21.「行ってくる――」(5/5)

 は、と。

 あまりに乱暴な話に、理解が一瞬遅れた。


『簡単な話でしょ』

「簡単……って、そんなわけないよ……! 過去に戻ったって、みおの鬱病を直すことなんてできない……!」


 できない。

 お得意の、逃げ口上こうじょう。ただ、今回はきちんと考えがあった。


「遺書を読む限り、私の頼りなさより大きな原因に、過去の積み重ねがある。親にも友達にも相談を突っねられて、私と出会った時点では人生に嫌気が差してた頃だと思う。もし過去に戻って、上手く事が運んで五月病を避けられたとしても、もう手遅れなんだよ。本当に鬱の根にアプローチするなら、もっと古い過去に戻らないといけない。だけど、大学入学より過去に戻ったところで私は澪と関わりを持てない。……私には、澪のログハウスの暴走を、止められない」


 悲観の癖は、確かに昔からあるけれど。

 これに関しては、本当に言ったとおりで、とてもじゃないが活路が見出せない。大学からの付き合いである以上、私にできることは本当に限られている。私が鬱の原因だったのならまだしも、澪にとって所詮“人生の希望にはなれなかった”程度の存在である私が何かしたところで、彼女の心の闇を晴らすことはできない。


『……私が言った“澪を助ける方法”は、そんな高が知れてるプランじゃないよ。もっと根本的で、もっと抜本的なプラン』

「え……?」

『成功すれば、確実に寿命を延ばすことができる。ただ、できるかどうかは定かじゃない』

「そんな、方法が――」


 できるかどうかは定かじゃない。

 そんな言葉は、今の私にとって聞こえていないに等しかった。

 できるかどうかが分からないなんて、これまでずっとそうだったのだ。プランと言ってもやっつけなものしかなくて、とにかくがむしゃらで奔走していた。できるかどうかなんて、二の次だった。できるまで、やり直し続けるつもりだったから。

 できないというお墨付きでもない限り、やらない選択肢はない。

 真心の話が続く。


『澪に、あなたと同じ力を習得してもらう』

「……え?」

『澪のログハウスが制御の外にあるせいで、暴走が止められない。だから、今澪の制御外にあるセーブロードの力を、自分の意思で扱えるようになってもらう』

「ちょ、ちょっと待ってよ……!」


 乱暴を超えて荒唐無稽こうとうむけいだ。無茶苦茶すぎる。


『待たない。……今こうして澪のログハウスに入れてる。あなたはもちろん、私まで。いくら私たちが、自分の意思でログハウスを操作できる特例だとしても、他人のログハウスに入れるだけの力はないはず。ましてや、キスした程度で』

「えっと、つまり……?」

『つまり、澪がログハウスに入るためのルートを借りて、ここに来たってこと。私たち――もといあなたがログハウスに意識を落とすのに慣れているから、なぜかキスを入口にして入れたけれど、本来は澪のためのルート。澪の意識がここに降りてくる通り道があるんだと思う』

「思う、って……」

『言ったでしょ、できるかどうか分からないって』


 この問題について、いかな真心でさえ断言できないのは今に始まったことじゃない。


『だけど、ログハウス自体が私たちだけのものではないと分かった以上、誰にだってそこに干渉できる可能性はある。東仙とうせん紬希つむぎは神じゃないんだから――私たちにしかできないとは言い切れない』

「うん……」

『できる可能性が一パーセントでもあって、それしか方法がないのなら、やるしかない。――あなたは、澪との出会いまで一気に戻って、彼女にセーブとロードの仕組みを説明して、ログハウスに干渉できるように手助けする。これだけで澪が救えるのなら、……簡単なことでしょ』

「…………」


 返す言葉が何も見当たらない。

 あまりにも突飛とっぴな話。成功するかどうかなんていうレベルの問題ではない。いっそ、妄想と言ってしまってもいいくらいだ。

 だけど――。

 彼女の言うことは、やはりいつでも、もっともで。

 ログハウスに干渉して、人生をセーブ・ロードする力――これがどうして私だけに扱えるのか、考えたことがないわけではない。倒れて死のふち彷徨さまよったタイミングで得てしまったがために、言葉にできない納得があって、何ならそれまで頑張ってきたご褒美かもなんておごっていたこともあったけれど。ただの偶然で、何かの拍子で、弾みで、得てしまっただけだ。私以外にもそのチャンスは平等に与えられていて、当然私が知らないだけですでに世界に同じような人がいる可能性だってある。澪がその一人になる希望は、天文学的確率より遥かに高い。

 ログが狂ってしまった今、やり直して少しずつ軌道修正するというこれまでのプランは全く意味を成さない。ログハウスの挙動が元凶である以上、澪に自らログハウスにアプローチしてもらうしかない。真心の言うとおり、これしか方法がないのなら、成功可能性なんてゼロでなければ儲けものである。


「……確認、だけど」


 やっと、や否定から抜け出して、内容に言及できる。


「澪と出会った時まで戻ったって、きっとその時点でログはかなり浪費された後だよね。きっと、大学に入学する前から、澪の寿命の侵食は始まってる」

『そう。……だからあなたは、突飛とっぴな話を聞いてもらえるくらいに仲を深めることと、時間とともに寿命が減っていくことの両方に折り合いが付けられるタイミングで、プランを実行しないといけない』

「そう、だよね……」

『問題はそれだけじゃない。澪との出会いまで戻るのなら、あなたのログもかなりの数がジャンクログになる――ざっと計算しても六百くらい。自分の寿命を大きく削る以上、現実問題、チャンスは一度きりなんだよ』


 それは……そうだ。

 ジャンクログの性質に気づいていなかったこれまでなら、特にそれを気にすることもなかっただろう。ただ、今の私は、ジャンクログの生成がそのまま寿命の減少を意味していることを知っている。それを知った時点で、これまでに私がどれほどの寿命をくだらないことに捧げていたかも、自覚している。計算する気はないが――六百という数のジャンクログは、あまりに大きな打撃だった。先が短いのは、実は澪だけではないのだ。

 私も、澪に負けず劣らず、寿命を削る。正真正銘の、自己犠牲。

 チャンスは一度きり。


『課題を話したうえで、改めてく。……成功するかどうか、そもそも可能なのかどうかも分かっていない、そのうえ長くない寿命まで犠牲にするこのプラン――賭けてみる?』

「…………」


 改めて言われてみれば、最低なプランだ。

 経営学の教授にでも問えば、異口同音にやめておけと返されてしまうほど。リスク志向なんてレベルの話ではない。

 ただ、リスクくらいならどれだけでも背負うつもりだ。


「――賭ける」


 命を、賭ける。

 時間を駆けるために。澪を、助けるために。

 その選択に、迷いはつゆほどもなかった。


「過去のログがおかしくなったとき、私は一度、死を選ぼうとした。やけっぱちだったと言われても否定できないけど、……でも、澪を救えないならもうどうでもいいっていうのが一番だった」


 澪がいない世界に、生きている意味はない。

 えらい月並みな言葉やな――と、また、言われてしまうかもしれないけれど。むしろ、そうでも言ってもらうためにも、澪には生きていてほしい。怖い彼女も見てきたが、それでも、死んでしまうのは何よりも嫌だ。


「私の寿命なんかで澪が生きられるのなら、迷う余地なんてどこにもないよ」

『……よかった、私と同じ結論で』

「そりゃそうだよ。私は心の底からそう思ってるんだもん」

『そうだね、間違いない。私が判をすよ』


 私はもう一度、灯籠を見やる。

 心細いまでの弱い炎。往々にして灯火は命の象徴として語られるから、どうしたって澪の死を連想してしまうけれど。覚悟の決まった今では、弱さの顕示ではなく、助けを求めているようにも感じられた。

 私がそう、思いたいだけかもしれない。

 だけど、澪に助けが必要なのはきっと揺るぎない事実であって、私にその助けになってほしいと思ってくれている。私の不甲斐ふがいなさが遺書につづられていたことが、その証拠だ。

 ――紬希がもうちょっと頼りがいがあれば、相談できてたのに。

 ――紬希がすぐに逃げるような人じゃなければ、すがってたのに。

 考え直してみれば、驚くほど直接的な言葉。私には思いやりの達人にさえ映る澪らしからぬ、歯に衣着せぬ物言い。私を責めずにはいられなかったのだろう。

 ただ、それよりも。

 ここで記憶に蘇るのが、今思えば事の発端とも言える、呪いの言葉。

 ――死ぬまで、あたしのこと思い浮かべもせんといて。

 物語は、この言葉に始まり、この言葉に帰着する。

 私が勝手に解釈したとおり、やはり、死んだあとには自分を想ってほしかったのだ。もっと言うなら、遺書を読んで、本心を知ってほしかったのだ。だからどうしてほしいということではない――ただ、私に打ち明けられなかったことが、心残りだったのだろう。一瞬で済むものでもない自殺をするというのに、ドアに鍵をかけなかったほどに。


『やっと、本当の覚悟を決めたみたいだね。……私には分かるよ』


 いつにも増して、穏やかな声音こわね。ふわりと私の背中を押す。

 私はひとりじゃない。

 大きく息を吸い込んで、いやに身にみる空気を味わった。


「行ってくる――」



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