第二話③ ノアたんへの無断接近及びノアたんの香り無断摂取被告事件
「それではこれより。オリバーに対する裁判を始める」
授業が全て終わった放課後の教室内。正面に座った裁判官は重々しい表情でそう告げた。その後ろには陪審員らが座っている。検察側に一人の男性が座り、弁護側には誰もおらず、そして被告人席には張本人であるオリバーがいた。彼は自分で自分の弁護をすることを主張したのだ。そんな彼の目の前には証言台となる机があった。
それを固唾を飲んで見守る傍聴席は満員であった。全員が全員、オリバーに対して敵意の目を向けている。まだ夕方であるにも関わらず全ての窓のカーテンが閉められ、蛍光灯が付けられている教室内には、ピリピリとした空気が漂っている。これからの裁判が遊びではない、という雰囲気を、その場の誰もが感じ取っていた。
「被告人は証言台の前に立ってください。立ちましたら氏名、生年月日、本籍、住所、職業を答えてください」
「はい。ボクはオリバー。生年月日は二〇XY年五月三日。本籍、住所は同じで百六十、ウェスト通りノーウィッチ、トンモーバの〇五〇五五。職業はメンタースピリットオデッセイチャーマーの二回生だ」
証言台の前に立ったオリバーは、裁判官からの人定質問に淀みなく回答していく。それを受けた裁判官は頷き、続けて検察側に対して言葉を放つ。
「では検察側。起訴状を読んでください」
「はい。それでは私の方から、お話させていただきます」
検察の男子生徒が立ち上がる。オリバーは証言台の前に立ったまま、チラリ、と検察の方に目をやった。
「彼、オリバーは二〇XZ年◎月×日午後十四時二十八分ころ、トンモーバ州メンタースピリットオデッセイチャーマー、通称メスオチ学校の体育館内において、被害者であるノアたんの香しい香りを無断摂取及び彼女に対して無許可で言い寄った挙げ句、水が苦手な被害者を転落させる原因を作ったものであります。罪名及び罰条は、ノアたんへの無断接近。ノアたんを愛でる会規則第二十三条及びノアたんの香り無断摂取。ノアたんを愛でる会規則第三十五条となります」
「解りました。それではまずオリバー被告人。あなたには黙秘権という権利がありますので、言いたくないことは言わなくても問題ありません。以上を踏まえた上で、確認させていただきます。先ほど検察官が読み上げた起訴状の内容に間違っているところはありますか?」
「間違いないよ」
本日の午後の出来事についての説明があり、オリバーはそれを肯定する。読み上げられた内容に嘘はない、と。
「わかりました。それでは被告人は一旦、元の席に戻ってください」
オリバーはその言葉を受けて、最初の席に戻って腰を下ろした。その後は裁判官からの指示で、検察側から今回の事件の経緯や内容についての説明である冒頭陳述が行われる。
「被告人オリバーはまず、本日の体育の授業中にて、ノアたんを愛でる会に申請を上げないままに被害者であるノアたんに言い寄りました。許可申請の履歴はありません。またこの際に彼は、不必要に被害者に接近することで、彼女が発するあの甘い香りを鼻孔より体内に入れ、性欲を満たしていたというものです。それは彼が勃起していたという事実からも明らかです。そしてこちらが、その証拠となります」
一通り陳述し終わった後、検察側が取り出したのはごみ袋に入れられたトランクスタイプの水着であった。裁判官が弁護人に問う。
「被告人の証拠意見はいかがですか」
「全て同意します」
被告人でありかつ弁護人であるオリバーは、検察側が提出する全ての証拠について同意した。意義なしとみなされ、検察側からの証拠説明が開始される。
「こちらが証拠となります。現在は袋の中にありますが、まずはこのトランクス水着から。こちらは被告人が本日履いていたものとなります。このトランクスの正面中央部分をご覧ください。はっきりとシミがついています。こちらは我慢汁です。被告人が被害者の香しい香りを嗅いで勃起した、ということの何よりの証拠と言えるでしょう。検察側からは以上です」
続いて弁護人から証拠が提出されることになったが、オリバーが「特にありません」と言った為に省略されることになった。
「それでは被告人質問を行いますので、被告人は証言台の前に立ってください」
裁判官から指示が発せられる。証人がいない為に証人尋問も行われず、被告人質問へと進むことになった。弁護人が彼自身である為に、質問は専ら検察側からである。
「ではまず被告人に伺います。何故被害者であるノアたんに言い寄ったのですか?」
「彼女がそこにいたから。それ以上の理由が必要かい?」
「香りを無断で摂取したことは事実ですか?」
「近くによれば、そりゃ相手の香りくらい鼻に入ってくるよ。これは生理的に無理な相談だ。近寄れば相手の匂いが解る。自然の摂理だよね」
事実関係について検察が質問を行い、被告人であり自己弁護人であるオリバーが答えていく。そのやり取りに対して、彼は軽口を叩けるくらいには余裕があり、特に困った様子を見せなかった。
「では。ノアたんに言い寄ること及び彼女の香りの無断摂取が、ノアたんを愛でる会規則に反しているということは知っていたのですか?」
「…………」
しかし次に検察側からされた質問によって、オリバーは初めて口をつぐんだ。その様子を見た検察側がニヤリと笑みを浮かべる。
「ここで黙秘権の行使ですか。どうやら、規則についてはご存じだったようで」
「…………」
「加えて。貴方がそのようなことを行った結果。ノアたんがプールに落ちて溺れかけてしまったということに対しては?」
「…………」
オリバーは答えない。少し俯いてただ静かに、沈黙しているだけだ。それを見て勝ち誇ったかのような表情の検察側。それ以上の質問はないとし、被告人質問は終わった。
次は検察側から今回の事件でどのような刑を下すべきか、との意見が述べられる諭告である。検察側は意気揚々と語り始めた。
「今回のノアたんへの無許可での接近及び彼女の香り無断摂取。更には先ほどの被告人質問の際に、被告人はノアたんを愛でる会規則を知っているか、という質問に答えませんでした。彼は明らかにこうしてやろうという悪意を持って、今回の犯行に及んでいます。その結果が彼女の身の危険を招いてしまったのであれば、尚更です。私からの求刑はただ一つ。被告人は今後一切のノアたんに近づくことを許さず、我々ノアたんを愛でる会に無償で奉仕を続けるという無期懲役が妥当かと思われます。私からは以上です」
検察側の諭告が終わると、傍聴席からは拍手が起きた。そうだそうだ、という野次も飛び、裁判官から静粛にするように注意喚起がなされる。
「わかりました。それでは被告人及び弁護人。検察側の諭告について弁論をお願いします」
裁判官に促され、オリバーは立ち上がる。最早勝敗は決した、とでも言わんばかりの雰囲気だ。検察側は何を喚こうが言い返す用意がある、と言いたげな余裕の表情を持っている。傍聴席に座った参加者も、とっとと俺達とノアたんに謝れ、という視線が彼を射抜いていた。
四面楚歌。今この場において、彼の味方をする者は誰もいなかった。
「……ボクは反対だな」
たった一人を除いて。彼、オリバー自身だけは、自分の味方であった。自分自身を信じられずして、何を信じられるというのか。彼は数の暴力による圧倒的な敵意を向けられようが、全く怯んではいなかった。
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