Exit

水野匡

1.

 一度入ると帰ってこられない道、があるらしい。

 クラスで少し噂になっているそれは、場所も時間も定かではない“噂”程度のものだ。

 されど暇な人間にとっては“噂”とは刺激的なもので──

 すなわち、私のような人間にとって、その噂の真偽を確かめることは非日常というエンターテインメントとなりえるのだった。

 日常という安寧を拒否し、刺激を求めて変化していく。まこと矛盾した行動だが、矛盾こそ人間の本質だろう。

 入り組んだ住宅街を歩いてゆき、“噂”の場所を確かめる。この手の調査の基本は自分の足で直接見ることにほかならない。私が同級生から訊いた場所は全部で六箇所。時刻に関しては、話を聞いた段階ですでにあやふやなので、独断と偏見により夕方の時間帯に絞って調査することにした。

 五箇所目まで確認を終え、後はひとつを残すのみとなっていた。

 歩いた距離は二桁キロメートルまで差し掛かりそうになっており、一日で強行軍するには無茶な距離だっただろうか、と後悔がよぎる。

 今のところ、すべて空振り。そもそも道に“入る”、という行為の条件が不明なのでいろいろと試してみたが、舗装道路や芝生、砂利道など普通に通れる道しかない。

 立地こそ不気味な雰囲気を醸し出す道だが、実際のところは不気味なだけで何もない。軽く調べてみても曰くすらない。ただ不気味だからというだけの理由で、理不尽な風評を押し付けられたようだ。

 この調子なら最後の一箇所も何もないだろうと思いながらも足を運ぶ。

 河川にかかる高架の下、いわゆる河川敷が最後の場所であった。高架の大きさがかなりのもので、直線距離で百メートルほどの幅がある。ゆえに、影がかかる範囲が広く、それがこの河川敷が“噂”に選出された原因だろう。

 そこはコンクリート造りの高架の柱と、堤防沿いにガードレールが設置された河川敷の中でもひときわ狭い区画であり、高さは二メートルあるかないかというところ。さらに明かりが置かれておらず、夜には暗闇になるであろうことが想像できる。

 なるほど、夜にここを通れば、川の水音と上からの車の音が不自然に響き、さぞかし不気味であろうと思える。しかも、明確にその部分の道幅が狭いので、“入る”という行為が連想されるだろう。これまでの場所の中で、一番それらしいものに遭遇することができて、私は内心高揚していた。

 空は夕焼けの終わり際で、赤に近い朱色が半分を覆い、もう半分は夜の青色が染め上げる。空の明るさに反して、地面には暗い影が指しており、ちぐはぐとした印象を受ける時間帯になっていた。

 ここで足踏みしていても始まらない。私は早速、この道に“入る”ことにした。

 不気味といっても百メートルあるかどうかという長さだ。すぐに抜けられる。

 そう思っていた私は、それが間違いだと認識することになる。

 違和感に気づいたのは、周囲の音がおかしくなっていたからである。

 水音がしなくなっていた。

 川は流れているはず。だというのに、せせらぎは聞こえてこない。

 ついで、高架の上で鳴り響く雑音が聞こえていないことに気づき、そして自分の足音がしないことに気づく。

 自分の吐息だけが、空間に響き渡る音になっていた。

 そして、歩いても歩いても“出口”にたどり着けない。

 風景は似たような光景を繰り返し、果てがない。

 地平線はとっくに見えなくなっている。左にそびえる壁は無限に続いていて、右にあるガードレールもまた同様だった。ガードレールの下、堤防と川はどこまでも下っている。そもそも、そこに川があるのか、もうわからなくなっていた。

 ここはどこなのか。

 何ひとつとしてわからないが、たしかなことは、私は一度入ると帰ってこられない道に入り込んだのだ。

 入ったことで、最初こそ喜んでいた私だが、やがてその興奮が覚めると、不安に襲われる。

 一体ここからどうやって帰ればいいのだろうか。

 一度入ると帰ってこられないということは二度と帰れないのか? それだとすると、一体誰が最初にこの道のことを言い出したのか。大体、ここはどこで、今は何時なのか。軽く数十分は歩いているはずだが、見えない地平線は朱色に染まっているままだ。

 歩くのにもいい加減疲れてきて、壁へともたれかかる。

 この壁も実在しているのだろうか。元の壁の長さと明らかに乖離した長さまで伸びている。少し歩きながら観察してみたが、この壁の見た目は少なくとも数メートル分、まったく同じものだ。傷の位置まで変わらない。そんな壁が存在するのだろうか?

 ホログラフィック・パネル(注・この世界におけるスマートフォンのようなもののこと)の時計を確認してみるが、私が最後に確認した時間から変わっていない。つまり、この道に“入る”前の時間なのだが、そこから一分たりとも変化していない。どうやらこの道には、電子機器を狂わせるか、時間を狂わせるか、もしくはその両方の影響力があるようだ。

 帰れないのなら帰れないで、別にかまわないのだが、次に気になるのは私自身のことだ。

 今はお腹も空いていないが、ここには食べるものがない。道も舗装されているし、草ひとつ生えていない。川にはおそらく降りられないし、他の生物がいるのかも怪しい。眠気はおろか、疲労すら感じないあたり、私の脳もおかしくなっているのだろうか。それなら逆に、なぜ出られないのかに説明がつけやすいのだが。

 延々思考を巡らせたところで、何がどうなるわけでもない。不安を紛らわせようと合理的に考えたところで、起きていることは不条理の極みだ。私はこのまま死ぬのだろうか。

 そんなことを考えていると、猛烈な眠気に襲われる。抗うことすら難しいその誘惑に、私は身を任せた……。

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