天邪鬼と素直

ケー/恵陽

天邪鬼と素直


「あまり私に話しかけないで」

 口に出してから後悔した。西の顔が泣きそうになっていたからだ。しかし私の口は更に心無いことを告げる。

「私、西のことそんな好きじゃない」

 嘘だ。だが流れ出た言葉を否定することもできない。本当は違う言い方をしたかったんだ。友人たちが軒並み用事で去って行ったこの時間。二人で過ごすのはよいが、私には話題も振ることができなくて悔しくて、西もどうしようかと考えているようだった。

 だから無理に話題を作らなくてもいいと言いたかったんだ。でも好きじゃないなんてことはない。共通の友人を持って、話をするようになった西はとても良い子だったのだ。私には勿体なさ過ぎて、私が好きだというのがおこがましいくらいに。

「黒ちゃん、ごめんね……」

 無理やりな笑顔を浮かべて、西は離れていった。

 こちらこそ申し訳ないととても言いたいが、私の表情は固まったままだ。


 西美咲とは今年高校三年になってから初めて同じクラスになった。去年委員会で親しくなった友人と、彼女も仲良しだったらしく同じグループで行動するようになった。基本的に自分から話しかけられない私は初め、ただ無言で西の行動を観察していた。

 私と違っていつもにこにこしている西。

 ひだまりのように心地よい声で相づちを打ち、よいことには賞賛を、哀しいことには元気づける言葉をかける。

 外でいるときも年配の方を見つけては朗らかに挨拶をし、なめらかな動作で手を貸す。小さな子どもにも然り。

 人となりのやさしい子なのだ。ただひとつ欠点をあげるとすればやさしすぎることだろう。そんな彼女だから私には眩すぎるのだ。私がなることのできない素直な存在。


 西とは以降半年、二人だけで話をすることはほぼなくなった。相変わらずグループで行動するときは一緒に居る。でも、それだけだ。

 初夏だった季節はもう初冬を迎え始めた。目で追ってしまうのはもう仕方ないことだと諦めた。

 その間に実は欠点がもう一つあることにも気づいた。西は結構どんくさい。のんびりしているのかと思ったが、のんびりの度合いが違った。普通に皆と歩いていると、足をもつれさせる。何かに躓く。そしてこける。あまりのどんくささに時々そっと腕とか背中を支えてやるほどだ。

 そして今はクラスメイトである一人の男子と親しそうに話をしている。厄介なことだ。西はただ友達と話をしていると思っている。だが男子は違うだろう。自分に気があるとでも思っているのだ。

「……西、ちょっとこれ教えてくんない」

 溜息ひとつと引き換えに英語のノートを持って席を立つ。

「黒ちゃん? なあに?」

 随分な態度をとっているのに西は私が呼ぶと何故か喜ぶ。

「英語、私次当たりそうなの」

 日付になぞらえて出席番号を当ててくる英語教師だ。本当は予習しているが、あの男子からは離した方が賢明だろう。

「あ、そっか。今日は当てられそうだね。ごめんね、話の続きはまた今度ね」

 さくっと男子を捨てて私のもとへやってくる。男子は状況が理解できてないのかきょとんとしている。口の端を持ち上げて、顎も心持ち上げてやると、男子は眉根を寄せた。この無駄にでかい態度も時には役に立つ。

 私の目に適う男でなければ西を預けることは出来まい。

 それに受験は迫っている。就職希望のものなど既に内定をもらっているものもいるのだ。恋や愛にかまけている暇は私たちにない。

 ――そう、ないのだ。

「黒ちゃん、待たせてごめんね。えっと、私の訳なんだけど……」

 ないと言いながら私は西を目で追うのだ。私を見て、私に笑いかける。その姿を眩しいと思いながらも喜ぶ。

 だけどそれももう暫くの間だけだ。


 受験というものは残酷で、あっという間に冬休みに入り、正月が過ぎ、受験日が近づく。

 その間に自由登校になり、西と顔を合わせる回数も減った。ホッとしたような残念なような複雑な心境だ。連絡を私からすることは滅多にないが、グループの連絡で元気な様子が垣間見える。

 登校日に会うのが楽しみだ。

 私は頭がよくないから西や他の子と同じ学校には行けない。だから登校日、そして卒業式が西たちと会う最後の日になるだろう。

 最後くらいは素直に――はなれないだろう。それでもいいか、と思う。残念な高校時代の思い出は、アルバムを見てそういえばこんな人がいたと思われる程度でいい。


 受験はまだ終わっていないけれど、何とか滑り止めに合格していた。しかし本命には落ちていたので、卒業式が終わってから後記試験を受けるところだ。

 卒業式はまだ肌寒い空気の中行われた。朝の教室で西たちと合流したときには結果を報告し合った。すでに独り暮らしの予定を立てている者もいる。明後日に母親と現地へ行くのだと嬉しそうに語っていた。

 恙なく式を終えた後は、皆で写真の撮りあいとアルバムのメッセージ書きである。私も皆に書いてもらった。西にも。西は無難なことを書き込んでいるが、嫌がらずに書いてくれたことが嬉しかった。

 教室の外でも部活の後輩や他のクラスの子たちと写真を撮りあう。家に帰ったらまだ終わらない受験勉強が始まるのだ。今だけは笑って楽しんでもきっと罪はない。

「黒田、まだ試験あるんでしょ」

「そうだよ。残念ながらまだ笑ってる場合じゃない」

 友人の中で私と同じ境遇の子もいる。

「はは、憂鬱だよね。てか試験終わったらお疲れ様会しようよ」

「いいね」

 褒美があれば頑張れるのはもう諦めてもらおう。和気藹々とできるのも束の間と思うと切なくなる。大学に行くとなるともう皆となかなか会うこともできなくなるだろう。それでいいとも思うけれど、少しだけ私もさみしくなる。

 西にも会えなくなる――確実に。

 写真撮影会も終わって、皆で打ち上げにでも行こうかと話が出た。それなら、とすぐに待ち合わせ場所を決め、皆それぞれの家に一旦帰ることにする。時間に余裕はあるが、家に帰ってあれこれしていたらきっと時間が掛かるだろう。私も駅へ向かうべく足を進めようとした。

「黒ちゃん」

 けれど呼び止められた。

「ちょっといいかな」

 西である。ふんわり笑う西である。

 私は何を断罪されるのだろう。


「黒ちゃん、卒業だね。次に会えるのがいつになるかわからないから、言っておきたかったんだ」

 ふんわり、としか形容できない笑みを湛えている。私にとって眩しい笑顔。ポーカーフェイスの下で、戦々恐々としている。

「何? 謝罪でも要求する?」

 最後までこの口は素直じゃない。

「西のこと嫌いってい言ったもんね、私」

「違うよ」

 自分から切られに行こうとしたのに、やっぱり西は笑う。私の好きな顔で笑って、心地よい声で否定する。

「黒ちゃんてば、わたしはそんなに察しがよいわけじゃないけど、ちゃんとわかるんだよ」

 何を、と訊く前に西は詳らかにしていく。

「わたしのこと、助けてくれてありがとう。転げそうになったらそっと支えてくれたり、絡まれてたら助け舟出してくれたり。気づいてないわけないでしょう」

「……そんなの偶々でしょ?」

 動揺に気づかれてないといい。

「偶々?」

「そうよ。早く行きたいのにとろいから、西を押したりしてただけ」

 小首を傾げる西はかわいらしい。

「田中君との会話を邪魔したのも?」

 田中とは以前でれでれとした顔で西に話しかけていた男だ。

「ただあいつが好きじゃないだけよ」

 ただそれだけだ。特に意味なんてない。

 顔をそらして答えるも、まだ西の笑みは揺らいでいない。

「黒ちゃんのただそれだけ、が私にとってはとても嬉しかったの。だからありがとう」

 言いながら踏み出してくる西に気圧される。何かがざわざわと肌の上を這い上がる。真っ直ぐに逸らされない視線に捕らわれる。

「黒ちゃん」

 目の前に迫った西はあろうことか私に腕を巻き付けてきた。背の高い私に、西の髪が頬をくすぐって笑いそうになる。ぎゅっと適度な強さで握られたところからやわらかな感触に襲われる。上目遣いで、少しだけ頬を染めて、――囁かれた。

「大好き」

 瞬時に沸騰するこの身。私は呼吸を忘れた金魚のように口をはくはくするばかり。

 私が動けない間に西は拘束をさっと解いてしまった。そうして常にない茶目っ気を含んだ声で笑う。楽しそうに眩しそうに、心から笑っていた。

「じゃあ、また後で会おうね」

 そういって立ち去ろうとする西も照れているのか、まだ頬が朱くなっている。教室の扉に手を掛けた西の背中に、私は、私も――叫んだ。

「私も」

 西が大きな眼で振り向いた。

 素直になれない私。素直になりたい私。こんな時くらい、最後くらい勇気を振り絞るんだ。

「……す、すす、す好きよ!」

 少しだけ泣き笑いのようにも見える表情を作り、西は大きく頷いた。

「うん。知ってた!」

 西はそう言うと、教室から出て行った。手をふりふりと振って、また後でと零しながら。この場に崩れ落ちた私を一人残して。


 足りない勇気は使い切った。

 すれ違いのままのお別れなんて私らしいと思っていた。

 けれどそれは独りよがりだと思い知らされた。

 心の熱はまだ冷めそうにない。

 私に嘘はもう被れそうにない。

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