第二話② 誰にだって苦手なもんくらいある。僕にとってはそれがウォーターってだけの話さ。


 さて授業も終わってお昼休みの時間だ。僕たち学生にとっては、授業という砂漠を歩き続ける途中に現れたオアシスそのもの。このひと時が、身体に潤いを与えるのさ。マヨネーズによってね。


「ホントなんでアンタはそんなに油取ってて太らない訳? っていうか、どうして身体壊さないのよ」

「何を言ってるんだい、サラ? 僕は健康診断では、毎年一、二を争うくらいの健康優良児なんだよ」

「積み上げられてきた医学の歴史に喧嘩売ってるわよね、あなた」

「出品した覚えはないんだけどなぁ」


 いつものようにお弁当を持ってこっちに来たサラが、訝し気に聞いてきたね。僕も自分のお弁当用のマヨネーズを出して、既に頂いている。ちなみにゴンちゃんは今、お花を摘みに行ってるよ。美容マヨネーズを試したいっていうからあげたのに、一本飲んですぐに顔色が悪くなってたから、おそらくはラフレシアでも摘みに行ったんじゃないかな?

 しかし、そんなことを言われたって、僕はこの生活を続けて今まで病気をしていないんだから仕方ないよね。やっぱりマヨネーズは神の調味料。いや、神そのものだね。アーメンハレルヤマヨネーズ。共に讃えようじゃないか。マヨを讃頌。


「ねー、ノア。最近買った化粧水が合わないのよ。何か良い化粧水知らないかしら?」


 すると僕とサラの間に入り込んできた女子のクラスメイトがいた。


「あー、そうだね。ちなみにどこのやつ使ったら合わなかったんだい?」

「えーっとね」


 そうやって彼女から話を聞き、僕は彼女に合いそうなメーカーの商品をいくつか紹介してあげた。お試しでつけて問題なくても、長く使ってると結局は合わなかった、とかはザラにあるからね。自分に合うものを見つけるのは、いつも苦労するよ。


「ねーノア。月間『百合百合(レディーレディー)』の最新刊読んだ?」

「あー、読んだ読んだ。あの修羅場を、まさかあんな形で回避するなんて……」


 また別の女子が話しかけてきたね。しかし最新刊は面白かったなー。


「ちなみに今月の『王女の園(プリンセスエデン)』も読んだ? 私はやっぱりラブリーチャーミー先生の最新話が素敵だったわッ! あんなに繊細な乙女心を書けるなんて、絶対に本人も可憐な美少女に決まってるわよねッ!」

「あー、うん。あれも良いよねー」

「相変わらずサラは好きねー。それにしてもノア、いっつもラブリーチャーミー先生の話になると微妙な顔するよね? あんまり好きじゃないの?」

「そういう訳じゃないんだけどさ……」


 ちなみにサラは女性向けの小説雑誌、『王女の園(プリンセスエデン)』の中毒者だ。毎月新刊を欠かさず読んでるし、巻末の作者コメントすら暗記してるレベルだ。対して僕は、別にその雑誌が嫌いって訳じゃないんだけど、ラブリーチャーミー先生は、ちょっと……詳しくは、また後で話すよ。

 少しの間三人で色々と盛り上がった後に、その子も行っちゃったね。


「今さらだけど、アンタの友達って女子ばっかよね?」

「そうだね。同性の友達って、ゴンちゃんくらいじゃないかな」


 サラに言われて気が付いたけど、そう言えば僕っていつも喋ってるの女子相手な気がする。ゴンちゃんくらいかな、男友達っていうのは。彼はオカマだけど、生物学的な性別で言えばまだ男の子だしね。


「ゴンちゃん以外の男子とは話しないの?」

「……だって他の男子って、こういうのばっか送ってくるし」


 視線を落とすと、マヨネーズと共に僕のカバンの中に溢れてるラブレターの数々。うん、普通に話しかけに来てくれるんなら僕も対応できるんだけど、何故か異性を目の前にした思春期男子のそれとしか思えない応対ばかりされるんだよね、不本意ながら。


「男子にモテて、女子にはお友達扱いか。前途多難ね、あなたの人生」

「HAHAHAHAHAHAッ! サラ、そういう哀れみが一番心にクるからやめてくれないかい?」


 サンドイッチを食べながら送られてくる視線が痛いね。僕だって健全な男の子なんだけどね。全く、周囲のみんなはどうして僕を女の子みたいに扱うのか、サッパリ解らないよ。

 ちなみにノアたんを愛でる会とかいう、男子で構成された非公式な組織まであるらしいんだ。まだ噂しか聞いてないけど名前だけで鳥肌もんだし、尻尾を掴んだら物理的に壊滅しないといけないね。


「女の子以上に美容品への知見が深くて、趣味は少女モノの漫画や小説を読むこと。胸板も薄くて狭い肩幅に、腰にはくびれがあるスレンダーな体系。声も中性的だし、トドメに女の子にしか見えないその綺麗な顔。体育での着替えもあなただけ別室にしないと死人が出るし……もう諦めたら?」

「諦めたらそこでゲームセットだって、僕はジャパニーズ安西ティーチャーで学んだんだよ……ッ!」


 事実を事実として突き付けられるこの苦しみに、なんて名前をつけようかな? そうだ理不尽、理不尽が良いねッ! 愛称はリフちゃんだッ! リフちゃん、僕と友達になろう。


「って言うか見た目や身体つきはまだしも、美容品や少女漫画については後天的にあなたが選んだものでしょ? なんでそんな方面に進んだのよ?」

「僕が小さい頃から、ママが『男の子ならこういうのが良い』って育ててくれたから」

「真犯人が解ったわね」


 あれあれ? もしかして僕はママによって色々と騙されてきたというのかい? おいおい勘弁してくれよ。もう趣味の領域に片足どころか全身まで浸かってるんだけど。もしかしてこれが、かの有名な手遅れってやつかい? 愛称はテオちゃんだね。テオちゃん、腹いせに一発蹴らせてくれよ。ローキックで良いから。


 そんなこんなで昼食を済ませ、午後の授業に入った。午後は数学を挟んだ後に体育の時間さ。今日は苦手な水泳だ。サラの言う通り、僕だけは男子でも女子でもない個室で着替えることになっている。着るのは女子と同じスクール水着で、上にパーカーを羽織るよ。

 以前男子と同じトランクスタイプの水着を履いて上半身は裸のままでいこうとしたら、男子が次々と鼻血を吹いて倒れたんだ。血相変えて飛んできたサラには「羞恥心を学びなさいッ!」って怒られちゃったし。僕は男の子なのにね、全く意味が解らないよ。


「さあ、順番に泳ぐぞ」


 先生が号令をかけてる。とは言っても、僕は泳がないんだけどね。泳がないってか、泳げないんだけど。小さい頃に海で溺れたことがあって、それがトラウマになってるのさ。僕の一番、思い出したくない記憶だ。その後にもう一回溺れかけたしね。

 この話は先生にも伝えてあるから、僕を無理矢理参加させることはない。こういうのは気持ちの問題だからね。みんなが順番にレーンで泳いでる中、僕はプールサイドに腰かけて、足で水を蹴るくらいしかしていない。


「ノア。怖かったらプールサイドまで出てこなくても良いのよ?」


 そんな僕の元に、ゴンちゃんがやってきた。僕が水辺にすら来られなかった時期を知っているからか、その顔はとても心配そうだ。


「大丈夫だよ、ゴンちゃん。お風呂にだって入れるようになったし、これくらいならへっちゃらさ」

「そう? 気分が悪くなったらすぐに離れるのよ? 勇気と無茶は違うんだからね」

「ありがとう、ゴンちゃん。うん、嫌になったら、離れるよ」

「解ってるのなら良いのよ。さて、アタシは行こうかしらッ! プールの人魚姫こと、アタシのバタフライを見て~んッ!!!」

「うわァァァッ! 海坊主だァァァッ!!!」


 レーンで大きい水しぶきを上げながら泳いでいるゴンちゃんを見て、僕はそう呟く。巨体を翻しながら泳いでいるゴンちゃん。楽しそうだなぁ。


「ハア、ハア、ね、ねえノアたん……」

「ッ!?」


 と思ってたら、急に横から声をかけられたよ。気が付くと、僕の隣に一人の男子生徒が座ってたよ。おいおい、声をかけるなら声をかけるって事前に言ってくれよ。ビックリし過ぎて心臓が垂直飛びを敢行しちゃったじゃないか。


「き、君は確か同じクラスの」

「オリバーだよ。オリバー=クーパー。覚えててくれたんだね、嬉しいなあ。ハア、ハア。良い匂いが、するよ」


 黒くて短いくせ毛の頭。顔中に出来物があって、初夏に向かう今の季節ということもあって汗がベットリ。鼻息で荒い息遣いと共にお腹のぜい肉が上下運動を繰り返してるという彼。

 うん、生理的にキツイ。


「な、何か用かい?」

「用かい、なんてつれないじゃないか。クラスメイトとの親睦を深める為に、君とトークしに来たのさ。友達っていうステップに上がりたいからね」


 言ってることは解るんだけど、心では解りたくないっていう不思議な心地だ。だって股間が盛り上がってまいりましたって感じがしてるもの。気のせいであって欲しいね。


「さあ、心の距離を縮める為に、物理的な距離も縮めたいんだけど、どうだい?」

「い、いや。今くらいの距離で良いんじゃないかな……?」


 ずいっとこっちに近寄ってきそうだったので、僕は一歩離れようとした。その時だった。水に濡れたプールサイドで僕のお尻が滑ってしまい、そのまま僕はプールの中に落ちてしまったんだ。


「ッ!? がぼ、ごぼごぼッ!?」

「の、ノアたんッ!?」


 視界が一気に水の中へと変わり、僕の頭の中にはあの日の光景が蘇る。小さい頃。そして去年に海で溺れてしまいかけた、あの時のことが。そして、その後のことまで。一気にパニックになった僕は、あろうことか息をしようと水中で口を大きく開けてしまった。

 その結果。大量の水が口から僕の身体の中へと侵入してきて、一気に息ができなくなる。吐き出そうとしても周囲も水しかないために、全く意味がない。


「ッ!? ッ!? ~~~~ッ!!!」


 学校のプールだし、足はついたのかもしれない。手を伸ばせはプールサイドに届いて、すぐに上がれたのかもしれない。でも、パニックになっている僕にそんな考えが浮かぶ訳もなく、ただただ息をしたいと口を開けて暴れまわるばかりだった。


「ノアッ!!!」

「っぷはぁッ!? ゲホッ、ゲホッ……」


 やがて、僕の身体が強制的に水から引き揚げられた。水中から解き放たれたことでようやく周囲に空気が満ち、僕は口を開けて飲み込んだ水を吐き出している。

 いくらか吐き出したことでようやく落ち着いてきた時に目をあけると、僕を抱き上げているゴンちゃんの姿があった。


「はあ、はあ、ご、ゴンちゃん……」

「ノア、しっかりしてッ!」

「う、うん。大丈夫、だよ。ゲホッ、ゲホッ……ありがとう、ゴンちゃん」

「全く、アンタって子は」


 その後は先生やサラも飛んできて、僕は保健室に運ばれることになった。大騒ぎになっちゃったね、恥ずかしいや。早く克服したいんだけど、どうもまだ苦手だね。やっぱり小さい頃の恐怖が、まだ忘れられないみたいだ。

 あと、話しかけにきただけのオリバーには、悪いことしちゃったかな。僕が勝手に落ちただけだから、気にしないでくれてると良いなぁ。後で気にしなくても良いよって、謝りにいかなきゃね。

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