08.「持ち主との相性……か」(2/2)

「昔?」

「うん……中学生とか高校生とかのとき」

「めっちゃ最近やん」

「あそっか」


 過去の話をしようとして、口をついて昔と言ってしまった。……という、単純な話でもない。実際、私にとっては昔という印象があるくらい過去のことだから。

 ロードをするたびに、相対的に精神は老いていく。これまでにさかのぼった時間を合算したら、私はもう二十歳ではない。それでも高校時代はせいぜい数年前のことだが、気分的にはその頃の記憶はかなり昔だった。


「とにかく、高一の途中くらいまで、手を抜くのが苦手だった。でもみおのとはちょっと違って、完成度の追求というより、逃げることを忌避きひしてた感じかな。逃げるのは悪だって、ずっと思ってた」

「そう、なんか……」

「何の影響なのかな。逃げるのは悪だってり込むような教育を受けてた覚えはないんだけど……気づいてないだけかもしれないけど」

「え、でも今はそうじゃないんやんな。なんで性格変わったん?」


 口調や所作しょさに大きく出ているわけではないが、過去一番の食いつきだった。私の瞳のもっと奥を見入るように見つめる大きな双眸そうぼう――その強い眼差しに思わず圧倒されてしまいそうで、うどんの汁をすするのを口実に視線をらした。

 完璧主義は、もちろんその性質上成果は挙げられるため悪いことではない。ただ、本人がその成果を望んでいないのなら、時間と労力だけを食い潰す厄介な性格だ。どうにか改善する方法を探し求めているのだろう。

 私は――これまでに一度も言ったことのない事実を打ち明けることに、一瞬迷いを抱いた。だけど、本当に一瞬だった。澪の本心を探っているのに、私が隠し事をするのは卑怯そのものである。


「一回、倒れた」

「え、」

「だからその……高一のときに」


 澪の目つきの変化だけが返事として返る。


「元々、逃げられない性格のせいで無理してる自覚はあったんだけど、高校に進学して環境レベルが上がったせいで、身体が耐えられなくなったんだと思う」

「…………」

「そのときに――……」


 そのときに。

 続きの言葉を、み込んだ。肺炎などが重なって死線を彷徨さまよったなんてことは、もはや言うべきものではない。澪を心配させるだけだ。ましてや、そのときにセーブ・ロードの能力が発現したことは、迷うまでもなく黙っておくべきだ――無駄な混乱はいらない。


「……そのときに、なかば無理やり、改めたって感じかな」

「改める……って、そんな悪いことみたいな、」

「澪の完璧主義と同じ感じかな。それ自体は悪いものじゃないんだけど、……持ち主との、相性が悪いっていうか」

「持ち主との相性……か。なかなか鋭い言い回しやな」

「お褒めに預かり光栄の至りです」

「おう、苦しゅうない」


 さすがは澪だ。少しでも吹っ掛ければきちんと返してくれる。関西人どうしの居心地の良さは、そうした安心感が互いにあることもしているのだろう。

 実のところ、私の性格が変わった理由はもうひとつある――他でもない、セーブ・ロードの力だ。その能力のおかげで文字通りやり直しができるようになって、逃げを選択することのリスクが大幅に減ったのだ。そのおかげで逃げの選択がしやすくなり、逃げても何とかなることを知った。いつしかそれが、新しい生き方に成り代わっていたという流れである。


「でも、なかば無理やりでもよく性格変えれたな」

「それは……成り行きと環境に恵まれてたとしか。あと、性格までは変わってないと思う――変わったのは、せいぜいってところだよ」

「なるほどなぁ……」


 溜め息交じりにこぼした澪が、最後のひとくちを食べる。自分も残り少ないうどんを食べきって、一息。時計を見れば、正午を四十分ほど超えたところだ。三限の講義は十三時からだから、余裕をもってそろそろ動き出した方がいい。

 食堂で用意されているコップにんだ水を飲み干して、澪が私に向き直る。


紬希つむぎ次って心理学講義やったよな」

「うん、」


 心理学は私の専攻科目だ。

 この大学の心理学はおよそ脳科学と呼べる学問で、脳機能の解明を目的としている。それを聞きつけて、自分の異能の秘密が分かるかもしれないと思い、専攻した次第だ。もちろん、前提として心理学というものに興味はあったのだけれど。

 澪は専攻が哲学だから、今日はこれ以降一緒に受けられる講義はない。


「じゃあ別の講義室やな」

「うん、」


 言って、澪が荷物とトレーを手にして立ち上がる。返却カウンターの方へ向けた顔は――なぜだろう、かげって見えた。


「ねぇ、澪……!」


 いつもの流れで返却口へ向かおうとする澪が、まるでそのまま私のもとから去ってしまうように感じて、思わず強めの語調を投げつけてしまった。ピーク時よりは利用者が減っているが、それでも数人が反応したのが目の端に映った。ただ、そんなことは気にしていられない。

 振り返った澪が目を丸くしている。


「ど、どしたん」

「今日、三限で終わりだよね」

「そやけど……」

「待ち合わせて一緒に帰りたい」


 言い切って、若干早まった呼吸を落ち着ける。

 馬鹿みたいだ――まるで告白するときみたいに緊張している。澪に話しかけるのに、ここまで思い切りがったのはいつぶりだろうか。

 肩に無駄な力が入っている私に、澪は少し困惑している様子だった。


「え、でも紬希って四限なかったっけ」

「いや……なんかさっき休講ってメール来てた」

「おー、よかったやん。じゃあ先終わった方が学部棟の前で待っとこか」


 四限が休講というのは嘘だ。三限の間に、体調を崩したとでも教授に連絡しておけばいい。一度欠席した程度では成績にも大して響かないことだし。


「うん、じゃあまた後でね」

「いや、講義棟までは一緒やん」

「あ、……ごめんなさ」

「だ!」

「わ!?」


 澪の怒号につい跳ね上がった。さっきの私の声なんて気にするに足らないほど、周囲が何事かと目を向けてきた。

 うっかり口癖を言ってしまった私のミスだ。口癖の矯正手段として、言い差したところで澪が指摘するというものをっている。いわゆる、だ――と、心理学専攻特有の思考が走った。行動にともなう不快刺激の知覚によって、その行動を自制することを指す専門用語だ。

 にしても。

 こんな何気ない文脈で口をついて出てしまうほど、口癖が戻ってしまっている。せっかく、“ごめん”への置換に慣れてきていたのに。順調だった矯正も、何もかも――あの日に崩れてしまった。


「……こ、講義棟まで、一緒に行こう」

「言われずとも」


 私も荷物とトレーを持ち上げて、澪の横を歩いた。

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