第五話② 全く、重たい空気だ。まあ、人は過去から逃げられないからな。


「……じゃあ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい。ジェニーのことはパパが見てるから、心配するな」


 僕は今までに無いくらい浮かない顔で、家を出ることになった。原因は明らかだ。いつも三人で食べていた朝食が、今日は二人になってしまったこと。誰よりも大切な僕の妹、ジェニーが部屋から出てこなくなってしまったんだ。

 昨日の夕方。泣きながら家に帰ってきたジェニーは、玄関を開けるなり僕とパパを怒鳴りつけた。


「嘘つきっ!!!」


 もうすぐジェニーのお誕生日会が来る。その時に全部告白しようと意気込み、それでも自分にできるのかと不安になり。結局は沈んでしまっていたここ最近。

 ジェニーにも不審がられていたから今日からは普通にしようと、いつものように微笑みかけようと、そう思っていたのに。彼女から向けられたのは、拒絶の言葉だった。


「ど、どうしたんだいジェニー? 嘘つきって一体……」

「は、HAHAHAHAHAHAッ! おいおいジェニー、いきなり怒鳴ったらパパがビックリしちゃうじゃないか。それに、パパはジェニーに嘘なんて……」

「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきっ! ママはもう死んじゃってるんじゃないっ! 遠くに行ったなんて、大嘘だったんじゃないっ!!!」

「「ッ!?」」


 僕とパパは目を見開くことになった。だって、彼女に話そうと思っていた内容が、彼女の口から出てきたんだから。その後のことは、よく覚えていない。ジェニーが色々と文句を言っていた気がするけど、あまりの衝撃で頭に残っていなかったんだ。

 どうしてジェニーがそのことを知っているのか。どうやって知ったのか。それとも自分で思い出したのか。僕が彼女に話そうと思っていたことまで覚えているのか。


 頭の中に整理しきれないくらいの恐れと戸惑いが浮かんでしまい、何も言えないままに立ち尽くしていた。パパは必死になってジェニーに言葉をかけていたけど、聞く耳を持っていない様子だったのは覚えている。


「お兄ちゃんの所為だったんじゃないっ!」

「ッ!!!」


 そして最後に部屋に閉じこもる前に、ジェニーが言っていた言葉も。


「ママは遠くに行っちゃったなんて嘘ついてっ! 全部自分の所為だった癖にっ! お兄ちゃんなんて……お兄ちゃんなんて、大っ嫌いっ!!!」


 そう言い残して、ジェニーは自分の部屋を勢いよく閉めると、鍵をかけてしまった。もうドアを壊すことでもしない限り、彼女の部屋に入ることはできない。窓も全てカーテンがされ、そちらにも鍵がかけられてしまった。

 呆然としていた僕は、やがてパパに促されて正気に返る。でもその時には、もう何もかもが手遅れだった。ジェニーは何度呼びかけても応えてくれなかったし、ドアだって開けてくれなかった。用意していた晩ご飯を扉の前に置いておいたけど、朝になってもそのままになっていた。彼女は完璧に、心を閉ざしてしまったんだ。


「ああ、僕の所為だ」


 一人で学校へ行く途中、僕はそう呟かずにはいられなかった。覚悟を決める筈だった。ジェニーにちゃんと、僕の口から説明する筈だった。

 なのに現実は、そんな暇すら与えてくれなかった。遅かれ速かれ、知られていたことではある。だからと言って、何の気構えもないままにやってくるなんて、思いもしなかった。


 それは僕が、甘えていたからだろうか。ちゃんと時間をかけて、なんて思いつつも結局は決めきれず。結果としてジェニーに不審がられるレベルで気を落としていた毎日。だからこそジェニーはそんな僕を怪しんで、何らかの手段で真実にたどり着いてしまったのではないだろうか。

 だとしたら、自業自得だ。まごまごしている内に、彼女に先んじられてしまっただけの話だ。お誕生日会なんて言わずに、もっと早くに心を決めていれば。こんなことにはならなかったのかもしれない。


「僕はもう、君に謝ることすらできないのかい、ジェニー……?」


 口にすると、一気に気持ちが沈んできた。ジェニーは何度声をかけても応えてくれない。あの薄いドアを開けて、顔を見せてくれない。もしかして今後ずっとそのままであったとしたら。僕は彼女に謝ることすらできなくなってしまう。償いも謝罪もないままに、背負い続けることになってしまう。それはまるで、地獄の日々だ。

 しかし考えてみたら、僕はそうなって然るべきなのかもしれない。そもそも僕がしでかしたことは、許されるような類のものでは無いはずだ。例え裁判で判決が下って、実刑を受けたとしても。心の中に残った罪の意識は、永遠に残り続けることになるだろう。それはおそらく、当たり前なんだ。許されるべきものじゃ、ないんだ。だって僕は、ママを……。


「おっはよーノアッ!」

「……サラ」


 やがて僕に声をかけてきたのは、同級生のサラだった。ウェーブがかった赤い髪の毛を揺らしながら、後ろから僕の隣にやってくる。


「今日、ゴンちゃんは遅くなりそうなんだって。もう連絡来てる? 何でもお婆ちゃんが深夜に徘徊して警察のお世話になったって……ノア、どうしたの?」


 いつもの調子で話しかけてくれるサラが、急に訝しげな声を上げた。まあ、今の僕は自分でも自覚してるくらいに、落ち込んでるからね。心配、かけちゃったかなぁ。


「……何でもないよ。大丈夫さ。ちょっとマヨネーズが足りてないだけだから」

「嘘ね」


 軽いジョークで流そうとしたけど、サラにビシッと斬って捨てられちゃった。凄いなあ、こんなに早く見抜かれるなんてさ。人間嘘発見器だね。早く特許を取らないと、産業スパイに奪われちゃうよ?


「マヨネーズが足りないならその場でゴクゴク飲む癖に。そんな嘘で私が騙される訳ないじゃない」

「そっかぁ。マヨえる戦士としても、僕もまだまだって訳だ。HAHAHAHAHAHA」

「話してよ、何があったのか」


 笑ってみたけど、サラは至って真面目な顔でそう続けてきた。おいおいジェニー、笑えば何とかなるって言ってたのに、全然駄目じゃないか。偉い先生の言うことも、アテにならないもんなんだなぁ。


「そりゃ私はゴンちゃんみたいに頼りにはならないかもしれないわ。付き合いだって今年一緒のクラスになってからだし。でもね、私達って友達じゃない。貴方の力になりたいって思いは、本気よ。付き合いの長さだけで優劣なんて、決めてやらない。例え昨日知り合ったばかりだったとしても、私はノアのことを心配するわ。だからね、ノア。私に話してみてよ。ちょっとだけで、良いから」

「サラ……」


 サラの表情が、目が、真剣だった。誤魔化そうとしてる僕なんかとは違う、心からの顔。その中には意志の強さに加えて、ちょっとした不安も垣間見えるものだった。もしかしたら、それでも僕が話してくれないんじゃないかっていう、そんな不安が。

 でも僕は、そんなサラに感じ入ってしまっていた。そっか。サラは本気で心配してくれてるんだ。妹一人に向き合えなかった、こんな僕に……ってね。正直さ、凄く、嬉しかったんだ。


「うん。じゃあ、ちょっと寄っていかないかい? 君に、聞いてもらいたい」


 だから僕はサラを誘って、近くにあった公園にやってきた。歩きながらするような話じゃないしね。ゆっくりと腰を下ろして、ちゃんと君に話したい。僕らが目指したのは公園にあったブランコだった。

 正直、ゆっくりしてたら学校には遅れちゃうような気がするけど、こういう日くらい、良いよね? 駄目だったら先生に謝りに行こうか。悪いのは僕な訳だし。


「昨日、さ。妹のジェニーに嘘つきって言われたんだ。それで彼女、部屋に閉じこもっちゃってさ。それが全部自分の所為だから、落ち込んでたんだ」

「嘘つきって、どういうことなの? ノア、妹のジェニーちゃんに、何の嘘をついたって言うの?」


 二人ならんでブランコに座ってるけど、僕はサラの方を見れなかった。多分彼女はこっちを見てくれてるんだと思うけど、今の僕に、彼女と目を合わせる余裕はない。


「……ママのことさ」

「ママのこと、って?」

「僕のママ、ステファニーは七年前に亡くなってるんだ。でも当時まだ幼かったジェニーはそれを受け止められなくてさ、ずっと、ずっと泣いてたんだ。だから僕は、僕がジェニーにこう話してたんだ。ママはちょっとお出かけしてるだけなんだよって」


 ゆっくりと、あの日のことを思い出す。水がトラウマになった、あの事故のことを。僕があの日、何をしてしまったのかを。


「そ、そう、なんだ。それがジェニーちゃんにバレちゃった、のね……でもそれだけなら、ちゃんとお話したら解ってくれたりしないの? 嘘つくことになっちゃったのは仕方ないことだし、ジェニーちゃんもその辺が解るくらいには……」

「……それだけなら、ね」


 ちょっと腰が引けてるっぽいサラが言うことも、よく解った。それだけなら、ジェニーだって解ってくれたかもしれない。ゆっくり時間をかけて、

 でも事は、それだけじゃない。僕が彼女に言えなかったのは、それだけじゃないんだ。


「それだけ、って」

「……ママを殺したのは、この僕なんだ」


 そうして僕は、自分が一番心の奥底に秘めていた内容を、遂に吐き出した。思い返されるのは七年前。家族四人で海水浴に行った、あの日の出来事だ。

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