03.「今度は私の番だよ」

 ――ログハウス。

 私が命名した、とある空間の名前。


「…………よし、成功」


 どれだけ自分に言い聞かせても、みおのあんな姿を見た直後では完全な平静でいるのは不可能だ。ざわついた心で成功するのか不安だったため、開いた目に映った光景に、思わず安堵あんどの声がれた。

 光景――とは、実は言えないような景色である。

 視野に広がるのは、黒一色で構成された空間。色としての黒というより、可視光が存在していない類の闇。果ての見えない闇色の天球。

 人間の目は、光源からの光か、その反射光を知覚する。そんな仕組みにとって、そもそも光が存在してない黒色の空間は、何も見えていないに等しい。果ても見えなければ、地面も見えず、上空もない。焦点を合わせる対象がひとつとして存在しないこの空間では、慣れるまでは途端に平衡感覚が狂ってしまう。今では現実世界と同じように行動できるようになった私でも、はじめは立つことすらままならず、歩くなんてもってのほかだった。

 ただ、光源が何もないわけではない。


「ログイン」


 と、独りちるように宣告。

 それに呼応して、空間の中央――果てが見えないから想定だが――に、唯一の光源が現われた。

 青。

 一瞬くらんだ目の先には、霊妙という言葉がよく当てはまる青色の炎と、それをたたえる一本の灯籠。

 基礎となる形や大きさは、神社などに立ち並ぶ一般的なものと変わらないが、それらと比べると少し派手やかな意匠いしょう。石造りでありながら、赤色などの装飾があしらわれて神々しい。そこに散見される雰囲気から、どこか神楽の装飾に似ているようにも思える。

 神事に対する造詣ぞうけいは浅い――どころか皆無だから、断言はできないけれど。

 少しけて、その上空に、左右に長く列を成す複数の長方形が投影された。灯籠の青い火に照らし出されるように、ぼうと浮かぶ神秘的な叙景じょけい

 それぞれの長方形には、解像度が荒い写真のようなものと、西暦から秒までの日付が記されている。中には、黒一色のものや白一色のものが点在し、中央辺りより右側には、青黒く存在感の薄いものが並んでいる。

 ……ここは、私だけが入れる精神空間。

 私は一度、死にかけたことがある。

 高校一年生の秋ごろだ。昔から私は手を抜くことが苦手で、何事も全力で取り組んでいた。その生き方に限界が訪れ、ある日、倒れたのだ。その時だ、この空間――ログハウスに意識が行き着いたのは。

 その名は、一般的には丸太を組み上げて作られた住居のことを指すが、こちらは違う。丸太のログではなく、データ記録のログ。言葉遊びで生んだ、私の造語である。

 人に言っても絶対に信じてもらえないだろうけれど――私はこの空間で、人生を記録・再開することができる。まるでゲームのように。この空間で初めて目を覚ましたあの日に、同時に手にした謎の力だ。


「これまで、どうでもいいことに使ってきたけど……。今、このときのためにある力のはず」


 テストをやり直したり、怪我を回避したり。

 本当に、どうでもいいことのために、この力を使ってきた。能力が使えるようになって数年った今でも、まだその正体や仕組みを全く理解できていないというのに。

 とにかく、今が正真正銘の使い時である。

 見上げて、整列する四角形の、ひとつ。

 そこに映る風景は、随分と画素が荒くて輪郭もあったものではないが、いつのどこの風景なのかを知っていれば鮮明に見えてくる。風景の左上に刻まれた日時――五月二十五日木曜日、十八時を回ったところ。

 そう、澪の誕生日パーティー。言われても見えるかどうか微妙なレベルだが、その風景の中心には澪が映っている。


「澪……」


 気づけば、目をすがめていた。その行為にどういう感情がこもっているのか、自分でも分からない。

 この時の澪は、楽しんでいた。……いや、楽しんでくれていると勝手に思っていた。

 本当に、馬鹿な私の思い込みだったんだ。パーティーから数日もたず首をくくれてしまうんだ――楽しんでいたわけがない。初めてのお酒も、引くような量とレパートリーの食事も、酔った気分で弾んだ会話も、私の発情も。全部、楽しんでいるように見せていた。

 心の底では、死んでしまいたいというくらい思いを渦巻かせて。

 自分の命を絶ててしまうほどの強烈な感情をつゆほどもらさず、虚構の楽しさを演じていた。これまでは気がつかなかったけれど――言語に絶するくらいに感情の扱いが器用だ。気遣いが得意な以上に。

 私はその絶技に翻弄された。

 ……澪が、その気なら。


「今度は、私の番だよ」


 澪のたくみな感情操作が先手を打つのなら。

 私のこの力は、後手に真価を発揮する。


「ロード」


 ここは私の精神空間。私の意識がカーソルとなる。

 意識を集中させていたくだんのログが、言葉に反応してポップアップする。一拍置いて輝きだしたそのログを最後の光景に、私の意識が薄れていく。まるで魂を引き抜かれるかのように、じわじわと遠のいていく意識。

 選択したログよりも新しい日時のものが、それに応じて真っ白に変色する。より過去のログから人生を再開することによって、これから新たに刻み直される記憶の部分――私がジャンクログと呼ぶもの。


「今度はきちんと乾杯しないとね――……」


 自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、私の意識は幕を閉じた。



       *






※近況ノートとpixivにて、今話の挿絵を投稿しております。

 https://www.pixiv.net/artworks/108549793

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