31.「はい、チーズ」

       *



 高い天井で広がるように反響する、周囲の人々の話し声。がやがやとしているようで、どこか静謐せいひつさも持ち合わせた独特な空間。


「……ハズレ引いたな」

「うん……」


 足音の立ちにくい床を並んで歩くみおの言葉に、私は苦笑とともに返した。

 ここは、私たちが住む寮から地下鉄を二駅乗ったところに構える映画館だ。一帯では大きい部類のショッピングモールの、三階の端に位置している。

 実は、私たちに共通する小さな趣味として、B級映画鑑賞というものがある。普段はサブスクリプションサービスで観ているけれど、今回は珍しく二人そろって映画館におもむいていた。

 目をやった先ではポップコーンやドリンクを買う人の列が伸びており、待ちに耐えられない子供が駄々をこねている。自動券売機にできた列は、きっとあと十数分後に入場開始となる目玉作品のものだろう。私たちと同じシアターから出てきたであろう人々は、口々に感想を述べあっていた。

 あまり、良くさなそうな感想に聞こえる。


「話題の作品に客が吸われてたから伸び伸び観れたけど、それにしても面白くなかった」

「B級だと思ったらC級だったね」


 見たのは、数々のタイトルに埋もれた穴場上映の恋愛ものだ。私も澪も恋愛作品にたいして興味はないけれど、何せ女性同士の恋愛ものだったから、半ば使命感で観にきた次第だ。

 レイティングも掛かっていたから、多少覚悟はしていたが――。


「……なんかさ、」

「うん、」

「ずっと乳繰ちちくり合ってただけやんか」

「そう、だね……」

「ストーリー性もなければ、いっそエロくもないで、あれ」

「全くもって同意」


 そう、本当にどういう意図で制作されたか分からない、一時間半もの間ずっと情事じょうじ房事ぼうじ。顔も名前も知らない若い女優同士が、ずっと裸で重なっていた。連れが澪だったからまだ耐えられたものの、不幸にも家族とでも観に来ていたら、気まずさで吐いていたに違いない。実際、途中で席を立った人が何人もいた。

 ハズレを引いたなんてものではなかった。


「まぁ、たまにはこういうこともあるよな。あえてB級を選んでるんやから、そりゃこんな作品も引き当てるわ」

「ある意味、これもB級映画めぐりの醍醐味だいごみとも言えるしね」

「まぁな」


 そこまで話した頃には、映画館ブースから出て、店の立ち並ぶ通路だ。

 この施設について“一帯では大きい部類”と形容したように、ショッピングモールの中ではそれほど立派とは言えない。映画館が入っていることが不思議に思えるほどだ。

 それでもまぁ、ショッピングモールというだけあって、お洒落なカフェや洋服屋はある程度そろっている。映画を観たあとに回る予定だった。


紬希つむぎ、なんか行きたい店ある?」

「うーん……。買いたいものはないけど、服屋さんと雑貨屋さんは見てみたいかな」

「おっけー、じゃあ三階から順に降りていけばいいな」

「そうだね」


 言いつつ、映画館からすぐ近くにある服屋に入った。

 服屋を見ることは嫌いではなくとも、そもそもファッションにそれほど強い興味を持たない私は、結局すぐに飽きてしまう。服に興味がないのは澪もだから、本当に各ブランドをちらちらとのぞいていくだけだ。

 だから、それから数十店舗を見て回るのに、一時間もいらなかった。ブースに入って、見回しながら一周回ってそのまま退店。気になるものが売っていたら、タグに一瞬目を通す。その繰り返し。

 それ自体は楽しくなくとも、澪と話しながらだと至福の時間だった。


「さて、デートプラン・スリーに入りましょか」

「うん」


 映画、服屋・雑貨屋めぐりにぐ、第三のプラン。今日の最後の用事。


「もう一個隣の駅やんな」

「そう」

「結構行くん? 水族館」

「ううん、初めて」


 次の行き先は市営の水族館である。澪の言う通り、地下鉄をさらに一駅乗った先に構えている。こちらもお世辞にも大きいとは言えない施設だが、地元民には愛されているようで、時期によっては地下鉄がごった返すほどの場所だ。


「ずっと気になってたけど、行くなら澪と一緒がいいって思ってたから」

「なるほど、」


 言いよど


「いつかはいつかはって結局行けへんくて、……だから、今か」

「…………うん」


 澪の言葉に含まれた意味。

 彼女の言う“今”は、何を隠そう、余命が決しただ。

 映画のつまらなさと店めぐり、総じて珍しい澪とのデートの楽しさで気がれていたその事実が、彼女の言葉で呼び戻された。いくら楽しくても忘れてはなれない――むしろその現実を噛みしめてこそのデートだと、彼女は言いたいのだろう。

 あの日。私が自殺しようとして、澪が自殺しなくて、彼女のログハウスで全ての謎が解けたあの日から、ちょうど一週間。六月四日――いざ今日になればあっさりとしているが、人生のフロントラインをようやく更新できた一日だ。

 今日は日曜日だからもともと休みだけれど、実は、二人して大学に行くのを辞めた。それもそうで、二人とも数年も余命がないのだから、大学に通い続けたって意味がないのだ。そんな生き方をするより、本当に全てをなげうって、澪と一緒に余命を噛みしめているほうがいいに決まっている。

 はじめの数日は大学を無断欠席することに罪悪感を覚えたけれど、今ではブッチすることにも慣れてしまった。それに、いざ休んでみると分かるが――世間は驚くほど非情で、社会から離れた人のことなんて気にもめないのだ。

 先の映画ではないが、それこそ部屋で乳繰ちちくり合うのも飽きてきた頃なので、これまで行きたかったところを目的地としたデートをしようという算段である。


「実感、いてる?」

「ううん。……長くはないんだろうなっていう感覚はあっても、死が近い実感なんてないよ」

「そうやんな、あたしも」


 言って、ん、と澪が付け加える。


「でもあれか、紬希が渡り歩いてきた世界線では、あたしは平気で死んでるんやんな」

「平気だったかは分からないけれど――そう、だね。澪のそういう姿を何度も見てきた」

「改めて、ごめんな。そんなつらいもの見せちゃって」

「ううん。この世界の澪が謝ることはないし、……死んじゃった世界線の澪だって、それだけつらかったんだから、謝る必要なんてないよ」


 私こそごめんなさい――その言葉が、やはり口をついて出てくることはなかった。目の前の澪は、私に謝罪の口癖があったなんて、あるいは全く知らないのかもしれない。いろいろあったけれど、口癖が治ったことが最も成長として分かりやすかった。

 ショッピングモールから出たところにあるベンチに腰掛けて、長閑のどかな風景を眺める。水族館の閉館まではたくさん時間があるから、急いで地下鉄に乗り込む必要はない。


「あんまり怒らずに聞いてや」

「え、……うん、」

「紬希は、残り少ない貴重な人生のパートナーがあたしで、嫌じゃない?」


 怒らずに聞いて、の意味が分かった。


「答えが明白すぎて逆に怒れないよ。……澪じゃないと駄目。澪以外に、隣を歩いてほしい人なんていない」

「そっか」

「澪こそ、私がパートナーなんて嫌なんじゃない?」

「そんなことくなや!」

「怒んないでよ!?」


 あまりにも綺麗な自己矛盾だったから、すぐにネタを吹っ掛けてきていると分かった。証拠に、私の返しに対して大仰おおぎょうに笑ってくれている。

 口癖が治ったのもそうだけど、澪のノリにある程度ついていけるようになったことも、成長の証として自負している。


「あたしこそ、紬希と一緒じゃないと生きていかれへん。紬希に隣を歩いてほしいし、紬希の隣を歩きたい」

「……ありがとう」

「こちらこそ」


 二人の間を、心地よい風が吹き抜ける。今日は、晴れと曇りの間のようなお出かけ日和で、暑くもなく寒くもない。世界が、私たちの味方をしてくれているとさえ思ってしまう。

 そよ風を感じながら、ちばらく、並んでベンチに座り続けた。人の行き交う通りをぼんやりと眺めて、お互いの息遣いを感じ合う。ひどく穏やかな呼吸は、顔を見なくてもその心のうち静謐せいひつさを伝えてくれる。美味しい空気は、隣に澪がいることでさらにかおり良く感じられた。

 十分じゅっぷんくらいは、そうしていたかもしれない。


「さて、」


 果たして聞こえた澪の声に、休息モードに入っていた意識が覚醒した。横を見ると、ちょうと立ち上がったときだった。

 私も立ち上がると、澪がポケットからスマホを取り出す。


「なぁ、写真撮ろ」

「え、写真?」

「そ。あたしら、一緒に写ってる写真ってないやろ?」

「あぁ……確かに」


 お互い、カメラを向けられるのが苦手だからだ。澪がどれほど苦手かは知らないけれど、私なんて、小中高通してカメラマンが構えるレンズの射線から逃げ続けていたくらいである。

 写真を撮られるのは苦手だが、確かに、澪との写真がないのはもっと嫌だった。


「女子力皆無のあたしは自撮り棒なんて持ってないので、もちろん自力でシャッターを切るしかありません」

「澪が女子力皆無だったら、私なんてもはや雌犬だよ」

「確かにビッチやもんな」

「否定して……!?」

「乳魔神が何言うてんねん」

「ちっ、乳魔神!?」


 また出たよ新しい蔑称べっしょう。大学に行かなくなってから余計に乳繰ちちくり合いに拍車がかかったから、そう言われても仕方ないけれど。

 ……ていうか、私の記憶が正しければ、私に蔑称べっしょうをつけた人をと息巻いていたのはこの世界線の澪だったはずだ。パラレルワールドをまたいだところで、やっぱり澪は澪だということらしい。


「ごめんごめん、冗談」

「分かってるよ……」

「ほら、撮るで」


 言った澪は、スマホを上空へとかかげて、私の腰に手を回してきた。少しびくりとしたけれど、なぜか負けていられないという気持ちが芽生えて、私も彼女の肩に手を置いた。

 普段は絶対にしないのに、私は気づけばピースまで作っていた。じゃんけんでしかこの手をしないほどの私が、ほとんど無意識に。

 楽しくて勢い余ったか。それとも、澪との写真に特別感を出したかったのかもしれない。

 内カメラ越しの澪の笑みを見ると、そんなことは一気にどうでもよくなった。


「はい、チーズ」


 その瞬間、そよ風が優しく髪をさらった。

 上手に、笑えたかな。



       *






※近況ノートとpixivにて、今話の挿絵を投稿しております。

 https://www.pixiv.net/artworks/110083818

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