21.「行ってくる――」(3/5)

「え、……え、」


 ひとつめから、思っていたヒントと違った。

 あまりにも考えたことのない角度からの指摘で、もはやヒントだと思えなかった。いっそ、全く関係のないことをかれているとさえ感じてしまう。

 ジャンクログが、消えずに残る、意味?

 そんなもの、考えたことがない。そういう仕様だから、そういうものだから、としか言えない。そんな、仕様のうちのほんの一部分に、今時間を割くだけの意義があるというのだろうか。

 これだけじゃ無理かな、という皮肉が感じられる微笑が聞こえた。


『次のヒント。……どう考えたって、この灯籠に映し出されたログの列が、途中で切れてるのはおかしいよね。もう知っているだろうけど、このログの帯って、向かって左が過去、右が未来っていう時系列で並んでるものなんだよ。途中でログが途切れることが何を示してるか、分からないかな?』

「…………」


 ヒントは、まだたったのふたつ。

 だけど……この、嫌な予感は。


『……気づいた?』

「いや、まだ、……確信は持ててない」


 嘘をいた。

 確信を持てていないのではなく、確信を持ちたくないのだ。今脳裏に浮かんだ結論を、確定させたくない。これを回答として提出したくない。

 だって、そんなの。

 そんな、残酷な――。


『じゃあ、最後のヒント』


 はじめから三個だったのか、私の嘘を見抜いてヒントを減らしたのか。そこは、私が知れるところではない。

 左から右へ、過去から未来へと続くログの帯。ログをロードするという仕様上、私の能力において、この帯の右側へとスクロールしていくことはまずない。いつもは、見えないところまで続いていたから、疑問を差し込む余地もなくて。

 これこそ、考えたことがなかった。

 右側に待ち構えているログがどういう存在なのかを。そして、それが途切れ得るという事実を。


『さっきあなたが言った通り、選択を間違えるたびにやり直しをしていたら、死は永遠に訪れない。……言い換えれば、やり直しができている間は、死が来ない。でも、実際問題、死なない人間なんて一人としていないよね。じゃあ、どういう条件下でなら死は――』

「いい……」

『ん?』

「もう、いい!」


 私の言葉に、ぴたりと声が止まる。


「もう、いい。分かったから……!」

『…………』

「人間はそれぞれログに最大数があって、それが全て埋まったときが寿命ってことでしょ? ロードでジャンクログが作られるたびに使えるログが減っていくから、そのロードの頻度と、そもそものログの最大数によって寿命が違う。……みおは、もう、」


 そこまで言って、声の震えに気づいて口をつぐんだ。

 言葉にしてしまうと、その事実が確定してしまう気がして。裏を返せば、言葉で表現さえしなければ、気のせいで済むような気がして。解答欄に書きこまなければ、永遠に無回答でいられる気がして。

 そんな表面的な信条は、私は騙せても、真心は騙せない。

 どこか満足したような溜め息が聞こえた。


『……これ、鬱病の仕業じゃないかな』

「え?」


 思っていたのと違う話に、少し混乱した。


『残されたログが限られていることは、間違いない。だけど、別に澪が特別ログの最大数が少ない人だってわけでもなさそう。見て分かるとおり、彼女の早死はやじには、ジャンクログの過剰生成が原因だよ』

「言わないでよ、限られているとか、……早死はやじに、とか、」

『いつまでそうやって誤魔化し続けるの』

「っ……」


 突然鋭くなった声音こわねに、思わず肩がすくんだ。

 相手が自分だから、大した気負いもなく我儘わがままを口走ってしまうのだけれど。先生でもないんだから叱られることはないと高をくくっていた私に、彼女は、初めてここまではっきりといさめた。


『澪を救いたいっていうのは、何、嘘だったの?』

「嘘じゃないよ……! 私は澪に死んでほしくない!」

『口だけに聞こえるよ』


 火がついた彼女は、あまりに容赦がなかった。


『澪を助ける? 救う? 死んでも愛す? ……私の恋人になるってのはそういうことだって、偉そうに言ってたよね。蓋を開けてみたら、どう? 肝心なところで思い切りも持てないで、ちょっと打ちのめされるたびに馬鹿みたいに泣いて、澪を救うどころか救いを求めて泣きついて。遺書を読んで全てを知ったこのに及んで、澪の死を認めたくない? ……馬鹿じゃないの、ほんとに。これが有口無行ゆうこうむこうじゃなくて何だって言うの?』

「っ……」


 澪に詰められていたときに口から漏れ出た、やめて、という言葉。自己防衛のために、意思に先行して築かれた防御壁。

 だけど、今度は、そんな言葉は頭の片隅にも浮かんでこなかった。

 私の真心が、こうして私をそしって、なじって、糾弾するのなら。

 それは、つまるところ、ただの自己嫌悪なのだ。

 自分で自分を責めておいて、やめてなんてお門違いである。


『澪を助けたいのなら、……まず、あなたが変わらないと』

「……私が、」

『そう。……まぁ、あなたが変わるなら、私も変わるってことなんだけれど。ややこしいね』


 誹謗ひぼうではなく、叱責。

 伝えなければならないことを言い終わって、徐々に穏やかになった口調がそれを物語っている。自己嫌悪に陥りながらも、結局最後は自分が大好きなナルシスト。どうしようもないけれど、やはり、私はそんな私を嫌いになれなかった。

 貴重なお叱りを何度も反芻はんすうして咀嚼そしゃくしながらも、彼女の軟化のお陰で心に余裕が生まれた。本来説教はこうあるべきで、深く内省するすきも与えないほど責め立てては、恐怖や反発が起きるだけだ。ここまで上手く説教ができるのなら、私の真性は教師に適性があるのかもしれないとおごってしまう。


「……ありがとう」

『礼には及ばないよ。私は自分を鼓舞しただけ』

「そう、だね」

『……話を戻すけど、』


 その言葉に反応して、私はいつしかうつむいていた顔を灯籠へと向けた。

 様子に変化はなく、相変わらず今にも消えそうな弱い炎をたたえている。ログの表示も、心なしか私のものよりも不明瞭ふめいりょうだ。炎の勢いは、ログが減っていくにつれて弱くなっていく仕組みだろうか。

 命の灯火、さながらに。


『きっと澪は、鬱病になった影響で、無駄なロードを乱発してるんだと思う――もちろん無意識にね。それに伴ってジャンクログが大量に生成されて、残りのログを圧迫しちゃってる。……ねぇ、鬱病の診断書の日付、いつだった?』

「えっと……去年の六月だったはず」

『うん。時期的に、俗に言う五月病が発端になった可能性はあるよね』

「……確かに」


 去年と言えば、澪が――もちろん私も――大学に入学した年だ。実家が遠い私たちは、それに伴って一人暮らしも始まった。

 それほどの大きな環境変化があったのだから、五月病は必至と言っても過言ではない。きっと、元々鬱々うつうつとした火種を心で飼い育てていた中でのそれだったのだろう。中学、高校と彼女を追い詰めていた何かが未だ蔓延はびこる心に、追い打ちをかけるような環境変化。

 五月病が悪化したというよりは、五月病の併発が事態を悪化させたのだ。


『澪の命日から見て、ちょうど一年くらい。……一般的に数十年分の人生に換算できるだけの数のログを、その一年で一気に使い果たしたっていう計算になるよね』

「そん、な……」

『もちろん、鬱はいきなり芽生えるものではないから、もっと長い期間をかけて浪費してたって考えるのが妥当ではあるけれど。いずれにしても、通常の何十倍もの速度でログを使い潰していたんだよ』


 これほどやるせないことがあろうか。

 私が相談相手に相応しくなかったことが自殺の原因のひとつとはいえ、裏にそんな仕組みが居座っていたのでは、私が悩みを聞いてあげられたくらいでは死をまぬがれ得ない。一度ジャンクログとなってしまったものを、元に戻すことはできないのだ。

 仕組みを知らずに、どうでもいいことのためにロードをしていた私ですら、ログの果てが見えたことなどない。だって、毎日午前零時と数日に一回どこかでセーブされると仮定したら、八十歳で死ぬ人でも全部で四万ほどのログがあることになるのだ。それに、人生百年時代と言われていたり、そもそもそれなりにロードした果てに八十くらいで亡くなったりすることも加味すると、その総数はさらに多くなる。

 それほど膨大な数のログを、たったの一年やそこらで使い果たしてしまうなんて。

 そんな致命的なバグが起きていいはずがない。


「…………」


 ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る