第2話 解かれた封印
龍笛を触って音を出した瞬間、いろいろな物が頭に浮かんだが、その前に驚いたのはこの笛の鳴りの良さであった。沙陀調音取は盤渉の責めという出しにくい鋭い音から始まるが、それが詰まることなくすんなりと出る。そして私の指も合わせて滑らかに動いてくれた。「
私はしばらくこの笛を擦っていたが、不意に我に返って、サミル老人の顔を見た。老人は唇に手を当てて思案しているふうであったが、
「あんたに見せたいものがあるが、その前にいろいろ報告せねばならん。一緒に来てくれ」
そう言った。私は荷物を背負って老人の後を追っていく。以前から老人は早足だったが、興奮しているのか速度はもっと早くなる。ついていくのがやっとだ。部屋を抜けて、ずんずんと城の中心部へと進んでいくようだった。暫く進むと大きな扉が見えてきた。老人が両手でそれを開けると、少し大きめの部屋に通される。中には髭を生やし武人面をした中年男性が1人、机の前の椅子に座っていた。老人が平伏するので、私は直感的にこの地の領主なのであろうと悟り、私もそれに合わせた。
「面をあげられよ、わしが敦煌の領主、ゴードである」
威厳のあるその男の声に合わせ、私は首を上げるとゴードはにやりと笑った。ゴードは私のことを知っているようだ。きっと、サミル老人が昨日報告したに違いない。
「将軍。この者やはり龍笛の奏者にござります」
「やはりそうか…」
「わしも先ほど聞きましたが、心が震わすものでございました」
「本物だとすれば、やはり招かれたということか」
「はい。長うございました」
私はこの奇妙なやりとりを無言で聞いていた。将軍、と呼ばれたその男は、私をほったらかしにしていたことに気づいたのか、苦笑いをした。
「ハクガ殿、許されよ。つまり、お主はこの国に招かれたということなのだ」
「どういう意味ですか…?」
「雅楽は、我々の国ではもう失われたものになってしまった。龍笛も篳篥も笙も、琵琶も…度重なる戦争で演奏できるものがいなくなってしまったのだ」
私は沈黙した。
「はるか昔、笙と篳篥、そして龍笛を持った3人の奏者が現れ、争いの絶えなかったザナドゥに平和をもたらしたという。そしてその者たちはこの国から姿を消したと」
「それは、どういう意味です」
「ははは…実はわしも分からんのだ」
ゴードは私をからかうように舌を出した。
「部屋に案内しよう。そこにいるサミルは、西域の出身だがここの言い伝えをよく知っているから、わしの知恵袋になっておる。より詳しいことはサミルに聞いてくれ」
私とサミル老人はゴードのいる部屋を出て、またしばらく歩いた。そしてある部屋の前まで来ると、老人はその扉を開ける。昨日一夜を過ごした部屋よりは広く、調度品もけっこう豪華である。
「ハクガ殿、これからここがあなたの部屋になる。よろしく頼む」
「ありがとうございます」
私はサミル老人に、ゴードの発言の真意を聞いてみた。サミル老人は何も言わずに部屋の本棚に一冊だけ入っていた本を取り出した。「ザナドゥの神話」と表紙にある。文字は見たこともないものであったが、なぜか、私には読めるような気がした。
「三管の奏者は、それぞれが機械人形を従え、その一撃は天地を動かし…動かし」
「どうしたのだ、ハクガ殿」
老人はぎょっとした。私の目からなぜか涙が溢れていたからである。なんとも言いようがないが、既視感というか、このような光景をかつてどこかで見たことがある。私は涙を拭い、
「天地を動かし、震わせ、敵の勢いを三度防いだ。敵国を従えし後は、奏者は何処ともなく去っていき、機械人形は、眠りについた」
「まあ、この国のおとぎ話だ」
サミル老人は椅子に腰を掛け、腕組をしながら遠い目をして言う。
「ずっと、そう思っていたのだよ…お前さんの笛の音を聞くまでは」
城の中で昼食をとった後、私とサミル老人は数名の兵士とともに駱駝に乗り、敦煌を出た。出たといってもそれほどすごい距離ではない。時間にして十分程度といったところだろうか。目の前には巨大な石の壁がそびえていた。「大昔はこのあたりにも集落が並んでいたらしい」と老人はつぶやく。昔はこのあたりにも家があったらしいが、今は砂漠に飲まれてしまっている。石の壁が近づいてくると、その下辺りに妙なものが見える。穴があり、数名の男たちが地面でなにか作業をしているのだ。私が思わず駱駝から降りると、男たちは作業を止め私の方を見た。
「作業は順調に進んでいるかね」
差見る老人の声に皆、顔が明るくなる。その声を合図に、兵士たちは駱駝の後ろに積んでいた物を下ろして男たちに渡していた。水や食べ物が入っているのだろう。そして、どうやら男たちは発掘作業をしているらしかった。
「ハクガ殿、見なされ。足部分が一部、出たところなのだ」
老人が杖で指したところを見ると、私は思わず「あっ」と声を上げた。周囲の石と明らかに違う何かが突き出ている。白いもの。それはあまりにも巨大だった。
「笛は持ってきておるかな」
「サミルさん、あなた、まさか」
「…そのまさかよ。これがもし、機械人形だとすれば」
「しかし、それはおとぎ話だと言っていたじゃありませんか」
「そうかもしれん。だが、お前さん、昨日と今日と、ほんの一瞬に過ぎんかもしれんが、この敦煌を見たじゃろう。かつて東西の交易に一役買った大都市は、東の国の度重なる戦乱によって砂に覆われ、今や埋もれようとしている…」
そうまくしたてる老人に、私は沈黙した。
「この国の命の炎が、燭光のように揺らめいているのだ。おとぎ話にすがりたくなる気持ちも、わかってほしいな」
「すみません。確かに。私はザナドゥの民ではなかったから、冷静すぎたのかもしれません。しかし…何も起きないかもしれませんよ」
「それは百も承知。何も起きなかったからといって、お前さんを取って喰おうなどとは思わんよ。ただ吟遊詩人のように、お前さんの演奏で街の人々を楽しませてもらえば良い」
なんとまあ…と私は頭をかいた。
誤解しているのだ、この老人は。
そもそも神話やおとぎ話などというものは、大げさに書きすぎなのである。たかだか笛を吹くだけで天地を動かすとか、バカバカしいことだ。楽器は楽器なのだ。
その刹那、頭の中にあるイメージが言葉とともに浮かんできた。
「笙は、天から差し込む光。篳篥は、地の民の声。そして龍笛は、空にあって天と地を行き交う龍の鳴き声を意味する」
「笙、篳篥、龍笛が一体となった時。それは天、地、空が一体になること」
「天、地、空が一体になった時、その場に宇宙が生まれる」
ああ…。これは、何者か。
かつて雅楽を習った際、最初に教わったことか。
私は懐にあった葉二の、歌口を口につける。お前は何が聞きたいのだ。目の前の者に、心のなかでそう問いかけた。「葉二」と私は呟き、ゆっくりと深呼吸をする。さっきまで吹いていた風が、なぜかぴたりと止んだ時に頭の中に浮かんだのは、
次の瞬間、石壁にヒビが入った。どん!という大きな音を立て、巨大な両手が突き出る。「すぐに離れよ」と兵士の声がし、作業の人々は壁から後方に走り出した。そしてその手で両脇から石を引き離すように、巨大な機械人形が顔を出した。その目の部分は緑色に光っていた。不思議だ。普通ならば他の者のように、驚き逃げ出すだろう。だが、私にはなぜか、妙な安心感があった。私のところには何も来ないだろう、と。ただただ私は、合歓塩を吹き続けた。二返し、三返し、機械人形が外に出上げるまで。ふと、私の肩に手がかけられた。振り返るとサミル老人で、彼は怯えた顔で顔を一生懸命振った。もういい、ということなのだろうか。私はそこまで吹いてから、途中止めを吹いて曲を終わらせたのだった。機械人形はそれを合図に動かなくなった。
西洋の甲冑のような優美な姿だ。
私を含め、皆、呆然としていた。
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