sideB
初めてその子を見たのは、その子が母親に手を引かれて歩いている時。
僕のことをじっと見ていた。なんてことはない。子供なら、よくあることだ。
手を振れば、手を振り返してくる。あの子もきっと、数年後には僕なんて存在を忘れてしまう。
「むぅ……」
声をかけてみれば、おみくじを開きながら、似合わない眉間にしわを寄せた顔がこっちを向く。
中身を見てみれば、当たり前ではあるが子供には難しい漢字や言葉が多い。読めないのかと、読み上げようとすれば『末吉』の文字。
「どれどれ……末吉……うーん。悪くはない」
なんとも言えない運勢だ。いっそのこと大吉とかでいいじゃないか。もっと増やせばいいのに。
他にも書かれている運勢を読み上げていくが、どうにも子供にはピンとこないらしく、不思議そうな表情でずっとこちらを見ている。
子供でも分かりやすくて、興味がありそうな運勢を探せば、恋愛運が目に入る。しかもよさげな運勢が書かれている。
「あ、恋愛、来るって。女の子はやっぱり恋愛は重要だもんね! うん! いいよ!」
だけど、まだその子は恋なんてものを知らないらしく、なおさら眉間にしわを寄せていた。
それから数年。
もう忘れてしまった頃かと、期待をしないようにしながらも、初詣に来る彼女のことを毎年必ず探してしまっている自分がいた。
そして、毎年、彼女は初詣に来てはしっかりとこちらを見据えて手を振ってくれる。忘れられないことが嬉しくて、弾んでしまいそうな足を抑えながら、彼女が忘れるまではいつもと変わらないようにしようと、おみくじを引く彼女の元にいく。そして、いつもと同じようにおみくじを読み上げる。
しかし、今年は少し気分が重かった。
「キョウ……」
うちの神社にはほとんど入っていないはずの凶が、彼女の手の中にあった。
彼女も戸惑ったように手の中のおみくじを見つめる。さすがに、凶くらいは知っている歳だろう。とはいえ、ただの運試しみたいなものだとフォローをしようとすれば、彼女は目を輝かせてこちらを見上げた。
「これが噂の……! 超レア!」
凶で喜び始める年頃らしい。
なんとか、今の子供でもわかるように説明しようとしたものの、いまいち伝わっていない。
誰だよ。呪いのアイテム強くしたの。
また少し時間が過ぎて、夏の暑い時期。当たり前ではあるけど、神社に人はやってこない。犬の散歩にくる人がたまにいるくらいだ。
「1年に1回しか会えないなんて、織姫と彦星みたいだなぁ」
しかも、橋の上なんかじゃなく、人の多い境内で。
不思議と、彼女は僕を忘れなかった。普通なら、もうとっくに忘れて、僕の姿を見ることだってできないはずなのに、彼女は変わらず僕のことを覚えていた。
浮足立ってしまうのも仕方がないといえば、仕方がない。忘れ、廃れていく神が、こうして覚えていられるのだから、それはもう嬉しくて仕方ないことだ。
とはいえ、あまり神である僕が、人間である彼女に近づくのはいけない。住む世界が違う。どれだけ一緒にいたくても、一緒にいることはできない。
叶うならば、一緒にいたいな……
「――って、ダメダメ!」
頭を振って、その考えを払い落とす。
それはただの独りよがり。
神であるからには、平等に人を愛さなければ。
「え? アレ……!?」
気が付けば、彼女が境内の向こうから手を振っていた。
「まだ夏だよ?」
「なんとなく」
嬉しくはあった。彼女とゆっくり話せるのだから。
「いくら日陰とはいっても、こんな真夏じゃ倒れちゃうよ」
「水持ってきてます」
少し自信あり気にペットボトルを見せる彼女は、銀杏の隣に座った。
いつもは長く感じる夏の間が、彼女と過ごすだけで、これだけ早く感じる。
恋や愛なんて、聞いて呆れるかもしれないし、許されないことだと分かっている。だから、
彼女の幸せを祈るくらい、許してくれるよね?
最近の子は、16になる前に、受験という大きな行事があるらしい。ないところもあるそうだが、彼女は大部分に入る。だから、最近は毎日というほどここには通ってこない。
だけど、週に1日、そのくらいのペースで彼女はくる。少しだけ疲れた様子で。だから、他愛の無い、変わらない会話。だってそうだろう? 昔のように、似合わない眉間にしわ寄せた顔はさせたくないんだから。
「……勉強しろとか、言わなんですか?」
「言わないよ。息抜きだって重要だって聞いたよ」
「へぇ……」
「道真公の言ったことだから間違ってないよ」
受験の話を聞いて、まず最初に思いついたのは、勉学の神様でもある菅原道真公だった。案の定、話を聞きに行ってみれば境内は正月でもないのに、人がたくさんいた。
目立ったのは学生とその親と思われる大人。そんな人たちを眺めながら、本人に話を聞いて、お守りをもらった。
ただ少し怒られた。人に近づきすぎだとか、1人に入れ込み過ぎるなとか。人は、頭の片隅に神がいるくらいでちょうどいいんだって。それくらいは理解してるつもりだ。
「こういうことしかできないけど、君が幸せになること、僕も望んでるんだ」
神は万能ではない。でも、人よりも大きな力を持つからこそ、一線を越えてはいけない。
「ありがとう、ございます……」
お礼の言葉が嬉しくて、でも、君の泣きそうなその表情で胸が締め付けられる。
今にでも、腕と口が勝手に動き出してしまいそうで、僕は別の言葉を口から紡ぎ出す。
「そうだ! 好きな人ができたら、大国主様に縁結びのお守りをもらってきてあげる」
溢れた涙を拭ってあげることすら、僕には許されない。
「だから、泣かないで」
どうか、早く僕を忘れて――
恋愛来る 願望成就せず 廿楽 亜久 @tudura
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