第5話 肺魚の呼吸のように
「白い谷」で私達による機械人形の調査が始まって10日以上が過ぎ、様々なことが分かってきた。
例えば機械人形の額に文字が刻まれていること。
機械人形についた多少の傷は、いつの間にか治っていること。
ひとりでに動くこともあること。
「音楽」に反応するようだが、どちらかというと速いテンポの曲に反応すること。
反応と言っても、こちらの意のままに動くことはないこと。いや、これは、もうしばらく調査を継続しなければならないだろう。我々は「機械」というよりは「生物」に近いような印象を受けた。
「これは…将軍に報告するのは、大変ですね」
私がそう言うとヤニスは口を歪め、大きくため息をついた。それに反応し、妙音はひどく笑った。私はその笑いに戸惑ったが、話を続けた。
「結局、我々の意思に従って動くかどうかは、今の段階では分からないわけですから」
「中にも乗ってみたでしょう?」
「乗っても乗らなくても、演奏した我々にはげっそりした感覚がありましたね」
「げっそりした感覚?」
「要は…我々の力というか、命を吸っているってことなんじゃないか」
私の代わりに妙音が答えた。ヤニスは思いつめたように唇を触る。そう、機械人形が動いた際はただ笛を吹いただけではないような、疲労感があったのである。それは、感覚的なものに過ぎないのかもしれない。緊張感が疲労を加速化させた可能性もあるかもしれないけれど、これは妙だった。
「いつまでこれを続けるんだい」
あれは何日目だったか。私と妙音とで夕食をとっていたときのこと、不意に妙音は私にこう言った。
「これってなんです」
「君は、この街に肩入れしているわけだが」
「いや、それは」
「そうだろう?ただ、流れに任せて、動いているだけ」
彼は、出会ったときからそうだが、妙にひねているところがある。斜に構えるというか、全体を見据えているというか。私は持っていた酒をぐっと飲み干してから、彼を見た。
「生きていくには、しょうがないでしょう」
そう言うと彼は薄ら笑いを浮かべた。私は妙に腹が立った。
「あなたは、どうなんです」
そう言うと彼は渋い顔をした。
「ま、そうだな…。似たようなものだな。私も、今まで琵琶を弾くしか、食べる方法を知らん男だ」
遠くを向いて彼は言った。ずいぶんと自分を客観視出来るのだな、と私は妙音という男を不気味にさえ感じた。
ザナドゥ。平原の国、幻の国、桃源郷の国、様々な呼び名を持っているが、それはいずれも、旅人が敦煌を見たときのイメージに過ぎない。敦煌から南に数十キロ離れたラサがこの国の都であり、王族はそこで暮らしている。王国なのか帝国なのか、その他なのか定かではない。この敦煌は辺境であり、敵国である「東の国」との国境に位置している。「東の国」は強大であり、過去に数回侵略の危機にあったが、将軍ゴードの優れた戦略によりそれをはねのけた。しかし国も老い砂漠の町・敦煌も老い、そして将軍も老いた。もう一度攻撃を受ければ、この敦煌は墜ちるだろう。敦煌は砂に飲み込まれ、忘れられた都に戻るのだ。
かように、風前の灯にあるこの街を、なぜ私は守ろうと思うのだろう。正直、誰かを説得し、かつ自分で納得できる答えが見つからない。これは一種の感情論であって、理性ではないからだ。「だろうな」と妙音は言い、酒を口に含んだ。
「そういうものかもしれんな。人というのは。私も、今なぜここにいるのか、自分が何者なのか、実を言うとよく分かっていない。ただ…」
「ただ?」
「私は、白菊という琵琶を探してここに来た。そんな気がするのさ」
妙音は玄象を撫でながら言った。
「玄象は、お前に弾かれたがっている。元々、帝の御物だが、一番うまく弾けるのは君だろう」
ミカド。随分と耳にしていない言葉に私は震えた。
「あなたは、何者なんです。なぜ私の名前を知り、玄象を知り、それが帝の御物だと知っている」
「湖に一匹の魚が居たとする」
「え…?」
突然、妙音は分かりにくいたとえ話を始めた。
「エラ呼吸もするが、この魚はたまに肺呼吸もする。肺呼吸をする時、魚の口からひとつ、ふたつ、息が漏れて、泡となって浮かび上がり、地上に出て消える」
「…」
「記憶もそんなものだろう。頭の奥底に潜んでいるものが、時折顔を出し、泡となって浮かび上がる。そして、消えていく」
彼は、ふう、とため息をついてからまた酒を一口飲んだ。
龍の啼く詩 朱雀辰彦 @suzaku-Ta
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