08.「持ち主との相性……か」(1/2)

       *



「こんなん今さらやけどさぁ。……ここの学食ちょっとダサすぎひん?」


 箸を空中で遊ばせながら、不機嫌そうな面持ちでみおこぼした。愚痴の矛先はこの食堂、あるいは大学、あるいは目の前のカレーだ。


「まぁ、そうだね。よく聞くよそういう声」


 愚痴を言い慣れていない私は、軽く乗っかるだけにとどめた。

 寝ているときに自動で保存されたログをロードすると、眠りに落ちた状態で人生が再開される。つまり、時間は零時から再開していたとしても、意識そのものは目が覚めたところから再開されるのだ。

 今日――というかこの日はきちんと目覚ましをかけて寝ていたから、澪との待ち合わせには十分じゅうぶんに余裕をもってのぞむことができた。日によって講義の履修状況が異なるため集合時間は一定ではないが、澪とはだいたい同じ講義を取っており、待ち合わせ自体がないことはあまりない。大学から近いという寮の特権をきちんと活かし、授業開始の二十分前に集合、出発して二限目を受け、昼食を食べに食堂に来たところだ。

 敷地が広いために複数ある食堂のひとつ。寮に近く、一般教養の講義棟からも近いここは、学内で一番利用者数の多い大食堂だ。


「日ごとのラインナップも少なければ、連日同じメニューなんてザラやし。食べたいもんないから、結局気づいたらこうやってカレー頼んでんねん。別にカレーも食べたくないっちゅうねん」


 珍しく火力マックスで愚痴をつらねる澪を見て、この日の記憶が少しずつ戻ってきた。言ってもフロントラインから二週間弱だ、完全に忘れるには日が浅い。

 会計後からトレーに置いたままだった学内専用プリペイドカードを財布に仕舞いながら、彼女との会話に意識を向ける。


「そうだね。私なんてカレー苦手だから素うどんだよ」


 言って、手元の器に軽く手を添えた。

 澪がカレーを愚痴る一方、私は素うどんだった。みすぼらしさで言えばカレーより酷い――なんて言っては作った人に申し訳ないか。でも実際全メニューの中で一番安い。お財布に優しくはある。


「そや、紬希つむぎカレー苦手やったな。前も言うたけど、それかなりレアやで、マジで」

「うん、よく言われる。でも、勢いで苦手って言っちゃったけど、食卓に出てきたら普通に全部食べるし、不味まずいとも感じないよ。ただ、好きではない、って感じ?」

「んーまぁ、食の好みなんて十人十色の典型例やからな。ちゃんと食べるんやったら、変に口出ししぃひんけど」


 ここより未来の誕生日パーティーで、食べ物を残すことに抵抗があると言っていた澪が見逃してくれた。食べ物に好き嫌いがあることは問題ない。好きじゃないから食べないという選択が問題なわけだ。


不味まずくはないねんけどなぁ……」


 そうこぼしながら目線を落とす澪にならって、私も見下ろした。

 自分の手元では、明らかに少ない汁に無造作にひたる麺の上を、意味があるのか分からない量のネギが浮いている。対する澪のもとでは、見るからに端のほうが乾燥し始めている白ごはんに、スープカレーのなり損ないと言ってしまいたくなるくらいに具のないルーが掛かっている。

 ……酷すぎる。改めて整理すると酷すぎる。好き嫌いのレベルじゃない。

 ここは入学するのにかなりの勉強量を要する国立大だというのに、出てくる食事は自分で作る軽食よりも貧相だ。逆に、国立大だからお金がないと言うのが正しいのかもしれないけれど――いずれにしても、生徒にはみ取る義務はない。

 お互い少し食べ進めて、別段喜んでいない舌を水で潤す。水のほうが美味おいし――いや、さすがにその発言は一線の向こう側か。

 ふと注文口に目を移すと、かなりの列ができていた。レベルは低いとしても、だからといって他に昼食を調達しようとすると面倒だ。二限直後のピーク時には、食堂の敷地では収まらなくなって講義棟の前まで長々と伸びるほどの行列。決まって毎日形成されるその長蛇の列は、ウケを狙ってか大学のパンフレットに堂々と載せられている。

 食べ進めるのに一息ついた澪が、思い出したように口を開く。


「紬希って、課題何個ぐらい溜まってる?」

「んーと、……ろく?」

「六!?」


 食い気味で叫びがあがった。

 食事中に口を開けるときにはきちんと手で押さえているところに、澪の育ちの良さをひしひしと感じる。勢いのある関西弁のせいで自由奔放に見えてしまうが、実のところ彼女は礼儀正しくて初心うぶで、女子力も高い。少なくとも私より。


「え、やらなさすぎちゃう? 間に合うん?」

「うん、……たぶん。いつもこんな感じだし、どうせギリギリにならないとやる気出ないし」


 課題なんて早めに終わらせたほうがいいに決まっている――そうと分かっていても、締め切りに追われる感覚でむちを打たないと全く筆が進まない。前日の夜中に提出するのがほとんどだ。

 とてもじゃないが理解できない、というような表情だ、澪は。


「終わらへんかったらって思わへんの?」

「そこは……なんというか、締め切りに合わせて雑に終わらせるから、終わらないなんてことは起きようがないというか……。雑にはいくらだってできるしね」

「あー、まさにあたしが苦手なことやわ、それ」


 そこまで言って、澪はひとくち進めた。合わせて私も食べ進める。

 味の薄い麺が舌の上でのたうち回った。……あまりにも美味しくなくて、食べ物に使われた経験がないであろう動詞が自然と出てしまうほどである。


「なんか、要領よくやるって感じ? ちょっと言葉悪くするなら……って言うんかな」

「あぁ……確かに、澪ってびっくりするくらいレポートの完成度高いもんね。そこまでるんだ、っていつも思ってるよ」


 私の、一瞬読んだだけで締め切りに対する焦りが伝わるような煩雑はんざつな文章のレポートとは、次元さえ違って。彼女のレポートは、文章力の高さや構成のまとまりはもちろん、主題となる意見も一枚上手うわてで、参考文献の欄が数行で済んでいる例はこれまでにおそらく一度もない。何度か優秀レポートとして紹介されているくらいだ。それを、ほとんど出された日に終わらせているというのだから恐ろしい。

 うどんをすすって澪を見やると、うーん、とどこか微妙な様子だった。


「いや、あたしあれりたくてってるわけじゃないねんなぁ」

「ん、そうなの」

「うん。だって別にAプラス狙ってへんし、単位取れたらいいから何ならCマイナスでもいいねんか」

「え、そんなレベルなの」


 言うまでもないが、Aプラスは最高評価で、Cマイナスは単位が出る中で最低評価だ。そのすぐ下にF評価が待ち構えており、これはもちろん落単。

 世間でかなり優秀な部類とされているこの大学でも、全講義でAプラスを狙いに行くのはほんの一握りだ。全ての講義の全ての回への出席は前提で、洗練されたレポートや九割以上の試験得点率を継続しなければ安全圏には入れない。より確実なものにするためには、これらに加えて講義中の発言にも注力しなければならない。もちろん、ほとんどの学生はそんなところを目指すわけもなく、Bが取れれば万々歳である。

 そんな中、毎期安定して五、六個のAプラスをもらっている超人が目の前の人だ。


「じゃあ、なんでそんなに課題やり込むの?」

「なんか、課題を前にすると気が済むまでやっちゃうっていうか。たぶん完璧主義ってやつやと思う。目的もないのに、単に目の前の成果物の完成度だけを追求しちゃう性格やねん」

「なるほど……完璧主義って、そういう感じなんだね」


 聞いたことはあったが、実際の完璧主義者が具体的にどういうことをするのかは知らなかった。もちろん一口ひとくちに完璧主義と言っても、どこにどういうかたちで表出してくるのかは人によるのだろうけれど。少なくとも澪の場合、目的達成のためなら妥協しても全く問題ないところに、必要以上に力を注いで完成度を高めようとしてしまうというところだろう。効率を犠牲に、完成度を得る――無意識に。だから、本人が求めていなくても、勝手に結果がついてくるのだ。

 ただ、そこまでの話を聞いて、全くの他人事だとは思っていなかった。


「でも……私も、昔は違ったよ」






※近況ノートとpixivにて、今話の挿絵を投稿しております。

 https://www.pixiv.net/artworks/108754569

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