第2話・雪中心
井の中の
大海もまた 蛙を知らず
蛙が知るは
井の外でもまた 声は響くこと
*
僕は、僕のことが好きだ。もっと正確に言えば、僕は僕の声が好きだ。
僕の声は、異様に高かった。小学生の頃から目立つくらいには、声が高かった。僕は、幼かったこともあって僕自身の声がどうだとかはあまり気にしていなかったけど、周りの子や友達から「うるさい」とか「キンキンする」と言われた記憶は、朧げにある。
小学校2年生くらいだっただろうか。僕は、地元の少年合唱団に入った。僕は歌が好きだったし、他に習い事もしていなかったから、合唱団での練習や友だちと遊ぶことはとても楽しかった。男子しかいないという空間も新鮮で、ふざけながらも、楽しく、真面目に練習に励んだ。
合唱団のなかでも僕の声は誰よりも高くて、先生にそれだけで褒められたこともたくさんあった。みんなが喉をすり切らして出すような高い音も、僕の喉にとっては友達のような音だった。僕は、僕の声がどんどん好きになっていった。
そして、声変わりの時期が来た。合唱団の友達は、ひとり、またひとりと合唱団を辞めていった。高い声が出なくなると、みんな他の道に進んでいく。僕も、いつかはそうなることを覚悟していた。それがいつになるのかは分からないけれど、どこか小さな不安に抱き着くように、その時を待った。
でも、その時は来なかった。僕が合唱団入った時の同級生がひとりもいなくなってしまっても、僕が周りの子たちより頭一個半くらい背が大きくなっても、僕の声はいつまでも高く響き、澄んでいた。
周りの大人は不安がり、友達は不信がり、ただ合唱団の先生だけは喜んでいたけれど、僕にとって合唱団は居心地のよい場所ではなくなってしまった。みなの声に包まれ、その波の上を滑る自分の声を聞くのが好きだったのに。僕は背が高くなりすぎて、みんなの声は下から聞こえてくるだけになってしまった。
僕は、中学校3年生になったとき、正確に言えば中学2年の最後の終業式を終えたときに、合唱団を辞めた。
合唱団のみんなは引き留めてくれたけど、僕は依然として僕の声が好きだったけど、”そこ”はもう僕の居場所ではなくなってしまった。
春休みから、僕は学校の合唱部に入った。途中入部、しかも中3を目前にした入部だったけど、周りは優しく受け入れてくれた。僕の声が高いことはみんなある程度分かっていたし(というより、この声のおかげで同学年の人はみんな僕の名前くらいは知っていた)、合唱部にとっては僕の声は大事なひとつの役割を持っていた。
配属されたパートでは当たり前のようにスカートに囲まれたし、半分くらいの子はつむじが覗けた。そうした違いと共に、皆の声は合唱団の声とはやっぱり違っていて、僕が少しくらい背が高くたってなんの問題も無いくらいには、僕の声は波に乗った。
そうして、僕の第二の合唱人生が始まった。と、その時は思っていた。
春休みが開け、新たにクラス替えが行われ、3年生になった。大きな学校ではなかったから、全く見たことの無いひとは少なくて、新鮮味はそこまで無かった。新学期の最初の席順、つまり出席番号順にしたがって指定された僕の座席の横に座っていた女子も、見たことはあった。
斜め後ろの席の奴がたまたま3年間クラスが一緒だったから、そいつにつるみに行ったあと、自分の横の席の女子にも挨拶はした。
「クラス一緒になるの初めてだよね?よろしく」
間違いない。間違えるはずがない。僕の、
その時は、彼女の返事は無かった。小さくコクリと頷くだけだった。話したこともない子だったから、おとなしい子なのかな、とか思ってあまり気にはしなかった。
それから授業が始まっても、彼女は無言のままだった。一言も話さないままに嫌われているのかと心配したりもした(実際、僕の高い声を疎む奴はいた)けど、そんなことはないだろうと思い込むことにして、数日を過ごした。
運命の歯車がかみ合ったのは、学年で最初の音楽の授業だった。
音楽の先生は去年と変わらず、音楽室も、僕たちを見下すバッハやベートーベンの顔色も変わらない、何ともないひとコマだった。最初の授業だから先生の自己紹介(みんな知ってるのに)と、授業全体の進行について説明があったあとに、授業に入った。
授業自体も相変わらずで、まずは全体の発声練習から。僕は歌が好きだから楽しいけど、歌うのが嫌いな子は毎回毎回これをさせられるのは苦痛だろう、と思いながらピアノに音を合わせる。
ちらりと横に耳を貸せば、声は全く聞こえない。名前は佐野
発声練習が終わると、先生は僕たちを着席させ、課題の話をはじめた。一カ月ごとに座席がとなりの男女ペアで課題曲の発表をしてもらうこと、それは歌であったり楽器の演奏であったりすること。そして、初回の課題は歌で、課題曲は○○○○○であることを告げた。
その日の授業は初回ということもあってそれで授業が終わった。課題が告げられた時の草野さんの顔は、見ていなかった。
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