雪月花の間に、言の葉を。
雪月花の間に、言の葉を。
作者 水神鈴衣菜
https://kakuyomu.jp/works/16817139554671410472
雨の日、行きつけの本屋で大学生の浅緋昂輝とめぐり逢い、再会し、恋人となって春を迎える翻訳家・桜の恋愛。
サブタイトルに「雨音」「空蝉」「落葉」「凪」「白雪」「薄紅」とついている。
恋愛小説である。
各章ごとに主人公がかわるので、お互いの気持ちがよくわかる。
なかなか考えこだわって書かれている。
素敵な話だ。
章ごとに主人公が交代する。
「雨音」「落葉」「白雪」の主人公は翻訳家の桜、一人称私で、「空蝉」「凪」「薄紅」の主人公は男子大学一年生の浅緋昂輝、一人称俺で書かれた文体。自分語りで実況中継が綴られ、章ごとに主人公が入れ替わるので二人の考えや思いがわかりやすい。
恋愛ものなので、出会い、深め合い、不安、トラブル、ライバル、別れ、結末という流れを参考に書かれている。
翻訳家をしている桜は 梅雨のはじまった曇りの日、行きつけのこじんまりした本屋を訪れ、帰ろうとすると雨が降り出す。傘がなく、手持ちの本を読みながらやむのを待っていると男子学生の浅緋昂輝が雨宿りにやってくる。
彼にハンカチを差し出し、翻訳家をしていると名乗り、将来の夢について悩んでいる彼に「たくさん悩めばいい」と声をかける。雨が上がると二人はそれぞれ帰っていく。
一カ月半後、仕事で忙しかったため行けなかった本屋に訪れると彼と再会。お姉さんのおかげで本を読むようになり、また会いたいとおもっていたことを告げられ「私も、今日会えて嬉しかったです」と答える。
彼は恋している自覚をし、気持ちが募っていく。
およそ四カ月後の秋、大学前の大通りの紅葉をみていると、「お姉さーん!」と大学生になった浅緋昂輝に声をかけられる。再会して歩きながら将来やりたいことが見つかったと語りだす。世界の素敵さに気づき、二百近くある国々の言語などを知りたいと思うようになったと告げる彼に、世界の言葉に惹かれた自分と似ていると答えた。
短編を書いてみたいと告げる彼に書けると思うと伝えると、恥ずかしく困る彼が可愛くて笑ってしまうと、「お姉さんの方が可愛いのに」と言われて思考が止まる。「俺お姉さんが好きです」ストレートに告白され、私で良ければと答えた。
その夜、二人はスマホのチャットでやり取りする。どんな本を翻訳したのか気になると言われて、貸す約束をする。
冬、本屋で待ち合わせすると、二人組の男にナンパされそうになるところを彼に助けられる。クリスマスのイルミネーションをみながら、付き合うのははじめて、と答えてお手やらかにとお願いするも「お姉さんが可愛すぎて手加減できないかもしれないですね」といわれてキスされる。素敵な恋人ができて果報者だと思いながら、手をそっと握り返す。
春、大学二年生になった浅緋昂輝が住んでいるアパートまで迎えに来る。桜を見ながら頭について花びらを取ってもらう。恋愛小説にあるシチュエーションにドキドキする。カメラで桜を撮影する中、思い出として彼のスマホに二人で写真を撮る。
桜を撮影する彼女の姿を、彼は目に焼き付けるのだった。
女性神話の中心軌道で、彼女は書かれている。
恋愛小説に憧れ、いつか私にも恋人ができたらなと思いながら、翻訳の見習いをしている主人公。梅雨の始まりの頃、行きつけの本屋でずぶ濡れの男子大学生と出会い、ハンカチを差し出す。将来に悩んでいる彼に、「たくさん悩めばいい」と声をかける。
一月半後、本屋で再会し、また会いたいと思っていたことを告げられ、私も、今日会えて嬉しかったです」と答える。
ナンパされそうになるところを彼に助けられ、「俺お姉さんが好きです」ストレートに告白され、いつか恋人ができたらと思っていた主人公は自身の気持ちを認め、「私で良ければ」と答えてつきあうことになる。冬、恋愛小説でよくあるクリスマスのイルミネーションを恋人と一緒に見ることを体験し、彼からキスされる。
春、彼と桜を見に行く際に玄関先で抱きしめられ、隣の住人に見られ、名前で呼ばれる。一人で迎えていた春から卒業し、二人一緒にスマホで撮影するなど、彼との新たな未来を求めていく。
六月初旬から翌年春まで、およそ十カ月くらいの物語である。
ダブル主人公で一人称で書かれた恋愛小説。
章ごとに入れ替わるので、それぞれのキャラの内面が書きやすい。
ザッピングみたいに、それぞれのキャラの気持ちがわかるので感情移入しやすい。男子も女子も読める作品に仕上げている。
それぞれ年齢も性別も職業も違うので、キャラの描きわけができているのかがどうかが、読み手は比較しやすい。
桜を見に行って、「花の名前を与えられた彼女に、これ程までに似合う景色はない」とラスト終わるので、おそらく翻訳家の彼女の名前は桜だと推測する。
ただし、読みはサクラかもしれないけれど、漢字は違う可能性がある。そこまではわからない。が、おそらく桜だ。
断定できるのは、アパートの玄関先で彼女を抱きしめる様子を近所の女性にみられて慌てて離れ、彼女に声をかけて花見に出かける場面で「い、行きましょうか、桜」と彼はいう。
もちろん、桜を見に行くという意味もあるけれども、彼女の名前を呼んだとも取れるから。
いままでずっと、「お姉さん」と呼んできた。あまりの可愛さに、「最後の砦の理性を全力で働かせて、お姉さんを抱き締めるだけに済ませ」ていたところ、アパートの住人に見られたわけです。
気が動転して理性が外れてると思う。なので、つい彼女の名前を呼んでしまったのではないかしらん。
そのあとお姉さんの「……はい」という躊躇うような気恥ずかしさのあるような返答をしているのは、イチャイチャしているのを見られたのは当然あるけれども、名前で呼ばれたと思ったから、さらにドキドキしてしまったに違いない。
きっと桜を見に行くって意味なのかな、と考える間が「……」に込められているのではないかしらん。あるいは、名前を呼ばれてうれしくて、余韻に浸っていたのかもしれない。
なぜなら、恋愛小説に憧れていたから。
出会ったころ誕生日前なら彼は十八、ラストは十九。春生まれなら、二十歳の可能性もある。お姉さんはいくつかしらん。
ざっくり五歳くらい離れていると仮定する。
十歳以上離れていてもいいけれども、恋愛もしたこともなく、外国の絵本などの翻訳の見習いをしている、幼く見える女性はかなりレアなケースに思う。
翻訳家になるには、資格や免許は必要ない。が、一定の語学力が必要となる。
日本には翻訳科のある大学はないので、多くの人が大学・短大の外国語学部や専門学校の外国語コース、翻訳コース、あるは通信講座で学ぶか、留学、TOICやJTA公認翻訳専門職資格試験、実用フランス語技能検定試験などの語学力検定を受けるなどしてその後、翻訳会社に勤めたりフリーで仕事をすることになる。
外国文学の場合、出版社から直接仕事がくることが多く、専門学校の講師に紹介してもらったり、名のある翻訳家の元で仕事をし、まずは人脈を築くことになる。
翻訳家には「出版翻訳家」と「産業翻訳家」の二つに別れ、「出版翻訳家」とは、外国文学を翻訳して出版する人や外国映画に入れる字幕の文章の翻訳をする人のことを指す。
主人公はこちらだと思われる。
見習いといっているので、主人公と五歳くらい離れているのが妥当と考える。
「行きつけの本屋さんに向かっていた」というのがいい。
最近は本屋が潰れて、ショッピングモール内の書店くらいしか残っていないので、行きつけの本屋がなくなてきているので、主人公の住んでいるところにはあるんだと、懐かしいような羨ましいような、安堵感をおぼえる。
「第二の実家のような場所」と表現している。
おそらく彼女はインドア派で友達も少なく、仕事と家を往復する生活の中に本屋がある感じなのでしょう。部屋の中には本棚以外に読む予定にしている積本のタワーがいくつも建ってるのかもしれない。
好きな本は「太宰治だとか、芥川龍之介だとか、坂口安吾だとかの作品」とあって、最初の二人は自殺して、堕落論書いたおじさんは晩年結婚して孫ほど離れた子供が寒くないようにと温めようとしたとき一酸化炭素中毒で亡くなった人ですか、と偏った知識のせいで彼女は幸が薄いのではと心配になる。そこに「ずっと読み続けているのは宮沢賢治」とあって、若くして病気で亡くなったじゃないかと不安になるも、「あの不思議な世界観や綺麗な言葉選びが好きで、言葉の力というか、言霊を感じることができると勝手に思っている」と続いたので、作品の表現に惹かれているのがわかってホッとした。
「ぽつぽつと──いやその表現は相応しくないかもしれない。かといってざあざあという言葉も相応しくない。曖昧に雨が降っていた」ここの表現が実にいい。
主人公は翻訳家なので、言葉の使い方にこだわっているのがよくわかるのはもちろんだけど、この段階では彼女が翻訳の仕事をしていることはまだわからない。
わからないけども、言葉にこだわりのある人なんだと読者に印象づけることができ、後で翻訳の仕事をしているとわかったときの説明にもなる。
それ以前に、カクヨムなどお話を作る人全般にいえるけれども、紋切り型のオノマトペを使わないよう心がけないといけない。
昔からよく言われることだ。
古くさい言葉でいうなら、他人の褌で相撲を取るな、である。こんな表現されても「はあ?」と首を傾げたくなるのも無理もない。でも、そういうことである。
雨が降ったら「しとしと」と表現するな、「ぽつぽつ」も「ざあざあ」も使うな。そういう表現は昔、誰かが作り、みんなが便利だからと使い倒してきたので手垢まみれの表現なのだ。
「バケツを引っくり返したような」もそう。
気象予報士など、わかりやすく端的に伝えるためにみんなが知っている言葉を使うのは、緊急時は正しい。
でも、小説は文字で絵をかくよう描写する。
なので、その作者でなければ描けないものを表現することも心がけなくてはいけない。とくに私小説は。エンタメ作品は必ずしもそうではないのだけれども。
帰ろうとしたら雨が降っていて、傘がない。だから本を読んでやり過ごすのはいいのだけれども、店内か軒下なのかがわからない。
きっと後者なのだ。
古い本屋でも扉があるので、店内で待てばいいのにと思えてしまう。仮に店内だと、びしょ濡れのまま彼が来たとき、店内の本が濡れてしまう。なので、彼も入りたくても入れないと考えるから軒下で出会ったと思われる。
出会ったのが「読み始めた頃には薄かった右手側のページたちも、最初から三、四倍程の厚さになった頃」とある。
読み始めは一ページめ。表紙と目次があるので、三枚くらいとすると、そこから九枚から十二枚ほど読んだ辺り、ページだと二十五ページ近く読んで彼がやってきたことになる。
新潮文庫の太宰治の作品を参考に考えてみると、一ページ七三八文字だからだいたい四百字詰め原稿用紙二十五枚くらい。
本作の内容くらいを読み終えた時間、二十分くらい雨宿りをしていたのだ。
将来の夢について話しているとき「未来のこと……考えるのって、難しいですからね」と未来に置き変えているところにもやっとした。
「未だ来ぬことが分かるほど、人間の脳は上手くはできていない。だけど皆は未来を考えろと言う。そう言う皆も未来は分からないはずなのに」これをいいたいために、将来を未来に言い換えたのかもしれない。
先のこと、という意味では似ているけれど、二つは違う。
将来はきっと実現することやある程度必然性のあること。
未来は、将来よりも先を指し、漠然としか予想できない不確かなことに使われる傾向がある。
彼は将来の話をしたのに、それ以降の先の未来を持ち出すことで、彼女は難しく考えようとしている。
普通の人ならべつにこれでもいいのだけれど、翻訳を仕事にしていて、雨の降り方の表現でこだわりをみせたのに、違和感を覚えてしまう。
おそらく、彼女は不安を抱えているのだ。
一人の大人として、やりたかった仕事をし、自立している。
仕事にも慣れ、仕事と家と本屋の往復。このままでいいのかなと思っていた。
恋愛小説が好きで、いつか恋人ができたらと夢見てきたが、未だ一人のまま、恋人もいたことがない。
だから彼女は、「未来のこと……考えるのって、難しいですからね」「未だ来ぬことが分かるほど、人間の脳は上手くはできていない。だけど皆は未来を考えろと言う。そう言う皆も未来は分からないはずなのに」いい人作りなさいよ(親とか友達から)といわれても、難しい。
彼女自身、先のことがわからない。
彼の悩みを聞きながら、自分の悩みを考えていたのだ。だから、「たくさん悩めばいいと、思います」といったのだ。
自分もたくさん悩んでいて、いまも一人なんだよ、恋人もできたことないんだよ、という想いが込められていると思われる。
ラスト、春で終わるのがいい。
卒業とか入学とか、新たな門出の雰囲気。
いままでは一人で迎えてきた春だけれど、これからは彼と二人で迎えていく、そんな未来を予感させている。
読み終えたあとに、タイトル『雪月花の間に、言の葉を。』をみると、二人のやり取り、作品の作り方、互いの視点が交互に替わって織りなしながら一つの作品となる如く、二人は共に新たな未来を迎えるという、実にきれいな終わり方をする。
だから、読後が清々しい。
彼が就職が決まって卒業したら結婚かしらん。
願わくば、二人が幸せでありますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます