知らない愛の歌を今日も口ずさむ 一章前半

おもち

第一章 前半 選択肢なんて

 嘘をついた。悪意のある嘘を初めて。大好きな朝倉先生と、それから自分自身に。

「ありがとうね先生。でもごめん、やっぱり私もう子供じゃないから。」

 

 高校三年生になって気付かされたことがある。ドラマや映画みたいな恋愛なんてものは疾うに枯れ果ててしまい、

残された私たちは進路や受験という厄介な相手と付き合って生きている。しかも面倒なことに、そいつらを無視すると将来だけでなく周りからも見放されると聞いた。

「だから、チサは受験勉強を重い彼氏って言うの?やっぱりチサは分かってないね。」

 鼻に指をつけて立ち上がった彼女はお退けるように笑って続ける。

「勉強は甘えたら叱られるけど、彼氏なら甘え時幸せになれちゃうのよ。ろくに恋愛したことのないチサには分かんないかもだけど。」

 からかいたいのだろう彼女には残念だがその幸せが分からなかった。彼氏もいなければそれに甘えたこともない私はそれを覆す言葉を知らなかった。

「分かった。でも私はナミの知っている青い春の味なんていらないの。きっと食わず嫌いってやつね。」

 やっぱり不思議そうに、でもどこか楽しそうに言葉の意味を探す彼女は山本奈美。高校一年生から私の側で、容姿の整った彼女は多くの時間を過ごしてきた。私と反対、だからこそ側にいれるのだろう完璧な人。私には勿体ないくらいの人。


 歌詞を書いた紙が捨てられた。千切られてしまった。

「またこいつ変なポエム書いてるぞ!」

「ほんとだ、気持ち悪い。」

「普段喋らないくせに、思ってることがあるなら言えばいいのに。」

 耳をつんざくような笑い声が何度も突き刺さる、中学生というまだ幼かった私への言葉。小さい頃から歌詞を書いていた私は何故か歌詞を書くようには人と話すことができなかった。いや実際には話せなくなっていった。

いじめの原因は母が死んだこと。私はその大切な人を歌にした。大人からは「不謹慎だ」「惨めだ」と蔑まれ、彼らの子供たちからは何度も言葉で刺されてしまった。言葉が人に殺意を持つとは知らなかった。人を守るものだと思っていた。だから歌詞を書いていたのに。

 高校生になっても憂鬱は変わらなかった。制服もリボンも鞄も部活もどうだっていい。一人になりたい。そんな状況がしばらく続いた。歌も朝倉先生にしか見せていない。なんで彼に見せるようになったのかも忘れたけれど、どうだっていい。消えてしまわないように歌を作り続けた。茜色をした夕焼けが世界を包んで、外から部活の声が聞こえる。田舎の学校だから顔を見ると私が誰かがわかってしまいそうで、誰にも顔を合わせずただ楽器を背負って目的地に向う。どうせ私のことなんて誰も興味がないことは分かっている。だからきっと儀式のようなものだ。

廃部になり吹奏楽部がいなくなった、まるで主人に先立たれた犬のような音楽室、私みたいな音楽室。そこでの一人ぼっちになれてしまっていたことに後悔する。

「すごい、すごいよ!こんなの書けるなんて!」

 歌を書いている私を見て彼女はその大きな目をますます広めてそう叫んでいた。いつもは誰もいない音楽室、夏だったから、ドアも開けていた。私だけの世界で、歌を作っても歌っても誰にも笑われないそんな愛した教室で、年も名前も知らない華麗な少女に圧倒される私は言葉が出なくなっていた。ただ不思議なことに心の浴槽に貯まるのは盗み見された苛立ちでも歌を書く姿を嘲笑われる不安でもなく、彼女の言葉に対する喜びだった。音楽教師の朝倉先生以外に初めて歌を見せた。彼の「よく出来た歌だ。」という言葉はあの笑顔は決してお世辞なんかじゃなかった。

私の歌が誰かの心を動かした。

その事実が浴槽に貯まって私を温めた。目を見開いた私に驚いた彼女は美しく笑って

「いきなりごめんね、つい見惚れて叫んじゃった。私、山本奈美。あなたの名前は?」

 そう言って手を差し出す。それが正しい距離感か分からなかったけれど、湯船に浸かった私は状況について行けず震えている手で彼女の手を握る。私の名前は

「望月千栄」

 頬だけでなく世界に色が付いていくのを感じた。


 あの日から私たちは毎日音楽室で放課後を過ごした。彼女は人気者で他に時間をかける相手も趣味もあるはずなのに、それでも私の歌を愛してくれた。不思議なのはこれ程長く時間を共にしても彼女の顔に悲しみや怒りが現れたことがなかったことだ。

「幸せなんだ私。チサの側にいられるのが。」

 そんな言葉を聞くたび、彼女は私とは違うんだと感じてしまう。自分の側にいて楽しいのか、自分は側にいていいのかが分からなくなって今までに何度も大切な人の存在を心の中で殺したことを思い出す。夜になると不安に溺れてしまう私と、次の朝日を楽しみに待つ彼女はやはり違う。そんなの分かっているし今更妬む必要もない。「明日も逢いたい」の言葉が二人の夜に浮かぶ、それだけが同じであればいい。

「私思うの、大切な人は一人じゃないのに死ぬまで側にいる人は一人じゃないといけないなんておかしいって。」

 二人を繋いだ茜色があの日のように空を染め上げる帰り道、バス停がさっきまでより大きく見える場所で私は不意にそんな言葉を溢した。

「なるほどね、青春の味も欲しいけど私の側からも離れたくないわけだ。その気持ちがチサから聞けるなんてびっくりだよ。」

「わがままね。でもただ怖がっているだけなの。目を離した隙に大切なものが無くなってしまいそうで。」

 顔を赤くして欲しかったのだろう彼女はけれど素直な私の言葉に彼女は少し驚いたように立ち止まり、真面目な表情になった。

「居なくならないよ、約束。大人になって別の人と結婚して、子供ができて、おばあちゃんになっても絶対チサに逢いにいく。だから、私より先に居なくならないでね。」

 そんなことすら、あなたは口にできる。

私はナミのそんな姿も言葉も、大好きなんだ。

傾く夕日が私たちを照らす。もうすぐバスが来てしまう。

また明日、いやきっとこれから先永遠にナミに逢いたい日は続く。だからお願い神様、いつかのように大切な人との糸が解けないように

その糸で私の人生を結んで。

 バスに乗った私が見えなくなるまで手を振って笑う。それが彼女の生活に溶け込んでいた。

「女として月のすっぽんみたいな二人組」

 教室の誰かがそんな言葉で私たちをまとめたことがある。そのいやらしさは顔だけでなく言葉にも出るのかと感心したが一つだけ否定できることがある。彼女は月なんかではない。太陽なのだ。私の人生を照らす。それに丸いだけで何もない月に私はぴったりだ。

 やっぱり何もないじゃないか月になんて。

 バスに揺られると何故か歌詞が生まれる。メロディを作るのは毎回苦労するし、そのせいで諦めることだって少なくない。けれど歌詞だけは溢れるように頭に浮かぶ。中途半端な才能しか持ち合わせてないみたい。だからこそ今、未来の私が見えなくなっている。

 明日に迫った進路相談。皆んなそれぞれに夢があってそれを追いかける道を選ぶ。夢がなくともより整った道を歩こうとする。スーパーヒーローになりたいと願った少年が一流企業を目指し、お嫁さんを夢見た少女が共働きの主婦を目指す。大人になんてなりたくなかった。いつまでも、音楽で生きていくという道に自信を持ちたかった。

そんな夢、父との二人暮らしが始まってからすっかり消されてしまった。砂浜に文字を書くように、海に消されてしまう。ただ厄介なのは少し原型が残って読めてしまうことだ。

「そんな大きな夢、必要ないだろ。川の石みたいに皆んな人は小さく丸みを帯びていく。夢だって例外じゃないんだ。」

 父の言葉、思い出すのは眉毛の吊り上がった、怒りで出来上がった彼の姿。子供を否定するためにわざとつく難しい言葉、娘の夢を壊すためだけに用意された言葉が荒波になって文字をまた消し去っていく。

 またぼんやりと一日を過ごしてしまった。千栄には時々布団から起き上がれなくなるような日がある。それが運悪く今日だった。気づけば外は眠りについて、彼女は音楽室とは違う一人ぼっちになってしまった。

 息ができない。明日が怖い。進路相談が頭をよぎる。「将来の夢」の話をするはずだ。きっとどう答えてもそれは夢を諦めるための言葉になってしまう。

「嫌だ、嫌だよ。音楽がない私に何があるの?」

 何もないのは月だけじゃないみたい。私には音楽が無ければ何も。

 不意にいつか遠い昔にした約束で小指が痺れてしまう。

「チサはお歌が上手ね、将来歌手になってお母さんのこと歌ってよ。」

「わかった!お母さんのお歌を歌ってみんなに自慢するの!」

 まだ大人になることに憧れを抱いていた私が、母とした約束。一番大切で私を音楽と結び続けた約束が、消えない。ごめんね。もっと誰かを幸せにする歌を書いて欲しかったよね。

「ねえお母さん、月に花が咲いたらもう一度会いに来てくれるんだよね。」

 こんな夜でも不思議と声は出るようだ。

 数年ぶりに口にした『お母さん』と言う言葉が私の心の穴を塞ぐものだったことに気づく。鼻の奥がツンとして気付けば袖も枕も何もかもが濡れてしわしわになっていた。

 どれくらい泣いたのだろう。

世界は私のためにあるんじゃない。きっと主人公も私じゃない。だから泣いたって何も変わらない。分かっているのに情けなさと虚しさで思わずまた名前を呼んでしまう。

「お母さん、置いていかないでよ、戻ってきてよ。私いっぱい歌を書いたの、誰も傷つかない世界がそこにはあって、だからお願い。」

 叫んでしまう。「ダメだ。これきっと止まらないやつだ。」頭ではわかっていても蛇口はとうに壊れてしまっていて、どうしようもなくなっていた。


 「高校の制服もお母さんにかわいいって言われたかった。まだ音楽を諦めきれないのも、大切な友達ができて学校が楽しくなったことも、寝不足になっても頑張って取ったいい点数のテストも。『すごいね、よく頑張ったね。』ってそれだけでいいから言われたかった。逢いたい、逢いたい……」

 嗚咽を漏らしながら、泣き叫ぶチサの声を言葉を聞くことしかできなかった。ただこんな時にすら「大切な友達」と言われたことに喜んでしまう私がいる。彼女を愛してしまう私がいる。鼻を啜る音が電話越しに聞こえる。上品な彼女からは考えられないほど何度も何度も。


 こんな時間に電話が来たから、泣いているって分かってた。

 母との思い出。「希望」を咲かせるだろう種は皮肉にも彼女を苦しめる。忘れてしまえれば彼女は楽になる。ただ忘れてしまうと彼女はきっと消えてしまう。私よりも大切な音楽を抱えて。

「ねえチサ、外を見てよ。月が綺麗だよ。それだけじゃあなたは救われないかな。」

 絞り出した言葉。頭の悪い私の精一杯の言葉。月のようなあなたには私がいるから、花を咲かせてみせるから愛してよ。私の大切なチサは何もなくなんてない。例えそれがあなた自身だとしても否定しないで。そんな言葉が浮んでは沈んでいく。嘲笑うかのように落ち着かない息が彼女の紡ぐ言葉を殺す。

「お母さんとの約束、破っちゃったの。」

 けれども殺されなかった言葉は彼女を殺すものだった。

 それ以上言っちゃいけない。

言ってしまえば私もあなたも大人になってしまう。魔法が解けてしまう。あなたの作る歌をもう二度と聞けなくなる気がした。全ての予感が頭を駆け巡ったその瞬間

「もう誰のことも書きたくない、歌うたびに思い出しちゃう。温もりを、私の居場所を。」

 彼女は殺してしまった。歌も、心も。


 人の少ない廊下はまるで撮影現場のように青春を映し出していた。尤も、これから話すのは青というより赤が似合う人。彼は生徒に「成績で夢を語るな。夢を語るために成績があるんだ。」という正しいのかわからない理屈で私たち生徒を夢へと繋ぐ。前の子の進路相談が終わらない。心臓の音が聞こえる。これから私は先生を悲しませる。それも深く深く。また大切な人を失うのが目に見える。こんな時に体調が悪くなればいいのに。いや前の子が泣き出して永遠に私の番に回ってこなければいい。

 そんな都合のいいことあるはずがない。特に私には。

 惜しかった。前の子は泣きながら教室を出たが、永遠に居座ることなんてなかった。先生が微笑む。扉が開く、そしてただ私は教室に足を進める。ベルトコンベアーみたい、そう考えると笑えるかな、せめていつも先生と話す時くらいには。大丈夫、嘘はもう考えていた。


「本当にいいのか?せめて専門学校にでも行けば望月の夢は叶うかもしれないんだぞ。」

 朝倉先生は熱血的な先生だ。しかもそれは私の想像を超えていた。専門学校や事務所へのオーディション、大好きだった世界の表面しか知らなかったのかもしれないと思うほど、音楽に進むための進路は多かった。それを全て調べ上げていた。私の夢を叶えるために。ただまるで私は運命に導かれなかったことに何の不満もないような顔で笑う。

「お父さんが許してくれなかったの。片親だから娘にしっかりとした道に進んでほしいんだよきっと。」

 先生、私しっかり笑えてる?いつもみたいに。

「だからって、人生は望月自身のためにあるんだぞ?山本も応援しているはずだ。それにお父様だって夢への気持ちを伝えればきっと」

「もういいの!」

 彼の言葉を遮る。これしか私にはできない。これ以上説得されるとまた砂浜の文字が消えなくなる。

 だから先生お願い。消して。二度と文字を書けなくなるように、「どうせ才能がないお前には無理だった」って馬鹿にしてよ。「誰のことも歌えないのに自家撞着で誰かを守るって叫んだ愚か者だ。」って

「後悔するぞ、人生は一回なんだ。誰かのせいで夢を変えるくらいなら先生が説得するから。」

 いつもその優しさに救われた。涙が出る、止まらないのはわかっている。だからそんなことどうでもいい。いつもみたいに、出来る限りいつもみたいに笑って言いたい言葉があるんだ。

「ありがとうね先生。でもごめん、やっぱり私もう子供じゃないから。」

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知らない愛の歌を今日も口ずさむ 一章前半 おもち @omochinosekai_

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