06.「……うっかり生きるの辞めちゃいそうやねんもん」(1/2)

       *



「お酒も入ったことだしさ、なんか普段言いづらいこととかあったら言っちゃいなよ」


 みお嗚咽おえつの向こうで、ビデオ通話の切断を告げる電子音。そこから私に別れの電話をかけるまでは、どうやらペンの電池がもたなかったようで。

 役目を終えた盗聴器をパソコンから引き抜いて、ひとしきり泣いて、くだんのログをロードして、パーティーを済ませて、今。

 私は、盗聴作戦に続くプランを探り探り実行していた。


「んぇ、なんや急に」

「いや、やっぱりお酒飲んだら暴露大会だよ」


 澪の怪訝けげんな表情。

 無理もない――やっぱりと言うほどのものでもないのだから。ただ、今の私にそこを気にしていられる余裕はない。

 なら、せめて。


「ほら、例えばさ。普段は難攻不落な雰囲気出しておいて、実はいつも私の身体に欲情してるとかさ」

「いや、それは、…………あるやろ、そりゃ」

「うん、だからそういう――え、あるの!?」


 自分で仕掛けておいて、次の瞬間には自滅していた。酔った勢いで私の口が弾んだのもあるが、それこそ澪の口もお酒で軽くなっているようだった。

 私の冷や汗を肩代わりでもするかのように、ゴミを片づけた机の上に佇むチューハイ缶の結露が、ひとつしずくとなって滑り落ちた。

 無論――とてもお酒を飲めるテンションではなかったが、アルコールでブーストでもしないと、録音越しの地獄にてられた精神が起き上がってくれなかった。完全に発情して冷静さを失わないよう、一本丸々は飲まないように自制してはいるけれど。

 肩をすくめた澪が口を開く。


「知ってのとおり、あたしの恋愛対象は女の子――ほんなら性欲センサーが女の子に反応したところで何も不思議じゃないやろ」

「いやまぁ、それはそうだけど……。私ばっかりハッスルして、澪はそうでもないのかと思ってたよ」

「アホ言うな。紬希つむぎが訳わからんエロい肉塊ぶん回してんねんから、そりゃあたしとて釘付けなることもあるわ」

「人の胸を訳わからんエロい肉塊呼ばわりする……? あとぶん回した覚えは絶対にない」

「……無自覚淫魔」

「無自覚淫魔!?」


 淫魔が無自覚なのは公害すぎる。

 ロードするたびに新しい蔑称べっしょうが生成されていくのは、力の代償か呪いだろうか。ドチャクソ変態女もなかなかに絶望的なあだ名だったが、無自覚淫魔もそれなりに返上したい肩書きである。


「それに……」

「それに?」

「性欲センサーがどうこう以上に、好きな人のことなら何でも興味持つに決まってるやろ……」

「~~~~っ!」


 いつになく恥ずかしげにと言う澪に、私はのどから変な音を出すことしかできなかった。

 お互い素面しらふのときより口が回るようになっているから、会話の流れを制御するのがかなり難しい。一瞬のすきで話題がれていってしまう。ただ――目的の主題は乱暴に踏み入っていい領域ではないから、こうした遠回りをるのも悪くはないかもしれない。

 軽く咳払いをして、閑話休題かんわきゅうだいはかった。


「澪からそれが聞けただけでも大儲けだけど。ほら、もっとこう……相談的な。普段は距離が近すぎて、逆にしづらいこともあるかもしれないし」


 気がはやってすぐに核心に触れようとする自分を、何とか手綱たづなで制御しながら言葉を発していく。ロードがあるにしても、変に怪しまれることは避けたい。

 澪は、ゆっくりと視線を落とした。その裏にある含みに気づいたのは、今になってようやくだった。


「もしかしてさ、……なんか察してる?」

「…………」


 普通にバレていた。下手な自覚はあったけれど。

 この歳になって――能力を数年使ってきていても、上手く立ち回るのには骨が折れる。ロードして繰り返したって、結局は質より量、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるだ。処世術が上手くなったわけではない。むしろ、自分の体感に言わせれば、知っているふりよりも知らないふりのほうが難しく感じるくらいである。

 バレてしまってはなんとやらだ。覚悟を決めて息を吸い、澪の目を真っ直ぐと見つめた。


「ねぇ、澪。……悩みがあるなら相談して。私に気に食わないところがあるなら言って。力になりたいし、直したい。澪のためになら何だってするから」


 言って、じん、と胸に残った感情。複雑なそれ。

 録音データから得られたのは、彼女の心をった最後の一撃――あくまで一連の事態の一片だ。だから、澪を追い詰めている苦悩の本丸が私にあるのか、あるいは全く別のところにあるのかさえ分からない。

 言ってくれなくて、察してあげられなかったから、分からないのだ。

 相談する素振りすら見せてくれなかったことへの、疑問、不安、恐怖。そして、察してあげられなかったことへの、後悔、罪悪感、いきどおり。私はそれを、どう消化したらいいのかも、……分からない。


「紬希、」

「うん?」


 すがめた澪の双眸そうぼう。綺麗な――そして、どこか面妖な。


「紬希って、何のために生きてるん?」

「…………え、」


 …………。

 あぁ。嘘。そんな。

 生死の、話――……。

 思いがけず、というより思いたくなかったが、澪が自分の意思で命をったことの裏付けとも言える結果になってしまった。澪の自死を避けようと問うたのに、それをしょうし得る返答。

 悩みを聞かれて、はじめに出てきたのが生きている意味の問い。……正常とは、言っていいものではなかった。


「うぅん……」


 心のざわつきと思考とを切り離しながら、澪の問いに答えようと逡巡しゅんじゅんする。彼女の真意は測りかねるが、問い自体は珍奇ちんきなものでもない。実は彼女は哲学専攻で――それを加味すればなおさらだ。

 と、思ってはいたが。


「…………ごめん、分からない、かも」

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