない。

 セラスは私の後ろを指差した。

「あなたが来た方向です。この道に“出口”はありません。“入口”しかないのです。だから、一度入ると帰ってこられない道と呼ばれる。入口から出ていくことしかできないから」

 詭弁で煙に巻かれているような感じを覚えるが、まあ、そうだというならそうなのだろう。事ここに至り疑う意味はない。

「不思議に思いませんでしたか? 前に前に進むことしか考えずに、後ろを振り返ってみようと思わなかったことが。それがこの『窓口スタジオ』の本質です。入り込んだものに決して振り向かせず、終わりのない道を盲進させる。そうした盲信を与えることがこの『窓口スタジオ』で起きている真の“現象”です」

「私の心の中に影響を及ぼす力がある……ってこと?」

「ええ。ときに自然は私たちに思いもよらない影響を与えるものです」

 今起きていることを自然現象とでもいいたい様子のセラス。このような怪現象もまた、地球の自然の一部なのだろうか? 疑問は尽きないが、帰る方法がようやくわかった。道から出ることを考えたほうが良さそうだ。

「それじゃあ、早いところ引き返しましょう」

 私がいうと、セラスは同意する。

 今まで進んでいた方向──つまり前方に広がっていた、果てしない水平線の景色と同じく、反対方向にも終わりの見えない地平線が広がっていた。私が入ってきたはずの“入口”は消失し、川へ下り落ちる堤防とそれを防ぐガードレール、行く手を阻む壁と、永遠に続く道だけが見える。

 もしも逆を行っても終わりがないとしたら。そんな暗澹とした感情が巻き起こる。

 それは私の足を引き止め、今ここから動かないことを肯定する論理の螺旋を作ろうとしていた。

 しかし、停止した私の身体を引くものがいる。

 セラスは私の腕をつかむと、“後ろ”へ向かって歩き始める。

 すべてが止まったかのような世界の中に振動が蘇る。

 私とセラスの足音だけが空気を揺らし、他の何者も邪魔をしようとはしなかった。

 ほんの僅かな間のようで、しかしとても長い間歩いたかに思われた時間が流れた後、私はまたしても違和感を覚える。

 川のせせらぎが聞こえてくるのだ。

 ということは。

「もうすぐ“入口”ですよ」

 セラスがそういった直後、闇の中に見知った光景が見えてきた。

 最初にここに入ったときに見た、河川敷の緑色が闇を彩る。

 そして、道と外を区切る境界線を踏み、私はようやく元の世界へ帰ってくることができたのだった。

 すでに夕陽は沈みきって、明るい夜が白々しく空を覆っていた。

「帰って……いや、また入ったのかな」

「少なくとも、“出口”は通っていません」

 そんなよくわからない会話をしながら、私は安堵を噛み締めていた。

 危うく力が抜けそうになるが、それは家に帰るまで取っておきたい。

「ありがとうございました、セラスさん。あなたがいないと、どうなっていたことか……」

 私がお礼をいうと、セラスは顔の前で手を振った。

「いいんですよ。それより、ひとつ提案したいことがあるのですが」

「なんですか?」

「もしよければ、いざなさん、〈自由連合〉に入りませんか?」

 その提案は唐突なものであった。

 私が驚いて言葉を失っていると、セラスは続ける。

「〈連合〉は『固識の路』を全面的に支援する組織です。いざなさんも、今は“能力”が目覚めていないようですが、必ずその“能力”を使うときが来ます。そんなときに、あなたを支える存在が必要です。私たちは全力であなたを支えます。ですからいざなさん、ぜひ……」

 助けてもらった手前、というのもある。それに、こういう出来事にまた遭遇したら、という気持ちも。

 しかし、私は好奇心を押し切って自然と返事をしていた。

「せっかくの誘いですが、断らせてください」

 私の答えを聞いて、セラスががっかりした様子であることは短い付き合いながらもわかった。

 理由を求めていそうな彼女に、私はいった。

「たしかにあなたのような超常現象に詳しい人がいたら心強いと思います。それに、個人的にももっと不思議なことや未知の概念を知りたいとも思います」

「でしたら……」

「だからこそ、私は自分の足で歩いていきたいって思うんです。自分の足で届く範囲で、私の最高速度で世界を知りたいんです」

 この答えに納得はしていないが、理解はした様子のセラスはいった。

「そうですか……わかりました。あなたの考えを私たちは肯定します。それが〈自由連合〉の掲げる自由の理念ですから」

「ありがとうございます」

 私は深々とお辞儀した。

「お礼なんて……本来ならこちらがするべきなのですから。顔を上げてください」

 そういわれ、私はセラスと対面する。

「ですが、もし困ったことが起きたら、すぐに私たちに連絡をください。〈連合〉はいつでも『固識の路』の味方ですから」

 そういうと、彼女は自身の名刺をどこからか取り出し、私に渡した。

「ありがとうございます」

「いえ。……それでは」

「はい。今度は、普通に会いましょう」

 私は別れを告げると、日常へ向けて一歩を踏み出した。

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Exit 水野匡 @VUE-001

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