第4話 失ったものは取り戻せない。


「……どなたですか? どうして大智の家に? っていうかどうして僕の名前を知っているんですか? 大智の母さんは? ここで何してるんですか?」



すると彼はガハハと笑いながら言った。



「そんなにいっぺんに質問されても困るよ。僕は聖徳太子じゃなくて医者なんだから」


「お医者さん……なんですね」


「そうだよ、君にメールを送ったよね。あれは僕のクリニックからさ。うちでは主に死んだ人を生き返らせる事に取り組んでいるだ」


「なるほど。ヤブ医者ですね」


すると彼はまた笑う。ガハハ、とくせのある笑い方だった。



「まあ、疑うのも無理もない。常識的に考えて死んだ生き物を生き返らせる事は出来ない。けどそんな不可能を可能にしたのが我がクリニックさ」


「そこまで言い切っても根拠がないから余計胡散臭いんですよ」


するとヤブ医者はまた笑った。彼の笑い声はいちいちデカイ。その上ツボが理解できないから不愉快きわまりない。



「君はずばずば言ってくるね。だけどそう言う人は嫌いじゃない」



彼は大智の家の中へ入っていく。



「ちょっと一服していかないかい?」



 彼の事はまだ信用していないが、家の前で立ち続けるのも落ち着かないため、僕は大智の家に上がった。リビングへ行くと、相変わらず大智がソファーの上で寝そべっている。



「て言うか、何しれっと僕のこと出迎えてるんですか。ここあなたの家じゃないですよ」



「彼の母親に留守番を頼まれているんだよ。あとで話すけど、僕は大智くんが死んだあの晩からずっとここにいる」


「ずっと?」


「そうさ。彼が死んだところにたまたま居合わせたんだ」



まさか。すると、彼はニヤリと微笑む。



「君は今こう思っているんだろう。大智の突然死。人を生き返らせられるとかいうヤブ医者。……すべては仕組まれた事なんじゃないか、とね」


「そうとしか考えられません」


「ガハハ……!」


「あの、笑うのやめてくれませんか」


「……ふふ、済まない。最近はずっと一人で暇だったもので。とにかく、これはすべて仕組まれたこととかではない。偶然さ。日本人の自殺は毎年2万人を超える。そんな中、たまたま僕が居合わせたとしても何ら不思議ではない」


「……そもそも自殺だったのかすら分からないでしょう。大智は、死ぬ前はいつも通りだった

んだ。いつもと何も変わらない。それなのに急に自分から命を絶つなんて考えられない……」


「誰にも言えない苦悩があったんだろう。君たち親友や母親にも言えない重い悩みがさ」


「分かりきったように言わないでくださいよ。大智の事何も知らないくせに」


「もちろん大智くんという人物に関しては何も知らない。せいぜい冬木君たちから聞いたくらいだ。けど、自殺する人間の心理はよく知っているつもりだ」



ここで、僕はさっきしおりから聞いたことを話す。



「しおり……って。あなたのクリニックの一員なんですか?」


「……どうしてそれを?」



ヤブ医者は訝しげに言う。

「しおりから聞いたんです。彼女はいったい何者なんですか? あなたとは……どういう関係なんですか?」



 すると彼は挑発的な表情で言った。



「うむ、安心してくれ。僕たちは君が思い描いているようなただならぬ関係ではないよ」


「マジでそろそろキレますよ」


「ははっ! すまない……率直に言おう。僕としおりは」


「……」


「義兄妹だ」


「うっわ」


「ちょ、な、なんだその、うっわ、って……うっわって……」


「いえべつに。しおり可哀想だなーって思っただけです。じゃあこれからはあなたのことを北山って呼べばいいですね」


「まあ、それでも構わない。あ、あと先生付けてね。北山先生ーって」


 うぜえ。


「しおりがメールを送って、あなたが治療してるんですよね?」


「ごもっとも。ちなみに真実を言えば、大智くんが飛び降りたのを最初に目撃したのも、しおりだ」


「は? さっきあんたが居合わせたって……」


「あれはウソだ」


「もう何も信じられない……」


「まあ、しおりがメールのことを君に話しているなら話すしかないね。ホントは隠し通そうとしていたけど」



このヤブ医者がたまたま居合わせたなんておかしな話だ。だが、かといってしおりが大智の自殺をたまたま目の当たりにするのも妙だ。



 そしてもうひとつ、しおりが言っていたことを話す。



「しおりが大智は死んでないって言ってたんですけど」



それを聞いた途端、北山の表情が一瞬こわばる。



さっきまでの陽気な雰囲気とは打って変わり、表情も態度も冷たい能面に変わる。



「いーや。大智くんは死んでいる。僕が手を施さなければ、二度と目を覚ますことはないだろう。だから、死んでないなんてことはあり得ないよ」



さっきより声のトーンが下がっている。表情は硬く、笑っていない。



「……でもしおりが言ってました」



「今日はもう帰るといい。大智くんに関しては、善処する。ただそうとしか言えない。あと君も大智くんを生き返らせるためのお金を稼ぐんだぞ。タダで命が取り戻せるほど甘い治療でもないんだ」


「じゃあ、今から何かを殺して、生き返らせて見て下さいよ」



 僕は言った。



「は?」


「人を生き返らせる事が出来るんでしょう?」


「……だめだ。言ったろ、金が必要なんだ」


「じゃあ今からネコ捕まえて殺したら、やってくれますか? ヤギでできたんでしょう? だったら当然ネコでもできますよね」


「悪いけど……今日はもう帰ってくれないかい? 僕も暇とは言ったが、いつまでも君と話している訳にもいかないんだ」


「……さっきから何隠してるんだよ!」


「君に言う必要は無い」



北山は今日会った中で一番冷たく、低い声でそう言い捨てた。彼の視線も、黒く感情のこもらない乾いた目だった。



さっきまでの陽気でイタい感じがまったくしない。その変わり様はあまりにも不気味だった。

僕は彼の黒い圧に押されて、それ以上追求することができなかった。



すると、突然チャイムが鳴り響いた。



北山は僕から視線を外し、玄関へ向かった。そのあと彼は誰かを向かい入れ、リビングまで歩いてきた。



「あ、お前たち……」


「おう、達哉」


「あ、達哉じゃん。久しぶりー」



やってきたのは冬海と美雪の二人だった。



僕は彼らの顔を見て何故か涙がこぼれそうになる。



「お前たちどうしてここに?」


「大智の様子を見に来たんだ」


「そうそう! 大智君の寝顔かわいいからなーっ」


「あれ? 美雪って大智のこと君付けしてたっけ?」


「うんっ! 最近はずっと大智君って呼んでるよー! それで、大智君は私のこと美雪ちゃんって呼んでるんだ! 私たち、将来結婚する事に決めてるのっ!」


「おい、待て待て!」



ますます意味が分からない。美雪の言っている事はさっきからおかしい。



「あのさ、美雪……今更なんだが、最近どうしてる?」


「最近はずっと働いてるよ」


「どれくらい? なんの仕事してるの?」


「ほぼ一日中かな……コンビニとか派遣とか。あと時々男の人と……」


「へえ、そうなんだ。じゃあ、帰ろう美雪」



僕は美雪が言おうとしていた言葉を遮る。



美雪……。もう、これ以上おかしくならないでくれ……。



よく見ると美雪はいつもと挙動がおかしい。目も少し虚ろで、感情がこもっていない。



「美雪の奴変だよな。今日ここに来る前からずっと大智大智言ってるんだぜ? 俺が『大智ならここにいるぞー』とか『俺が大智だぞー』とか言っても無視するんだ。わけ分かんねーよ」



「ああ………………って、え!?」



 今コイツなんて言った?



「えっと、まさかとは思うけど冬海、お前自分の事大智だと思ってる?」


「だから、俺は大智だって。んだよ、お前までそんな事言うのか」


「……」



正直、冬海と大智の口調は似ているから、あまり違和感はなかったが、これはまた異常事態だ。



僕は北山の顔を見る。彼は真顔で、ジッと僕たちの会話を見守っていた。



「お前……今どう思ってるんだよ。こいつら、親友が死んで悲しくて、今にも胸が張り裂けそうなのを必死に堪えてバイトして、今はこんなに混乱してるんだぞ! お前のせいで全部こうなってるんだからな? 分かってるのか? こいつらはまだ高校生なのに、一日中働いて、金稼いで……。これで大智が生き返るって信じてるんだ!」



 僕は彼に敬語を使うのを忘れ、素で怒鳴りつける。



しかし彼は毅然としていた。



「まず第一に、大智君は生き返る。それは保証しよう。第二に、すべての責任を問われるのは僕ではなく、大智君だ。僕は彼を生き返らせる事が出来るだけだ。文句を言いたいのなら、大智君が生き返ってからいくらでも彼に言ってやってくれ。美雪さんや冬海君がヤンデレとか多重人格になってしまったのも、僕のせいじゃない。故に第三、僕は知らない」



「お前それでも医者かよ!」



「さて、それではそろそろ、今僕の口座にどれだけ振り込まれているのか確認でもしておくか」



彼は強引に話をそらし、ポケットからスマホを取り出しいじり出す。



美雪は突然大智のもとに歩いて行く。



「じゃあね、大智君。また来るからね」



そう言って大智に口づけをする。



「美雪……」



僕は北山をキッと睨みつけるが、彼は僕に目もくれず、ケータイを確認している。

「うむ。今週振り込まれた分だとだいたい四十万弱ってとこか。んま、それなりに頑張ったな。けどまだ足らん。大智君復活まで残り500万ってとこかな」



 大智や美雪たちに対しての尊厳のかけらもないその物言いに思わず全身の毛が逆立つ。

「おいこのクソ!!」



 僕は北山の胸ぐらを掴む。



「達哉、どうして怒ってるんだ? あれ……っていうかここ大智の家?」

冬海がいきなりキョトンとしだす。さっきと様子が違う。



北山から離れ、冬海に向き直る。



すると北山が言った。



「おう、冬海君。戻ってきたか」


「戻ってきた?」



 彼は無感動に言う。

「そうそう。多重人格の症状はきっかけによって人格がすり替わるんだ。さっきまで君は自分の事を大智君だと思い込んでいたよ」



それを聞いた途端、冬海の顔が青ざめていく。

僕は再び怒りを感じたが、もうこれ以上コイツと一緒にいても仕方ないと思った。



「美雪、冬海、もう帰るぞ。こんな奴ともうこれ以上関わるな」



そう言って二人の腕を引っ張っていき、大智の家の外に出る。

北山は、僕たちが去って行く様子を肩をすくめて見送った。











僕たちは公園まで移動する。



「おい冬海、大丈夫か?」



「俺……また、自分のこと大智だと思い込んでた……俺……」



彼も自覚はあったのか……。



「大丈夫。冬海、お前は冬海だ。いつも楽しくて面白い、クラスの人気者だろ? 何も怖い事なんてないさ。元気だせって」



「そ、そうか。お前にそう言われると、何かほっとするな……じゃあ俺、もう帰るわ」


「途中まで送っていくぞ」


「大丈夫。もうこれ以上お前たちに迷惑もかけたくない……」


「病院行けよ」


「大智を生き返らせたらな……」



そこは信じて止まないのな。



「いや、お前はもう働くな。いいから病院行けって、大智を生き返らせる金なら僕が頑張るから」



「そ、そうか? ……なら……分かった。俺はもう働かない。達哉、頑張れよ。じゃあな」



そう言って去って行く彼に手を振った。



そのあと、公園には僕と美雪だけが取り残される。



美雪はどこかボーッとしていて、時々『大智君……』と口にする。



「帰るか、美雪?」


「大智君?」


「いや、俺は達哉だ。もう頼むから、明日からは働かないでくれ」


「え、なんで?」


「お前が心配なんだよ……お前がいつもどうやって金を稼いでるのかは知らない。だけど、もうやめてくれ」


「えー、やだ。大智君助けないと……」


「じゃあこうしよう。俺が美雪の分も働くから、お前は家で安静にしておいてくれ」


「え? 本当? ってか、達哉一人で稼げるのぉ……?」


「ああ、大丈夫だ。もっとコスパのいい稼ぎ方を知っているんだ」


「えー、そうなの!? じゃあ、任せるね。ありがとう! 達哉君って優しいね」


「好きな人のために頑張れる美雪の方が何倍も優しいし、カッコいいと思うよ」



そのあと、僕は美雪を家まで送った。美雪の家に着いたとき、彼女の親が心配そうな顔で美雪を出迎えていたので、やはりここ最近ずっと様子がおかしかったのだろうと察する。

そして、僕は家に帰った。とっくに日は暮れていた。

 










その日の夜、僕はしおりに電話をかけてみることにした。いろいろと聞きたいことがあったからだ。



しおりは電話をかけると思ったよりすぐに出た。



「もしもし?」


「もしもし……今日君の兄に会った」


「へー。……どうだったの?」


「ヤブ医者っぽかったけど、大智を生き返らせられると約束してくれた」

 当然ながら半信半疑だが、そもそも大智が本当は生きているという説も踏んでいる。



「そうなんだ……」


「うん。ひとつ確認だけどさ、しおりとしおりの兄貴が二人でクリニックをやってるの?」


「そうだね。クリニックとか言っておいて胡散臭いよね」


「胡散臭いのははもう認めてる。だけど、少しだけ君の兄さんに不可解な事があったんだ」


「不可解?」


「大智が死んでないって言った瞬間態度を変えたんだ」


「ああ……それか」



彼女はひと呼吸おいてから言った。

「だからもう一度しおりに聞きたい。大智は今、生きているのか? 生きているとしたら彼は今どういった様態なんだ? 死んでいたとしても、そもそも生き返らせるってなんだ?」



しおりは黙った。仮にこのまま白を切るつもりであったとしても僕は諦めない。何度でも聞き直す。もう昼間みたいな圧力に気圧されたりしない。



そうして、しおりは大きくため息をつき、ようやく話始める。



「まず、大智君が生きているかどうかに関して言うと、それはグレーゾーンになる」


「グレーゾーン?」


「完全に死んでいる分けではないけど、医学的に判定しても生きているとは言えない様態」


「なんだ、それ?」


「仮死状態ってこと」



仮死状態……。その言葉を耳にした途端に鳥肌が立つ。大智が今のこの瞬間にも、そんな未知の状態で眠り続けているという異様さに寒気がした。



「それで私のおにい……兄は、その仮死状態を解除して、生き返りを演出するの」


「演出するって……そもそも大智はどうして仮死状態なんかになったんだよ!」


「私が……やったの」


「しおり……?」



おいおい待て、冗談だろ?



「私が大智君に仮死状態になる薬を飲ませた。それで窓の真下に放っておいて、自殺を演出した。不慮の事故ではなくて、自殺に見せつけるのがポイントだった」


「しおり……お前……」


「分かってる。でも人って簡単に騙される生き物だから。死んだと信じ込ませれば簡単に騙されるし、どん底にいるときは生き返りとか言うおとぎ話もも難なく信じてしまう。全部騙される方が愚かだからそうなるんだと思うよ」


「警察に訴えるぞ」



 すべて打ち明けよう。そして、こいつらを檻にぶち込んで、大智を病院で治療してもらうんだ。しかししおりは言った。



「でもそしたら大智君が目を覚ますことはもう二度と無い来ないかもね」


「は? なんで?」


「私たち兄妹の『自殺ビジネス』の掟その一……バレたら患者を殺す」


「んなっ!!」



まさか、しおりがそんな……。



「何言ってるんだしおり……大智だぞ!?」



「だから?」



「だからって……今までずっと仲良くしてきただろう!」



「所詮上辺だけの関係じゃん?」



「……」



もうだめだ。しおりに情で訴えかけても無駄だろう。

僕が黙ると、冷たい沈黙が降り立つ。



「じゃあ、なんか気まずくなってきたから、私もう切るね。頑張ってお金稼いでね」



彼女は最後にそう言い捨て、電話を切った。











次の日、僕は消衰し切っていた。学校に向かう時も、体がだるかった。もうどうすればいいのか分からない。けど、お金を稼がなければ、大智は救えない。でも1000万なんて大金到底手が届きそうに無い。



稼げるがわけがない。



昼休み、僕は校庭の近くの階段に座り、一人心寂しく弁当を食べた。母さんが作ってくれた料理の味が唯一の心の拠り所だった。



そんな時、後ろから足音が近づいてきた。



「近藤君、久しぶり」



振り返ると、そこには……。



「あ、君は……」


「金子あさみだよ。この前一緒に電話したじゃん」



何日か前に夜通し電話で語り合った少女がいた。髪は染めておらず、肩までのボブカット、背は低く、華奢な体型をしている。顔はいい方だが、あまりタイプではなかった。



「ああ、いや。君の顔と声は覚えてるんだけど、名前が出てこなくて。なんか用?」



すると金子はニッと笑うと僕の隣に座った。



「最近いっつも一人でいるからどうしたのかなーって」


「あー、別になんでもないよ。ただ一人になりたい時期って言うか」



「へー、失恋でもした?」


「まあ、近いかな」



恋ではないが、文字通りいろんなものを失った。


「そっか」


それからしばらくお互い黙った。僕は黙々と食事を続けていたが、彼女はただ黙って座っているだけだった。



僕が弁当を全部平らげると、ようやく金子は口を開いた。



「この前電話で話した内容って覚えてる?」


「覚えているよ」


「人生って、最後は死んで何も残らないから、結局意味ないよねって話」


「だから君は、いっそのこと命を絶ちたいと思ったんだろ? そうすればもう二度と苦しまずに済むから」


「そう、でも。どうして私がこんな話を近藤君にしたのかはまだ言ってなかったね」


「確かに……」



そもそも死にたくなるなんて、よほどショックな事がなければ思わないはずだ。彼女にはいったいなにがあったのだろうか。



「この学校に入学して間もな頃、私、自分が人に恋をしたことがなくてすごく悩んでたんだ。そんな時に声をかけてくれたのが北山しおりちゃんだったの」


「しおりが?」


「面白くて、優しくて、明るくて、頭も良くて……かわいい。そんなしおりちゃんの事が少しずつ好きになって、今年の始業式に、彼女に告白したんだ。しおりちゃんだったら、私の気持ちを受け入れてくれると思ったから。でも、その時のしおりちゃんは今まで見たことがないくらい冷たい表情で私を振ったの……まるで切り捨てるみたいに……」



それを言うと、金子の表情はみるみる曇っていった。



「あと、しおりちゃんに『気持ち悪い』って言われて……今までの楽しい気持ちが一気に苦い感情で覆い尽くされちゃって、しばらく学校休んだんだ。何週間か経って少しずつ学校に行ける様になって、友達と話したりして、いつも通りに戻ったけど、心の奥にある毒針がずっと抜けずにいて、苦しかったんだ」



だから、僕に電話をしたのか。



金子は一度黙ると、再び口を開けた。



「あの時近藤君に話して良かった。おかげですっきりしたよ」



そういって彼女は満面の笑顔で笑う。不覚にもかわいいと思ってしまった。



「だから、もし近藤君に今悩みとかあるなら、なんでも言って。私は近藤君に命を救ってもらった。近藤君が私に生きる希望があるって気づかせてくれたから、私は今ここにいるの。今度

は私が近藤君を助けたい!」



金子は笑顔で僕の目を見据える。僕はそんな彼女の気持ちに揺り動かされ、すべてを打ち明けてしまいそうになるが、踏みとどまる。



「……」



ただし、お願い事は聞いてもらうことにした。受け入れてくれるとはまったく思わないが。

「じゃあ、頼みがあるんだけど、いい?」


「いいよ。なんでも言って!」


「その………………お金を貸してくれないかな……なんて」


「え、お金?」


「そう」


「いくらくらい?」


「500万……」


「え……」


「ですよねー……」



少し引いてる様子の彼女に苦笑いを浮かべるしかない。だが、彼女の反応は正常だろう。僕も本気で頼んだ分けではなかった。ただ、自分が今どうして追い詰められているのかを何となく理解してもらいたかったのだ。



「マジで言ってる?」


「うん。一応」


「はぁ……」


彼女はため息をついた。当然呆れられるだろう。人が真剣に悩みを聞いてやっているのに、突然こんなにふざけたことを抜かすんだものな。仕方がない。



「何に使うのか分からないけど、いつか返してよ」



「ははは、そうだよな。ホント何言ってんだ僕っ……て、えええええええ!?」



いいの? マジでいいの? てかそんな大金貸せるの?



「うち、お父さんが宝石店の社長だし、親戚もみんな裕福だから、昔っからお小遣いとかお年玉とか結構もらってて、一千とかは難しいけど、500くらいだったら貸してあげてもいいよ」


「マジで?」


「マジで。え、てか本当にお金必要なんでしょ? 冗談抜きで」


「あ、うん。それは本気で必要なんだけど……いいの?」


「近藤君は命の恩人だから、なんでも言うこと聞いてあげる」



僕は思わず彼女の顔を見入ってしまった。



ああ、金子あさみちゃん。君はなんて美しいんだろう。優しくて、素直で、笑顔が可愛くて、僕みたいな人をいとも簡単に救うことができて……。



目から涙がこぼれ落ちる。



「え、ちょっと近藤君!? どうしたの? あわわ……はい、ハンカチ!」


「うぅ、悪い」



僕は次から次へと溢れる涙を、彼女のハンカチで拭きながら、何度もありがとうと言い続けた。



「あさみちゃん……ありがとう。本当にありがとう……ありがとうありがとうありがとう!」


「う、うん。どういたしまして。てかあさみちゃんて……」



ようやく涙が止まる。



「本当に感謝してもしきれない。君に救われたよ」


「そう……それなら良かった」


「ははは……」


「でも、そんなに泣くほど喜ぶってことは、相当辛いことがあったって事でしょ?」


「そう……だね。たぶん僕の人生至上一番辛かった。きっとこれからの人生では起こりっこない」


「じゃあ、お金そのまま全部あげるよ。そんなに大変な事情なら、わざわざかえしてもらうのも億劫だよ」


「いや、それは別に大丈夫だよ。君から借りたお金は何年かけてでも、いつか必ず返す」


 その日の帰り、僕はそのまま大智の家へ向かった。










 

 チャイムを鳴らすと、今日は大智の母さんが出た。



「あら、近藤君」


「大智に会いに来ました」


「あら、今ちょうど冬木君と橘ちゃんと北山ちゃんも来ている所よ。ちょうどよか……」


「え、冬美たちが? ……まあいいや。今日はもうひとつ用があって来たので」


「え?」


「大智を生き返らせるためのお金も持ってきました」



 そう言い捨てて、大智の家に上がった。



「おう! 達哉!」


「大智ぃ……」


「あ、達哉君だ」



 僕がリビングにやって来ると、全員が僕のを見た。



「冬海、美雪! どうしてここにいるんだ? もう家からは出ないように言っただろう!」


「僕が呼んだんだ」



 北山は狡猾な笑みを浮かべて言う。そして僕に囁いた。



「勝手にビジネスの収入源奪うのはやめてくれ」


「……!」



 再び怒り出しそうになるが、僕は一旦冷静になる。



「今日はそのビジネスが一段落した件について話に来た」



 北山は首を傾げる。



 僕は大きい声で言った。



「僕は今日、1000万を振り込み終えた」



その場にいた全員があっけにとられる。



「1000万を? もしかして、こんな短期間で!?」



 冬海は驚きで目を見開いた。



「ああ、その通りさ」



 すると、しおりが小馬鹿にするかのように言った。



「あのね、確かに大智のお母さんが一番最初に貯金してた500万払ってたけど、そんな簡単

に……」


「いや」



北山は手を震わせながら自分のスマホを確認する。


「え?」


「口座に……振り込まれてる」


「ウソッ……!」



 全員があっけにとられた様子で僕を見つめる。いつも透かしてる北山兄妹までにも不意を突けたことに若干ながら達成感を得る。



「ど、どうやって……」


「稼いだんだよ」


「え、そんな、まさか」


「ああ、お前らと違って人の心を踏みにじって得た金じゃないからな」



 僕は相変わらず横たわっている大智の近くに行く。一週間以上立っているが、死臭はおろか、清潔な状態に保たれている。きっと大智のお母さんや、ヤブ医者が丁寧にケアしてきたんだろう。



「今すぐ大智をもとに戻せ。それと……」



 僕は冬海と美雪を指さす。



「あの二人が稼いだ分の金は二人に返してやれ」


「ああいいだろう。1000万稼げればそれでいいんだ。たかだか数十万ぽっちになんの執着もない」



 北山はただただゲスい人間だった。こんな奴にに人権なんてあるのか?



「ではとっとと生き返らせよう」



北山はポケットから謎の薬と注射器を取り出した。



 彼は注射器で薬の中身を吸い取った。そして、大智のそばまで行き、大智の袖をまくると、腕に薬を注射した。



「これで、少しすれば目を覚ますでしょうー」



 北山はつまらなそうに言い注射器をしまうと、スマホを取り出し、ニタニタと笑いながら自分の口座に振り込まれている額を見つめる。



 僕は北山に言う。

「本当に大智が目を覚ますか疑わしいから、大智が起きるまでここで待ってろ」


「いいだろう」



 それから僕たちは大智が目を覚ますのを待った。



 十秒二十秒と時間がすぎ、やがて一分が経つ。そして五分十分と時間が過ぎていき、やがて三十分が過ぎた。



しかし、彼はまったく動かない。息を吹き返さない。目を開けない。そもそもまったく変化がない。



 北山は不思議そうに首をかしげる。



「あれ、おかしいな?」


「おい、これ本当に目覚ますのか?」


「ああ、目が覚めないなんてことはあり得ない。少なくとも呼吸はするようになるはずなんだけどなあ」


「じゃあどうして大智は起きないんだよ!」


「ふむ。薬の量を増やしてみるか……」


「やめろ! そんな得体の知れない薬!」



 僕は横たわっている大智の両肩を掴んで揺さぶった。



「おい! おい! 大智起きろ! 目え覚ませよ! おい!」



 この時初めて意識を失った大智の体に触れた。脈は完全に止まっていて、体は冷たく、血が流れている様子はない。息もしていない。そうか。大智は死んで……。



「ん?」



 大智のポケットに何か白いものが見えた。



それを取り出した。



「これは……」



 それは手紙だった。内容を読んで分かったが、その手紙はいわゆる、遺書だった。









      


 この手紙を読んでる誰かへ


 この手紙を読んでいるあなたはきっと俺と親しい誰かだと思う。俺のことを女手ひとつで育てあげてくれた母さんかもしれないし、いつも仲良く遊んでいた友達かもしれない。

もしくは、俺がずっと前から好きだった、しおりちゃんかもしれない……。

俺が命を絶った理由はたったひとつだ。


 怖かった。


 明日が怖い。友達と話すのが怖い。学校に行くのが怖い。女子と話すのが怖い。何かに挑戦することが怖い。当たり前が怖い。毎日が怖い。……幸福が怖い。未来が怖い。

 そんなたくさんの恐怖に飲まれて、生きること自体が怖くなった。


 正直、俺の気持ちを理解してもらうつもりは無い。けど、理解できなかったら、結局俺のわがままで死んだ事になる。まあでも、それはそれでもべつにいい。


 俺がしおりちゃんや達哉に初めて会ったのは、入学して間もない時だ。その時俺は引きこもりで、人と話すのが苦手だった。そんな時に、たまたまみんなと出会って、すべてが一気に変わった。毎日友達に会えて、女子と話せて、一緒に遊ぼうって声かけられて。まさにチート級だった(笑) 今までの人生が何もかも良い方向に変わった。人生の絶頂だった。でも、同時にこうも思った。


「俺は結局、誰かに救われないと変われないんだな……」


 自分が高校を卒業したあとのことを考えた。

たぶん俺は大学には進学しない。安定した企業に就職する気も無い。そんなのが幸せだって認めたくないから。結局俺たちは社会のレールに乗って当てもなく前に進み続け、誰かが勝手に作り上げた偽物の幸せにすがっているだけなんだ。それでもバカな俺にはレールに乗る以外選択肢はない。誰かに頼って、すがって、ようやく今の幸せを手に入れた俺は、偽物で終わっていく。本物の俺は形にならないゴミクズだから。そう思うと吐き気がした。


 今日達哉に、今の人生が辛いことを打ち明けた。すると、達哉は必死に俺を励ましてくれた。俺は嬉しさのあまり言葉を失ったよ。けど、その時も結局、俺は人に頼って幸せになろうとしていた。


 達哉も、冬海も、美雪も、しおりちゃんも。みんなそれぞれ完成された美しさを持ってる。けど、それは俺みたいなカスに向けるものじゃない。

みんななら、もっと楽しい人生を自分の力で描けるはずだ。


 俺を愛してくれてありがとう。



だいち


      









 遺書を声にしてすべて読み上げた僕は、心のどこかで悔しい気持ちがわき上がった。あの時、もっとましな言葉をかけてあげたら、もしかしたら救えたのかもしれない。あの時、大智の心の内にある傷に気づいていないわけでもなかった。ただそれを離れた所で俯瞰していた。死にたいと思っていたとは思わなかった。



「どうして……大智は……? 最初っから死んでたのか?」



 北山は大智の体に触ると、もう一方のポケットから妙な薬を取り出した。



「これだ」



「何それ……」



「楽に死ねる薬さ。飲むと深い昏睡状態に陥り、そのまま眠ったように絶命する。いったいどうやって手に入れたんだろう? それなりに高値のものだ」



「しおり、もう本当のことを言え。大智はお前が仮死状態にしたはずなんだろ?」



 しおりは混乱している様だった。頭に手を置き、「なんで。なんで」と繰り返している。



 僕は無理矢理しおりの胸ぐらを掴み、もう一度大きい声で言った。



「お、ま、え、は、大智を仮死状態にしたんだよな!?」



 すると、しおりは突然取り乱す。



「お、お、おかしいよ! こんなの! 大智君は目を覚ますはずなのに!? 仮死薬を飲ませて、窓の下に放置して、自殺したって装えば全部うまく行ったはずなのに! どうして? ねえ、どうしてよ……!」


「大智、お前のこと好きだったってさ!」


「や、やめて……」


「お前のこと裏ではしおりちゃんって呼んでたんだな」


「い、いや。ち、違うの……やめて……」


「何となく気づいてたよ。大智がお前のこと好きなんじゃないかってな。あと……」


「いや……いや……」


「お前も大智のこと好きだったんだよな」


「いやあああああああああああああああ!!」

 


しおりは突然頭を抱えて泣き崩れる。



この反応を見るに、しおりが大智に仮死薬を飲ませる前に、大智は既に自殺するための薬を飲んでいたんだな。



「どうだ。好きな人の命をもてあそんで、金を巻き上げた気分は。え、なに? 自殺ビジネスだっけ?」


「やめてええええええええええええ!!」


「うるっせえ!!」



 僕は大声で怒鳴る。途端にしおりはあっけにとられたように黙る。



「自分の犯した許されない過ちだ。黙って悔いろ」


「お、おい達哉」


「たつやあ?」



 冬海と美雪が同時に俺に歩み寄る。



「どうしたんだよ……。お前らしくないぞ。っていうか、さっきからなんの話してるんだよ……」


「あの~~~~~~~?」



 北山がいきなり口を挟んだ。



「ところで、僕はいったいいつまでこの切ない愛の物語を眺めていればいいのかな?」



 僕は北山の顔面を殴り飛ばした。



「……ッ!!」


「達哉!?」



 北山はうしろによろけると、そのまま尻もちをつく。



「いったああああ!! お前何してくれてるんだ! 暴力だぞこれ! 暴力だからな!」



 そのあと、叫んでいる北山の顔に蹴りを入れる。彼は勢いよく床に倒れる。



「く、クソが……!」



 北山は床に手をつき起き上がろうともがいていた。僕がそんな彼の背中を踏みつけようとすると、冬海がうしろから僕の両腕を押さえる。



「お、おい達哉! 待てって! さすがにやり過ぎだぞ!」


「そ、そうよ近藤君! やめなさい!」



 冬海と大智の母がなんか言ってくる。



「全員黙れ!」


 リビングは一瞬で静まる。

 僕は冬海を振りほどいた。



「美雪を見ろ」



 全員美雪を見る。



彼女の目は前と同じく虚ろで、どこか夢でも見ている様だった。



「彼女は大智が死んだショックで、こんなにも病んでしまった。こんな状況なのに、さっきからまったくリアクションがない。ずっとボーッとしてるんだ!」



 次に冬海を指さす。



「冬海、お前は誰だ?」


「は? 何言ってるんだよ……」


「いいから答えろ。お前は誰だ?」


「俺は……ふゆ……いや、俺は大智だ」


「母さん。喜べ。息子が帰ってきたぞ」



 大智の母親は困惑している。



「ああ、母さん。俺……大智だよ……」


「ど、どういう事……?」


「あんたの死んだ息子が生みだしたものだ」



 哀れな母親は混乱しだす。



「大智ってすげーな。いつも明るくて、面白くて、失敗しても前向きで、楽観的で、一緒にいるだけで楽しくて……いなくなっただけでこんなにも苦しくなる……」



彼女は相変わらず混乱している様だった。



冬海と美雪を指さした。



「でもな、そんなあんたの息子が、こいつらここまでをおかしくしたんだ」


「そ、そんな……大智のせいじゃ……」


「なんの話してるんだ? 俺ならここにいるし、俺はまともだぞ」


「冬海、もう黙れ。自分が大智だと思いこんでんなら学生証でも眺めてろ! ッチ……大智の奴……! 自分勝手な理由で死にやがって……あのクソがッ!!」



 その場いる僕以外の人全員が、僕に怯え、黙って僕の声を聞いている。その場はもはや、僕が支配していた。



「……僕はもう十分苦しんだんだ……。なんども、悪夢を見たんだ。大智が出てくる夢だ。アイツと楽しく話したり、アイツを殺したり、アイツの死を悼んだり……変な話だけど、埋葬されたりもした。夢って支離滅裂だからな……何でもありだ」



 僕は横たわる大智に歩み寄っていった。永遠に眠ってしまった元親友4号。彼はもう二度と目を覚ますことのない。



「けどさ、結局誰かの死って乗り越えるしかないんだ。僕たちは前を向いて、幸せに生き続ける道を探すしかない。僕は大智がいて幸せだった。……彼がいない今、別の幸せを受け入れるしかないんだよな。それなのに……」



 僕は北山としおりを交互に指さす。



「お前らは冬海と美雪と大智の母さんから、前を向くチャンスを奪ったんだ。偽物の希望を持たせて、金を稼がせ、絶望の底に突き落とした!」



 僕は怯える北山の元まで戻り、胸ぐらを掴んで上体だけ起こす。



「こんな奴らに……生きてる価値ねえんだよ!」



 そう言って彼を突き放す。



 すると、北山はゆっくりと口を開く。

「……お前に何が分かる。青春を謳歌してるお前たちに……僕の何が……分かる? ……僕は自殺ビジネスを始めるために……青春を棒に振った……。毎日研究のために時間を費やした……。仮死状態にするための薬を作るために、何年も実験し続けたんだ……人間が命のためならなんでもすることも知った……僕は賢く効率よく稼ぐために、自ら生きる術を身につけただけだ。僕は何も悪くない……。いつも何も考えずに遊んでるお前たちとは違う……!」



「……反省の色無しかよ」



「反省だって……? はは……僕は真面目に生きてきた。楽しい事をすべて犠牲にして……にもかかわらず、今はお前に殴られて、人格を否定されて、人生至上最大の屈辱を味わっているんだ……僕は被害者だ……」



 どうしようもない奴だ。



こいつはきっと性根が腐り切っているんだろうな。仮にどれだけ彼を正しい方向に諭したとしても、彼は変えられない。



 そう思ったとき、長らく黙っていたしおりがか弱い少女のように泣き出す。



 僕はしおりを見る。



「お兄ちゃん……もうやめよ……やだよ……こんなの」



北山は唖然とする。

「な、何を言っているんだしおり? 自殺ビジネスはまだまだ始めたばかりじゃないか。お前が将来、楽に生きていくためでもあるんだぞ? お前だって、今まで手伝ってきたじゃないか」


「あれは……お兄ちゃんのために」


「もう一回お前の役割をおさらいするか? お前が学校で男子を惚れさせ、自殺願望を抱くように洗脳する。そのあとしばらくしてから、仮死薬を飲ませる。な? 簡単だ。あとの小難しい部分は僕に任せればいいんだ!」


「それがもう嫌だって言ってるの!」



 北山は黙った。おそらく妹に大声で怒鳴られたのは初めてだったのだろう。



「お兄ちゃんは私を拾ってくれた。お兄ちゃんは私を妹のように育ててくれた。お兄ちゃんは私に優しくしてくれた……感謝してもしきれないよ……でも、こんな人の心を弄ぶような事……もう……」


「……」



 北山は黙った。妹が涙を流しながら、必死に苦しみを訴えているのだ。兄として憐れみのようなものが沸いてきたのだ。



 北山は大きなため息をつき、口を閉ざした。



 僕は何も言わない。



 冬海や美雪、大智の母も何も言わない。リビングではしおりのすすり泣く声だけが響き渡る。



「……しおり。お前は将来何になりたい?」



 そんな中、突然北山が話し出す。



「……え?」



 突然語り出した北山に全員が聞き入る。



「僕はな、学校の先生になりたかったんだ。小学校三年生の頃だったかな、僕は理科の先生がとても好きだった。授業は面白いし、優しいし、いつも生徒に道徳的な教訓を与えてくれたんだ。彼は僕にとって人生の教科書みたいな存在だった。彼を尊敬し、いつか彼みたいなかっこいい大人になりたいと思ったんだ」



 たったこれだけを聞くと、北山がまともな人間に思えた。おそらく彼は今から自分の過去かなんかを語りだすんだろうが、この語り出しからは、自殺ビジネスだなんて非人道的な事につながるとは到底想像もつかない。



「彼が残した言葉にこういうものがあった。『人はいつか死ぬ。それが遅いか早いかの違いで、人はいつか必ずその命を終える。そしてそれが遅かろうと早かろう、死はある日突然やってくる。それは何歳になろうと、誰でも一緒なんだ。常に僕たちは、人生最後の日にいるようなものだ』そんな彼の最後の言葉を聞き、数週間後、僕は学校に行かなくなり、当時過ごしていた孤児院に引きこもった。その時に、また彼のあの言葉を思い出した」



しおりはもう泣きやんで、無言で兄の昔話を聞いていた。



北山は起き上がり、妹のそばへ行き、そっと彼女の頬に触れた。



「今でも彼の言葉をよく思い出す。けど、僕は人生に失敗した。あっさりと終わってしまった。しおり……お前はしっかりと生きろよ」



 北山は立ち上がり、いきなりスマホをいじり始める。



 彼はスマホをポケットにしまって立ち上がる。



「君たちからもらっていたお金は今すべて返した。今回の大智君の自殺は僕の商売には含まれないからな。では」



「お前はどこに行くんだ?」



 北山を呼び止めた。こんな悪魔を世に放ってもいいのか?



「まず第一に、僕は一人も殺していない……ただ、むごいことはした。しかし黙っていれば法で裁かれることもない……これからはそうだな……適当に楽して生きるよ。金は持っているんだ。君たちも、楽して幸せになるために、これからも頑張って金稼ぎに勤しむんだな」










エピローグ。



あれから、北山は姿をくらました。しおり曰く、彼女はあれ以来一度も兄に会っていないみたいだ。



 冬海と美雪は精神病院でしばらく入院した。美雪は数週間で正気に戻っていったが、入院中に自分が妊娠している事がわかり、学校を中退して子育てをすることになった。



 冬海の多重人格はまだ直っておらず、今もまだ入院している。時々会いに行くが、早く治るといいなと常々願い続けている。大智の母がどうなったのかは知らない。聞いた話だと、あのあと息子が亡くなった事を学校に伝えたらしいが、そのあと彼女がどうしているかは分からない。



 結局学校に残ったのは僕としおりだけになったが、僕たちの友情がこれまで通り続く事はなかった。



 三年生になり、クラスも別々になり、まったく接点がなくなった。それでも噂によれば、今では彼氏を作って、クラスの友達ともうまくやっているらしい……。しおりが今どんな気持ちでいるかは謎だが、僕の直感だと、毎日どことなく寂しくて、空虚な日々を送っている気がする。生活は充実していても、心の方はどうなのだろうか。彼女は僕たちとの関係を上辺だけとか言ってたが、きっとそれは本心ではなかったと思う。あの頃に置いてきた何かが、彼女の元に帰ってくる事は二度と無い。



 そうやって他人を傍観している奴はいつも何を考えているんだろう、という事で、じゃあ達哉は? と聞かれたいところだ。



 僕も、思ったよりうまくやれていた。彼女はいないが、仲の良い女友達はできた。いつぞやに大金を貸してくれたあの子だ。彼女の自殺を止めて、見返りに自殺した友達を助けるためお金を借りて、まったく奇妙な縁だと思う。



 今は季節が秋に近づき、徐々に受験へ本腰を入れなくてはならなくなった。



 大智のことがあってから、僕は強く決心した。



 勉強も、青春も、将来も。僕は何一つ取りこぼすことなく。何が何でも誠心誠意やり遂げる。



 だから、どんな苦境でも、明日を迎えるために、今日も僕は生きていく。



 愛しい親友たちの分も、彼らとの楽しい思い出をしっかりと抱きながら……。

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自殺ビジネス 甘桜歓喜 @ice2

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