02.「死んでも愛すよ」
*
「ッ――……」
待って、私は何を……っ!?
漫画さながらに、ベッドから飛び上がった。急にもたげた頭が、低血圧で一瞬鈍痛と
詰まっていた息を吐き出して整える。じんわりと全身に
気づけば、状況を語るものを求めて
明るさに目が慣れると、当たり前のように自室の光景が映った。しん、として何の変哲もない私の別荘。
日付は――六月の、三日。
「六月三日……」
吐き気を刺激するような心象とともに、
……記憶。
記憶のことを
この一週間、自分が何をしていたかの記憶が
大学に行っていた記憶は
「そんなこと、あり得るの……?」
あり得るのか。自我を失った状態で、本能的に社会生活を営んでいたなんて。
――あり得たのだ。
あまりのショックに、何が何だか分からなくなって。自分が自分じゃなくなって。
廃人になるスレスレのところから、今ようやく帰って来たのだ。
「そっか。私、ずっと逃げて――……」
走馬灯のように、ちかちかとフラッシュバックの連鎖。
もう、全てを思い出した。
澪の誕生日パーティーを、まるで初めての経験のように過ごしていた。この一週間、理性を失ったまま行動していた。
それは全て、ひとつの事実――現実からの逃避。常軌を
本当は、覚えている。忘れるわけがない。
首を
「澪……」
ベッドの横、すぐ隣の壁面へと目をやった。
この壁の向こう。たった一枚壁を
心臓が締め上げられるように痛む。喉の奥で、胃液が湧き上がる。
「澪の言いつけの意味、今だから分かるよ」
体の異常を気合で
この鍵も、言いつけの真意を語っているじゃないか。
本当に思い浮かべられることすら
部屋より少し冷たい空気の廊下を歩いて、五一一号室の扉の前。
念のため鍵は持ってきたが、二度目の経験だからどうせ使わないことは分かっている。案の定、ノブに手をかけると、さほどの抵抗もなく回った。
そう、施錠されていない。これも、澪の言いつけの真意を
初めてのときと同じように、
「っ……」
もう、知っているからだろうか。
初めて訪れたときよりも、部屋の空気が
玄関の照明をつけると、私の目は知識に従ってある一点に向けられた。
「ぅ……」
慣れない。慣れるわけがないし、慣れていいものでもない。
見ないようにするべきか。それとも、詳しく調べるべきか――。
思考はその二択で
澪のこんな姿は、一度や二度見た程度では慣れない。だけど、前回には無かった、精神の空き容量を感じる。自分のショックの
澪は。
自決の中でも、あえてこの方法を
準備物が少なく、飛び込みなどと比べて迷惑も抑えられる――一見コミットしやすい方法に思えるが、実際はそうでもないはずだ。
途中で横やりを入れられないような場所かつ、縄を吊るすことができる場所となると限られてくる。前者を十分に満たすこの寮の部屋は、
低い支点から座位で行う首吊りは、無論足が地についているため、天井から首を吊った場合と比べて――ましてや飛び降りなどと比べれば圧倒的に中断の可能性が高い。
もちろん私は自殺になんて詳しくないけれど、きっと苦しみが続く中、意識が飛ぶまで自分の意思で生存本能を抑え続けていたに違いない。
「澪、どうしてそこまで……」
今回は、訳が分からなくて――ではなく。
悲しくて、涙が出た。
苦しみが続く。いつでも中断できる。
そんな方法で自殺を成功させるには、心の底からの
何が、澪をそこまで追い詰めた。
どうして、それだけの闇を抱えた胸中を察してあげられなかった。
何より。……何より、許せないのは。
どうして、澪の最期の主張を、見て見ぬふりをしたのか。
「……私こそ、目を背けてきたんだ」
脳裏で、電話越しの澪の言葉が再生される。
――目を背けてきた。向き合わへんようにしてきた。もうこの事実からは逃げられへん。
その全て、私の口から発せられるべき言葉なんだ。私が胸に
「私こそ、向き合わないようにしてた」
故意ではなかったとしても。本能による強制の結果だったとしても。
向き合わなかった責任は、私にある。
「私ももう、逃げてなんていられない。ここで使わないと、この能力はただの役立たず――私はそれ以下」
胸に手を当てて、澪の姿を見つめる。
現実から目を背けようとする自分の弱さに負けないように、意地でも目を
澪の言いつけ。
――死ぬまで、あたしのことを思い浮かべもせんといて。
一度気づいてしまえば、あまりにも直接的な言い回し。
彼女は、何も今後一切自分に関わるなと言ったのではない。死ぬまで、だ。
……澪は、自分が自殺をする覚悟を決めて、それを阻止されないように
何かを、伝えたかったんだ。
忘れていた。
本心を抑えて、私に悲しみを与えないように、この現実から突き離したのだ。付き合ったまま死ぬことを避けるために、あえてぶっきらぼうに振ったのだ。
私が、澪の思いやりがきく面を愛していたことに賭けて、命を懸けた。
「澪……ごめんなさい。私にしかできない方法で、あなたを助けるから」
大きくひとつ、深呼吸をする。腐臭すら吸い込み、全てを受け入れるつもりで。
何度目かなんて、数えていられないほどやってきた。今回に比べたら、笑ってしまうくらいにどうでもいいことのために。
自分の意識を、思うまま。
「死んでも愛すよ。――私の恋人になるってのは、そういうことだから」
暗がりの澪に、そう言い遺して。
私の意識は、精神の最下層へと飛び降りた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます