第七話② 兄と妹の会話だ。口を挟むなんて、野暮なことさ。
ハワード君に案内された僕が街はずれの崖の所に行くと、そこには会いたくて仕方なかった彼女の姿があった。ママと同じ長い銀色の髪の毛を揺らした、小柄な彼女。僕のたった一人の妹、ジェニファーだった。
「お兄、ちゃん」
「ジェニー、無事だったんだねッ!?」
今は尻もちをついているみたいだけど、特に身体の何処かを怪我している様子はない。声も出てるから、具合が悪いということもなさそうだ。彼女が無事と解って、僕は盛大に息を吐いた。良かった、ジェニーは、無事だった。
上空では警察のヘリコプターが周回している。遂にはヘリまで出てきたのかと唖然としたけど、まあ何でも協力してくれているのは心強い。多分、ジェニーが見つかったことも、みんなに連絡してくれるだろうしね。
「心配したんだよ、ジェニー。急にいなくなったって聞いて、僕もパパも……」
「来ないでっ!!!」
しかし。僕が歩み寄ろうとしたら、ジェニーが立ち上がりながらそうがなった。来ないで欲しい、って。
「ジェニー?」
「今さら何しに来たのよっ!? わたしを連れ戻しに来たんなら、絶対に帰らないっ! 嘘つきで元凶のお兄ちゃんがいる家になんかいやっ! いやなんだからっ!!!」
ジェニーは大声を上げている。その言葉に悲しみも苦しみも、おそらく彼女の内側にある辛い気持ちを全て込めて。改めて、僕はジェニーを見た。いつもの元気いっぱいで、天真爛漫な笑顔を見せてくれていた彼女。笑えば何とかなるわ、なんて言ってどんな時でも大きな口を開けて笑っていた妹は今、とても辛そうな顔をしている。
ぎゅっと目元に力を込め、まゆ毛を吊り上げていた。それなのに瞳には涙がにじんでおり、今にも頬を伝って落ちていきそうなくらいだ。両手を思いっきり握りしめていて、ピンと腕も伸ばしている。それは怒りと悲しみが入り混じった、見ているだけでとても痛々しい姿だった。
そっか。僕は大切な妹を、こんな姿にしてしまったのか。なんて、馬鹿なんだ。
「ジェニー」
「来ないでって言ってるじゃないっ!」
僕は一歩踏み出した。ジェニーは一歩後ろに下がった。だけど、諦める訳にはいかない。僕にはジェニーをこんな風にしてしまった責任がある。そして、僕がどうしたいのかっていう目的も。その為にどうしたら良いか、なんて解ってるじゃないか。
「……ごめんね」
「っ!?」
僕は頭を下げた。何をしたって、過去は変えられない。どれだけ努力しようが、お金を積もうが。失敗は、トラウマは、絶対になくすことなんかできない。
だから今、僕はこうする。まだ、何とかなる、筈だから。
「ママが死んだのは、僕の所為だ。あの時、僕が一人で沖の方なんかに行かなければ、ママは死ぬことなんてなかった。ジェニーの言う通りだよ。僕があんなことしなければ、ママは死ななかった、挙げ句君に嘘までついて、今までやり過ごしてたんだ。全部、僕が悪いんだ」
「そうに決まってるじゃないっ!」
ジェニーがまた大声を上げる。それ見たことかと言わんばかりの、その勢い。
「お兄ちゃんがあんなことしなきゃ、家族みんなでいられたのよっ! なんでそんなことして平気でいられるのよっ!? この詐欺師っ! 人殺しっ!!!」
「……ッ」
詐欺師。人殺し。ジェニーは僕に、そう言った。とても辛い言葉で、僕は息を呑む。切れ味の鋭いその言葉たちが、僕の胸に突き刺さった感覚がある。痛い。とても、痛い。なまじ事実であるが故に、その言葉は胸に深く刺さって、とても抜けそうにない。辛い、苦しい。
だけどまだ、まだだ。まだ、折れる訳にはいかない。
「……そう、だね。僕は詐欺師で、人殺しだ」
だから僕は、それを受け入れるしかない。だって、過去は消せないのだから。僕の所為でママが死んだという事実は、なくなりはしないのだから。
「ジェニー、君の言う通りだ。僕はママを殺した。君を騙した。それは間違いない」
「そうじゃないっ! お兄ちゃんさえいなきゃママは生きてくれてたのにっ! わたしの十歳の誕生日を祝って、抱きしめて、キスしてくれた筈なのにっ! うわぁぁぁああああああああああああんっ!!!」
遂には泣き始めてしまったジェニー。そうか、ジェニーはママに会えたら、そうしてもらいたかったんだね。どれだけ頑張ったところで、僕は君のお兄ちゃんだし、パパはパパだ。誰もママの代わりになんか、なることはできない。彼女の願いを叶えてくれる人は、もういないんだ。
「ママぁぁぁあああああああああああああっ! ママぁぁぁああああああああああああああっ! うわぁぁぁああああああああああああんっ!!!」
「ジェニーッ!」
「いやっ!!!」
泣き叫び続けるジェニーの姿が、あまりにも可哀そうで。僕は咄嗟に走り出そうとした。彼女の元へとたどり着き、抱きしめてあげたかった。
でも駄目だった。走り出そうとしたその時に、彼女がまた後ずさりながら拒絶する。彼女の足は、もう崖の際にかかっていた。
「来ないでって言ってるじゃないっ! お兄ちゃんなんか大っ嫌いっ! お兄ちゃんなんか、お兄ちゃんなんか……」
そうして思いっきり息を吸い込んだジェニーは、はっきりと口にした。
「死んじゃえば良いんだっ!!!」
「ッ!!!」
死んでしまえと。そうすれば良いんだと。僕に向かってはっきりと、そう言った。
僕はその言葉に殴られた。蹴られた。思いっきりどつかれて、身体中をボコボコにされたかのような心地があった。たった一言。それだけの言葉であるのに、さっきの人殺し以上の辛さが、そこにはあった。実の妹に死んでしまえと言われるのがこんなに辛いことだなんて思わなかった。
「うわぁぁぁああああああああああああんっ!!!」
「じぇ、ジェニー……」
彼女はまだ泣き叫んでいる。僕は震える声で、彼女の名前を口にするしかできなかった。足が震えている。背筋に冷たいものが通っているような気もする。歯もかみ合わない。強く決心して、彼女に会いにきた筈なのに。彼女と仲直りしたくて、口を開いたというのに。
本当は心のどこかで期待していた。ちゃんと謝れたら、ジェニーは許してくれるんじゃないかって。すぐに許せないにしても、順番に、仲直りしていけるんじゃないかって。また家族三人で笑える日が来るんじゃないかって、そう思ってた。
でも現実は、そんなことはなかった。当の本人から直接非難されることが、ここまで強烈だったなんて思わなかった。取り付く島もないくらい、ジェニーに拒絶されるなんて思わなかった。もう少し、隙があると思っていたんだ。
だた、考えてみたら当然なのかもしれない。嘘をつかれていた。騙されていた。そしてその原因となった輩は、呑気に生きている。十歳にも満たないジェニーに、辛い現実を受け入れることなんてできやしなかったんだ。
「……僕、は」
ともすれば。ここで僕はどうしたら良いんだろうか。謝罪は受け入れられない。本人からは死んでしまえと言われている。考えてみたら、それは当たり前のことだった。
だいたい、人殺しは犯罪だ。社会が定めた法律、人を殺してはいけませんっていう約束事を破った恥知らず。普通に考えて、そんな人間に生きる資格なんて、ないじゃないか。死刑が何の為にあるのか、なんて本質的なことはよく解らないけど、少なくともこいつは殺した方が良い奴だ、という人間を消す為に存在していることだけは明らかだ。僕みたいな、人殺しなんかを。
ならば、ここで僕ができること、なんて……。
「僕が、死んで、しまえば……」
『保護対象は現在、肉親であるノアと共におりますッ!!!』
しかしその時、スピーカー越しの声が響いた。いつの間にか、無数のヘリコプターが僕たちの上を周回している。後ろを振り返ってみると、茂みの合間からたくさんの人々がこちらを見ていた。ジェニーを探してくれていた、街のみんなだ。
「っ!? な、何よこ……」
ビックリしたジェニーも声を上げた。しかしその声が、不自然なところで途切れる。慌てて僕が振り返った時に見た光景は。
「あっ……」
驚いた拍子に足を滑らせてしまったのか。ゆっくりと崖下へと落ちていく、最愛の妹の姿だった。
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