第五話① ツケって言うのは、いつか払わなきゃいけないものなのさ。誰が払うのかは、知らないけどね。


 その日の帰り道。わたしは一人でフラフラと、ある場所を目指していた。ハワードから聞かされた話を、全否定する為に。

 彼の話は、本当に信じられないものだった。聞かされた直後は頭が回らなくなって、その場に立ち尽くしてしまったくらいだもの。それくらい、彼の話は衝撃的だった。わたしの認識を一変させちゃうくらいって言ってた彼の言葉は、本当だった。


「……そんな訳、ない」


 だからこそ、わたしは信じられなかった。信じたく、なかった。話を聞いて、すぐに否定した。それに対して次々と根拠となる資料を出してくるハワード。ぼくは嘘なんかついてないって、彼はずっと言ってた。出してきた新聞の記事だって、本物だった。それが彼がでっち上げた偽物なんて思えないくらいの、確たる証拠だった。

 わたしは必死に首を横に振った。例え彼が幾百の弁論と幾千の証拠を突きつけてこようと。わたしはそれを事実とは認めない。そうすれば少なくとも、わたしの中では真実じゃないから。そんな頑ななわたしに対して、ハワードは少しムキになりつつもこう言った。


「じゃあ後でも良いからさ、今から言う所に向ってくれ。ぼくがいくら喋るより、いくら証拠を持ち出すよりも雄弁に事実を教えてくれる場所がある。ぼくの言うことを信じられないのなら、そこに行ってみれば良い。そうすれば、ぼくが君に対して嘘をついていないってことを、解ってくれるだろう」


 そうして教えられたのは、街にある公園墓地。死んだ人が眠っているお墓が集まっている場所よ。行きたくなければそれでも良いってハワードは言ってたけど、わたしは逆に絶対に行くと言い放った。

 だってそこで見たものが嘘なら、彼の言うことは何もかもが間違いだったってことになるのだから。ベラベラくっちゃべっているあの天然パーマを、下してやることができるんだから。絶対に否定してやると息を巻いて、わたしは向っていた。その筈だった。


「…………」


 でも今のわたしには、不安しかなかった。この先に待ち構えているものが、自分の望んだ通りのものじゃなかったら。彼の言うことが全て正しく、わたしが意地になっていただけだったとしたら。だとしたら、否定されてしまうのはわたしの方だ。

 そしてそれは同時に、お姉ちゃんとパパのことにさえ関わってきてしまう。わたしの大切な家族。替えの効かない、唯一無二のお姉ちゃんとパパ。彼らに対してさえ、不信感を持ってしまう結果になってしまう。


「そんなこと、絶対にないっ!」


 嫌な思いが頭を過ったから、わたしは努めて大きな声でそう口に出した。そうだ、そんなことなんてないんだ。あのストーカーの言っていることなんて出鱈目で、現実にはそんなことある訳ないんだ。

 わたしにはママが待っていてくれる筈。ちょっと出かけてて、今は家にいないだけ。今度のお誕生日会の時に帰ってきてくれて、わたしを抱きしめてくれる筈なんだ。今まで離れててごめんねって、泣きながら謝ってくれる筈なんだ。そうに、決まってるんだ。


 やがて公園墓地にたどり着いたわたし。もう日が暮れ始めていて、辺りはオレンジ色になっている。こういうのを黄昏時って言うんだっけ、この前学校で習ったわ。そんな中でわたしは、敷地の中へと足を進める。

 綺麗に並んでいるお墓。規則正しく、順番を守って、色んな人がここで眠っている。時折お花が置いてあるのは、誰かがその人を悼んでくれたからなんだろうか。


「……っ」


 歩いていくと、遠目に、ハワードから教えられたお墓が見えてきた。見間違いでなければ、そのお墓にも花が添えられている。まるで誰かが、そこで眠っている人を悼んだかのように。この前パパが一人で出かけた日に置かれた花だと彼は言っていた。


「っ!」


 わたしは走った。見たい。見たくない。その相反する気持ちが自分の中でぶつかり合って、訳が解らなかった。でも走った。走らずには、いられなかった。


「はあ、はあ、はあ、はあ……っ!!!」


 そして見た。目的のお墓の前に来て、はっきりと、わたしの目はそこに刻まれた名前を見た。ママと同じ名前と、その下に綴られたメッセージも一緒に。


『ステファニー=シーウォーカー 私たちの愛するお母様』


「……あ、あはは……HAHAHAHAHAHAっ!!!」


 笑った。わたしは笑った。大きな声で、大きな口を開けて、笑った。だって、笑えば何とかなる筈だから。偉い先生がそう言っていたんだもん。こういう時こそ、笑えば何とかなるわっ! さあ、思いっきり笑って、わたしっ! 辛い時も苦しい時も、笑えば何とかなる筈だからっ!


「HAHAHAHAHAHAっ!」


 何とか、なる、筈だから。あれ? おかしいわ。わたしはこんなに笑っているのに、どうして涙が止まらないの?

 だってわたしは笑ってるのよ? 泣いてなんかいないんだからっ! おかしいわよね? 病気にでもなっちゃったのかしら? お医者さんの所へ行かなきゃいけないわっ! でもお注射だけは嫌よっ!


「HAHAHAHAHAHAっ! HAHAHAHAHAHAっ!」


 止まって、お願い止まってっ! どうして涙は止まってくれないのっ!? わたしの言うこと、聞いてよ。泣きたくなんて、ないのよ。

 ねえ、いや。いやよ、こんなの。だってこれが真実なら、お姉ちゃんも、パパも、このことを知ってたってことじゃない。今まで優しくしてくれてた二人が、わたしに対して嘘をついてたってことじゃない。わたしだけに何も言ってくれなかったってことじゃないっ!


 ハワードの言ってたことは、本当だった。彼が出した新聞の切り抜き記事も、全部真実だった。七年前に海辺で自分の子どもを助けようとして、溺れ死んでしまった女性がいたという記事。被害者の名前は、ママと同じステファニーだった。

 それと同時にわたしの中に蘇る記憶。まるで蓋をされていたのが解き放たれたかのように、一気に脳裏に蘇ってくる光景。家族みんなで海水浴に行ったあの日。浜辺で倒れているママ。必死になって抱き起しているパパ。ママにすがってずっとごめんなさいって謝っているお姉ちゃん。そしてそれを、ただ茫然と見ていたわたし。


 頭の中で、昔のわたしが言った。


「ねえパパ。どうしてママは起きないの?」


 パパは泣きながら言った。


「ママはね。ママはもう、死んじゃったんだ……」


 そうだ。あの時、それを聞いたわたしはパパになんて言ったのか。


「……えっ? いや……いやよそんなの……ママが死んだなんて、絶対にいや……」


 昔のわたしと、今のわたしが震え出す。そうだ、思い、出した。わたしはママが死んじゃったあの時、あの、時……。


「「ママが死んじゃったなんて絶対にいやだぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!! うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!!」」


 昔のわたしと、今のわたしが泣き叫ぶ。わたしはママの死を、受け入れられなかった。優しかったママが。時に厳しかったママが。もういないなんて、耐えられなかったんだ。

 だからわたしは、今の今まで忘れてた。思い出したく、なかったから。理解したくも、なかったから。ママが生きてるって、心の底から信じてた方が、幸せだったから。そう思い込みたかったから。


 そしてそんな内心を見抜いたのか、わたしの望んだ嘘をついた人が、いた。間違いなく、いた。ママは遠くに行っちゃっただけなんだって言った人が、わたしの家族にっ!!!


「うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!!」


 わたしは泣いた。大声で泣いた。もう、笑えなかった。公園墓地で一人、わたしはずっと、泣いていた。

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